Pioneer DJ “DJM-V10” Engineer Interview
Text & Interview : Hiromi MatsubaraPhoto : Shotaro Miyajima
2020.4.15
世界中のエンジニアが絶賛する、細部までこだわってチューニングされた音質
ESS Technology社 32bit D/Aコンバーター
ーースペック面にフォーカスしていくと、DJM-V10がDJM-900NXS2とは異なる新たなDJミキサーであるポイントとして、音質面が第一に挙げられると思うのですが、まずは搭載されているD/Aコンバーターチップの特徴や長所を教えていただけますか?
濱田:DJM-V10のMASTER出力部には〈ESS Technology〉社の“ES9016”というD/Aコンバーターを採用しています。性能面としては高分解能で、低ノイズかつ低歪で、音質面についてはチューニングにもよりますが、一般的には“高解像度な音質”としてオーディオマニアの方などに名の知られたICチップメーカーの部品になります。DJM-TOUR1やCDJ-TOUR1にも〈ESS Technology〉社のD/Aコンバーターを搭載しているのですが、その高解像度かつウォームな音質が社内外で大変好評を得ていましたので、今回も同じメーカーのチップを選定することにしました。
ーー音質の説明をする時に、“ウォームな音質”や“温かみのあるサウンド”という表現をされると思うのですが、そうでない音との差であったり、具体的な体感としてはどういう感覚なのでしょうか?
濱田:両極端な説明をすると、“ウォーム”の反対は“クール”とか“クリア”と表現されるかと思いますが、音質がクリア過ぎる方向に寄っていると、音が静かに澄みわたって聴こえる一方で、曲の音量を上げていくと、中高音域が耳障りに感じてきて音量を下げたくなったり、長時間聴いていると耳が疲れてしまうような感覚でしょうか。逆に、ウォーム過ぎる方向に寄っていると、耳当たりは良く、まろやかでストレス無く聴けるけれど、一方で音にキレやメリハリが無く、ブヨっとして暑苦しくなるような感覚ですね。DJM-900NXS2はややクリア寄りの音質ですが、DJM-V10の目標音質はDJM-900NXS2の音質を基準とした場合、方向としてはもう少し温かみを感じさせる音質を目指しました。
ーーなるほど。では最終的な目標音質の方向付けはどのように決めていくのですか?
濱田:まず初めに、目標音質の方向性を第三者にも分かり易く定義するために、「ウォーム↔︎クリア(クール)」を横軸とし、「ステレオ感/解像感↔︎モノラル感/硬質(カタマリ)感」を縦軸とした2軸4象限に、自社と他社のDJミキサーの音質傾向を当てはめた“音質マッピング”を作りました。その後、自社と他社の複数のDJミキサーについて比較試聴を行い、この音質マッピングに当てはめてみると、4つの象限に幅広く分布することが分かりました。例えばDJM-900NXS2は、クリアで解像感が高いエリアに位置します。競合他社の“音が良い”と言われているアナログミキサーは、全部ではないですがウォームでモノラル感の強いエリアに分布する傾向にあります。DJM-V10は、DJM-900NXS2よりも横軸はウォーム方向に持っていくことは決定していたのですが、縦軸方向をどの位置にするかについては自分自身でも迷っていたので、実際に音を詰めながら着地点を決めていくことにしました。
技術統括部 ミキサー設計部 ミキサー2課 濱田さん
ーーいま仰っていたお話から察するに、縦軸で言うと、DJM-V10は中心となる二軸の交点よりかは解像度高い方向に位置付けられるのでしょうか?
濱田:そうですね。音質マッピングの原点位置は“ニュートラル”と定義したのですが、それは良く言えばどんな曲でも“間違いがなく正しく聴こえる“けれど、悪く言えば“目立った特徴がなく味気が無い”という位置になります。DJM-900NXS2やDJM-TOUR1などの弊社のDJミキサーは解像度が高めで、その音質については多くの方から評価されていますので、DJM-V10の開発途中ではニュートラルに近づけるのが良いのではないかとも考えましたが、色々と検討した結果、当社のDJミキサーの良いと言われている部分はそのまま伸ばそう、ということで解像度も重視する音質を目指しました。また、横軸方向についてもあまりに軸の中心に寄せてしまうとウォームでもクリアでもない、無難で面白みのない音になってしまいます。DJミキサーの音質として一番大事なことは、聴いていて楽しいことだと考えていますので、音を忠実に表現するためにニュートラル気味にはしていますが、適度な温かみとふくよかさ、柔らかさを感じさせる音に仕上げています。あとは見た目のデザインも暖色系が基調で、これでキンキンでパキパキの音だと違和感があると思いますので、デザインに相応しい音質になったかと思います。
ーーということは、時系列的にはデザインの方が先に決まっていたんですか?
