DJ Nobu & Haruka
Text & Interview : Hiromi Matsubara (a.k.a Romy Mats)Photo : Craig Stennett
2022.6.28
FUTURE TERROR 20th Anniversary ── 揺るぎない進歩の一途は無二の文化を生む
この後に始まる対話中の特に重要な部分で一例として触れられているエピソードでもあるが、DJ NobuがJeff Millsの衝撃を受けたのが1994年だという。28年前。ちなみに筆者が生まれた年でもある。これは「(特にアジア圏で見た時に)日本のクラブシーンは成熟している」と言われるわけだ。何度トレンドが入れ替わり、何人のDJやオーガナイザーたちがこの道を往来し、いくつの遊び場が生まれては失われ、そして今すでにシーンに続々と流れ込んできている2000年以降生まれの人々で何世代目になるのだろうか。
『FUTURE TERROR』が始まったのは2001年のこと。筆者が存在を認知したのはおよそ10年前で、遊びに行くようになってからがそれよりも短い年数だとしても、その時にはもう既にトップランナーだった。脚を運ぶほどに、その傑出して唯一無二な空間と、このパーティーがアプローチする時間芸術に圧倒された。後に、主催のDJ NobuとHarukaと個人的に言葉を交わすようになったり、それぞれとパーティーを作ったり(サポートしたり)した経験を差し置いても、2人のプレイや動向を見ていれば、いかにそのスタイルやスタンスが『FUTURE TERROR』の強い引力に反映されているかをより深く感じることができた。自らが一つずつ積み上げてきたその矜持は揺るぎなく、しかし更新し続けること。その強さは、自身の内外に起こるサイクルを見つめることを怠らないことにも起因すると言える。そもそも他を知らなければ、当然、他がやっていないことをやろうとは考え至ることはできないのだから。
この20年間、『FUTURE TERROR』を通して、日本国内から世界までを見つめながら、独自に進化を続けてきた2人との対話。途中、朗らかなやり取りも挟みながらも、核心に触れるエピソードの連続に、またしても沢山の刺激を受けてしまった。
(※ 敬称略させていただきました)
ーー『FUTURE TERROR(以下、FT)』20周年を迎えたお二人と今回お話をするにあたって、先ずは改めて、続けることの大切さや凄みを強く感じました。パーティーに限らず、一般的に見ても、ひとつのプロジェクトを20年続けるってそうそうあることじゃないと思うんです。『FT』を続ける中で何か目指してきたことがあるのでしょうか?
DJ Nobu: まず “目指す”っていう言葉がしっくりこないですね。クオリティの高いものや、面白いものを作ろうという意識はもちろん常にありますけど。
Haruka: 明確に理想があって、それを目標にして向かっていく感じではなかったですよね。
DJ Nobu: そうだね。何かを目指してきたというより、一つひとつを大事にやってきた感じの方が強いです。
ーー では、一つひとつを作ることに対して変わらずにモチベーションを保ちながら、こうして長く続けることができた理由は何ですか?