蔵本:実際の時間軸上だと、デザインに合わせてということになるのかもしれないですね。スピードで言うと、外側のデザインの方が先に出来るんです。濱田さんが仰ったのは、デザインも見つつ、当初からのオーダーも聞きつつ、音質の部分を詰めていったというところだと思います。なので、デザインが先で、それに合わせて音質の方向性を決めたわけでは全くなくて、最初からチームで“温かい音”というテーマを共有した上で開発を進めていったのが実際の工程ですね。作り込みの段階でのタイムラグはあるとは思うんですけど。
濱田:そうですね。デザインありきではないです。
蔵本:デザインにとっても最初の方向付けが一番重要で、製品コンセプトが明確に定まるまでに、先ほど濱田さんがおっしゃっていた音質マッピングのデザイン版などを用いて、「DJM-900NXS2はクールでデジタルっぽい方向性だったけど、それに対して今回はどうしようか?」という話をしながら、徐々にヴィジュアライズをして、最終的な部分を決めていっています。
ーー皆さんがひとつの目標に向かって行った、ということですね。
モンペティ:一言にまとめるとそうですね(笑)。
(一同笑い)
蔵本:でも実は、音質担当とデザイン担当は普段から絡みがそんなに無いので、僕は濱田さんとそんなにお話ししたことが無くて。僕が今回のデザインの仕事をほぼ終えてたぐらいの時に、定時後に試聴室の前を通ると、中でじっと立ってる濱田さんの背中が見えたり、夜中になるとズンズン聴こえてきて、Floating Pointsの曲だなと思ったら、夜通しずっと比較試聴していたりして。それを見た時に、“この方は職人だな”って思いましたね。
濱田:結構な音量で聴いているのでどうしても外に音が漏れるんですよね(笑)。
蔵本:僕は試聴室の近くで仕事してることが多いので、“何かやってるけど、良い曲かけてるな”って思ってました(笑)。
モンペティ:ちなみに、聴き疲れしない音質を追求するためにと思って、あえて普段レファレンスで使っている曲とは全く違う、僕の趣味で揃えたゴリゴリ系のEDMを濱田さんに「これでも聴いてみてください」って渡したことがあったんですけど、気が付いたら別のエンジニアさんが使ってたこともありましたね(笑)。
濱田:音質担当は部品を変えては音を確認するという作業を延々と繰り返すので、検討時間の効率化のために幅広い帯域の音がバランス良く詰まった数種類の特定の楽曲で音質確認をすることが多いのですが、今回はジャンルを問わず、様々な楽曲で確認しました。試聴用によく使ったのは全部で80曲くらいです。あとはクラブ音質チェックで現場に伺った際に、エンジニアの方が確認用に使っていた演歌の曲を聴いてみたりもしましたね。最後の方はもう“間違い探し”みたいな状態で、様々なジャンルの曲を流しながら原曲に込められた意図を損ねていないか、違和感は無いか、という作業をひたすらやっていました。
蔵本:凄い……本当に職人ですね。
モンペティ:部品の入れ替えだけでもかなりの回数やっていましたよね?
濱田:記録に残ってるのは300回ぐらいで、部品を変えた前後の効果確認として大体3〜4回は繰り返して聴きますので、1000回以上は聴いてますね。D/Aコンバーターだけでなく、アナログ回路の部品に関しても、多くのメーカーから様々な部品を取り寄せては音質評価を繰り返し、音の良い部品は新規に採用しました。よく製品のPRで、使っているD/Aコンバーターの写真がドンと出ているケースがあるかと思いますが、それは他の部分と比べて見栄えが良いからであって、私の感覚としてはD/Aコンバーター自体で決まってしまう音は全体の20%程度かなという印象です。要はどんなに良いD/Aコンバーターを使っていても、各メーカーや製品での設計思想や音質チューニングによって全く音が違ったり、性能の劣るD/Aコンバーターを搭載した製品よりもむしろ音質が悪くなったりするということです。今回DJM-V10を設計するにあたり、例えばアナログ回路に使うコンデンサーだけでも20種類程度のサンプルを取り寄せて、変更しては音を聴いてを繰り返して、その中で一番DJM-V10で目指す音に相応しいものを選定する作業を徹底的に行うなど、細部までこだわった音質チューニングをしています。
左: 各CHアナログ入力部には、旭化成エレクトロニクス社(AKM)のAK5578EN/AK5574ENを採用
右: LINE/PHONO入力切替部、MASTER出力およびヘッドホン出力のミュート回路部には、EMデバイス社のメカニカルリレー(EA2リレー)を採用
ーー音質の変化や違いを、耳以外の方法や何かしらの数値で判断することはあるんですか?