DJ Nobu: 他のオーガナイザーさん達もみんなそうだと思うけど(笑)、始めた時から今まで、自分たちのパーティーが1番格好良いことをやってると思っているからじゃないですかね(笑)。
Haruka: 僕は『FT』に入って12年になるんですが、最初はNobuさんが地元・千葉の仲間と始めたパーティーなので、僕はきっかけの細かい部分に関しては定かではなくて。ただ、そもそもの話をすると、東京とか大阪みたいな大都市以外に住んでいたDJは自分で何かをやるしかなかったんです。
DJ Nobu: Harukaが山形・鶴岡のHarmonyでやってた『Finger in It』とかもそうだよね。
Haruka: そうです。僕も地元で凄く小さいパーティーをやってたところから始まりましたし、とにかく自分で何かをやらないと、きっかけも続けるも無かったんですよ。もちろん当時は今みたいにSNSは無かったし、自分たちで何かを作り出さないと楽しみが本当に皆無だったので。
DJ Nobu: 例えば、2018年にブリストルの〈Timedance〉のパーティーに出演した時、Romyも遊びに来ていたから感じたと思うけど、Batuが地元でいかに真摯に一つひとつのパーティーを積み重ね続けてきたのかが、あの空間から分かったじゃないですか。元々の話をすると、Batuはその数年前からずっと僕のエージェントにオファーをし続けてくれていたんですけど、条件の都合でエージェント側で断っていて。でもBatuと会って話してみて彼のパーソナリティが分かったりとか、彼が作っている音楽を聴いていたりしたら、「これはブリストルで何かが起こっているに違いない」って感じたんです。それで実際に出演してみたら、音楽に夢中になっているお客さんで超満員の美しいフロアと、彼の地元の友達だけじゃなくて家族や親戚まで遊びに来て踊ってる光景が広がっていて、あの場には本当に意味しかなかったわけですよ。意味と言うよりも、“文化” と言うのが正確だと思いますけど。
ーー 確かにブリストルのローカルにしかあり得ないであろう、感動的な瞬間の連続でしたね。
DJ Nobu: それはHarukaが鶴岡でやってきたことも一緒だと思うんです。立ち位置で例えると、ロンドンが東京だとしたらブリストルは千葉みたいな感じで、仙台を東京だとしたら鶴岡もそういう関係性にあたると思うんですが、小さい街だとしても、鶴岡にしか存在しない文化やシーンがあるから、それが面白いなと思うんです。
ーー なるほど。僕自身は東京で生まれ育ったので何とも言えませんが、僕の同世代やその下の世代にも何人かは地元のシーンである程度まで積み上げてから東京に出てきた人がいますけど、比較的、東京や都市部に出てきてから本格的にDJを始めたという人が多くて、後から地元のシーンとコミットする場合もあれば、そこの繋がりがあやふやなままの場合もあるのが、昨今のシーンかなという印象ですね。
Haruka: 確かに若い人は東京に出てくるのが先かもしれないですね。でも僕ぐらいの年代のDJだと、その地方でしっかり仕事をしながらとか、家庭を持ちつつでも、コツコツDJをずっと続けていらっしゃる人も結構います。もちろん東京に出てくるモチベーションも素晴らしいし、絶対的にサポートをするべきだとも思うんですけど、例えば自分が呼んでいただいて地方に行くと、そのローカルに腰を据えて頑張っているDJのプレイに物凄く感動させられる時があるんです。そういう時に、この感動をもっと色んな人と共有したいなと思うんですよね。
DJ Nobu: 知ってもらいたいしね。
Haruka: もちろん、どのぐらいアクティブに活動できるかは、それぞれ人によって違うじゃないですか。状況によってはアクティブに活動できない人もいると思うんですけど、僕の中で「この人は本当に良いDJができる」って思えていたら、なるべく声をかけたりサポートしたいと思いますね。
DJ Nobu: でも元から『FT』はそうだったよね。それこそHarukaだって最初はそうだし、かなり昔からOCCAとかをブッキングしていたのもそうだったし。Harukaと初めて会ったのも、当時、大阪の味園ビルに住んでたCMTの部屋だったよね?
Haruka: そうですね(笑)。
DJ Nobu: 今では『FT』だけが残ってるような状態ですけど、『FT』を始めた当時は地方同士の交流がメインだったんですよ。僕らが千葉で始めたように、東京のシーンなんて無視して、それぞれが各地で面白い遊び場をいくつか作っていて、そこに全国から人が集まってきて、その中で「この地域にはこんな格好良いDJがいるんだ」って発見をして。それの東北の場合がHarukaだったし、あと盛岡だとTHE☆YAMAYAとか、福岡のNOBとか。どこに居ようと格好良いと思ったDJは、今みたいにテクノにフォーカスする前からブッキングしてきたし、ずっとやってきたことのひとつです。もちろん自分たちも呼んでもらって地方に行く時もありますけど、そこで出会った良いDJをちゃんと呼ぶのは、本当の意味での “日本の底上げ” 的な意識ですよね。実際に、それを続けていたら、沖縄からも北海道からもお客さんが千葉まで来るっていう現象にもなったわけです。
Haruka: そういう時、千葉に成田空港があって良かったなって思いますよね。どこからでもアクセスしやすいという点で。
DJ Nobu: そういうことなのかな(笑)。でも僕らが日本全国を回りまくってた時って、高速道路が全部¥1,000だったのも大きかったと思うんですよ。あれがあったから、全国のクラブとかDIYパーティーをやっている人たち同士の交流が増えたのは確実にあったと思いますね。僕らも異常なスケジュールで移動してたよね(笑)?