濱田:明らかに“ノイズっぽい”とか、音が歪んでいる等については計測器で正しく測定できますが、音質の良し悪しというのは感覚的な部分なので、オーディオ性能として値で表現することは難しいです。オーディオ性能を表す指標として、例えば、例えばSNR(S/N)や全高調波歪率(歪率)、周波数特性といった測定項目があるのですが、S/Nや歪率が悪くても良い音質であったり、逆にS/Nの数値は良いのにノイズっぽさを感じる音質であったりすることは実際に良くあります。よって、基本的性能は計測器で測定しますが、音質を詰める作業は自分の耳を頼りに行っています。今回は開発初期段階で音質マッピングを作ってDJM-V10で目指す音質の方向性を早いうちに社内外の関係者と共有しながら進めていけたので、途中で大きな手戻りもなく当初の目標通りの製品を作ることが出来ました。また、製品開発の序盤の段階で、相応の音にチューニングした確認用セットを持ってモンペティくんが海外出張に行った際に現地のクラブで音質評価をしていただいたんですが、かなりの高評価だったようで、その後の音質チューニングを進めていく上で大いに参考になりました。
モンペティ:絶賛でした。それこそイビサの老舗のクラブ、PachaやDC-10で聴いてもらった時に、PAの方が「これ本当にデジタルミキサーですか?」って聞いてくるぐらいでした。Pachaで試聴してもらった時は、最初はエンジニアの方々が難しそうな表情してフロアで聴いてたんですけど、聴いているうちに段々と表情が変わってきて、最終的にはニコニコしながら僕のところに走ってきて「Congratulations!!」っていきなり握手されて(笑)。何のことかと思ったら、「凄く音質が良いね」って言われて、その時に濱田さんの努力が実ったんだなって感じましたね。
小泉:僕がニューヨーク出張に行った時も同じ感じでしたね。6軒ぐらいのクラブで試聴してもらったんですけど、どこも大好評で。「〈Pioneer DJ〉のDJミキサーの中でも一番良い」という評価もいただいたりして、とにかく好評しかなかったですね。
ーー実際、音質評価をする人たちって何人ぐらいいるのですか?
濱田:各製品の音質担当はもちろん日常的に評価をしますが、社内には9人の”音質チェック認定者“がいて、製品の試作ステップ毎にチェックポイントを設けて音質が目標とする水準を満たしているかを第三者視点で判定してもらっています。チェックポイントでは、その認定者の中から3人を呼んで、その内の2人以上がOKを出したら次の製品ステップに進める、という具合です。認定者達にもそれぞれ音質の好みがありますので、時には参加者の中でも良い悪いで意見が分かれる場合もありますが、量産前の最終音質判定会においては、幸い全ての認定者に高評価をもらえました。モンペティくんが海外評価に持って行った時の確認用セットは、最終状態よりも解像度は控えめで、さらにウォーム寄りのチューニングとしていましたが、海外評価でその音質を褒めていただいた方たちにもより満足していただける音質に仕上がったと考えています。
モンペティ:海外でPAの方からのお話を聞いていて僕が感じたのは、日本語では一言で“音質”と言いますけど、海外ではサウンドの“キャラクター”と“クオリティ”を分けて話しているということでしたね。サウンドのクオリティに関しては、低ノイズや高解像度といった部分で良し悪しが決まると思うんですが、キャラクターで言うとシンプルに良し悪しではなくて、“このDJミキサーの音をどういうキャラクターにしたいか”をはっきり決めた上で、“その目標に対して実際に持っていけているかどうか”という部分で評価されると思います。そういう意味で言えば、DJM-V10は僕たちの狙い通りのキャラクターになったのかなと思いますね。