Haruka: 毎週末、何百キロも車を運転して色んなところに行ってましたね。
DJ Nobu: 雪道の中、僕がHarukaの車を運転してて、事故って廃車にしちゃったこともあったね。死んだかと思うぐらい何回転もしてね。いま思うと凄い青春時代だ(笑)。
Haruka: 懐かしい(笑)。江ノ島から富山に行く途中ですね。まさかあんなに雪が降ってるとは思わなかったですよ。
DJ Nobu: でも¥1,000でその距離の移動ができてたのは、いま改めて考えても凄いことだね。あの時は週末に東京から大阪に行く人も沢山いたんですよ。何人かで集まって、車をレンタルして行くみたいなのが何組もいて。
Haruka: 今とは人が行き来する動き方の雰囲気が全然違いましたよね。あの時はガソリンも安かったし、例えば、「あのパーティー行ってみたい」とか「あのDJのプレイが聴いてみたい」っていう理由だけでも、車で山形から東京に行くのが今よりも気軽でした。もちろん若かったから体力があったのもあると思うんですけどね。
ーー 今みたいに本格的に携わる前には、そういう理由もあって鶴岡から『FT』に遊びに行っていたこともあったんですか?
Haruka: そうですね。
DJ Nobu: ラオスから帰国してそのまま来たことあったよね?
Haruka: ありました。Marcel Dettmannの時ですね。
DJ Nobu: そうだね、2009年だ。
ーー 千葉での『FT 2019-2020』の時に、終わってから10人ぐらいで入れそうなローカルの居酒屋に飲みに行ったら、偶然、Marcel Dettmannを呼んだ時のお店(※ QUEENS CLUB。後にDEEPA)が以前入っていたビルだったことがありましたよね。Nobuさんから教えていただいて、「え、ここで!」って衝撃を受けたのを覚えています。
DJ Nobu: Dettmannはその時の『FT』を、その年のベストパーティーに選んでくれていたんですよ。
Haruka: あのクラブ凄い良かったですよね。千葉っぽいというか、雰囲気が凄く好きでした。ヒップホップのクラブだから2PACのポスターが壁に貼ってあって。
DJ Nobu: ダーティーな感じで、他には無い雰囲気のクラブだったかもね。2008〜2010年くらいはMaster Blasterを入れてやっていました。
Haruka: 屋上でチルできる感じも良かったですよね。今ではなかなかそんなクラブは無いですから。
ーー Harukaさんが今みたいに本格的にオーガナイズに携わる以前の『FT』で印象に残っている回はありますか?
Haruka: やっぱりMarcel Dettmannが出演した時です。あと千葉のsacra monteでやってた時も印象的です。宇川さんがVJをされてましたよね。
DJ Nobu: 2 daysでやった時かな。その時はHarukaも出演してたよね?
Haruka: 言われてみるとDJした気がしますね。とにかく他では味わったことの無い雰囲気とか密度だったのを覚えています。来ていたお客さんのセンスが良かったんですよ。いわゆる “これをやれば盛り上がる” みたいな分かりやすい感じではなく、『FT』ならではの独特のマナーがしっかりあって、お客さんも全員それを理解した上で、その独特の雰囲気と音楽を味わいたいっていう目的で集まっていた感じでした。そういう雰囲気を作り上げるのはなかなか難しいことだと思うんです。でもBarghainとか、ジョージアのBassianiとか、あとPrecious Hallもそうだと思うんですけど、世界的に “名店”と呼ばれているクラブにはその雰囲気があるんですよ。振り返ってみると、あの時の千葉にもそれがあった。それは恐らく、Nobuさんが長年地元を大事にしながらパーティーを重ねてきたから浸透したことだと思います。だから僕が加わった時には、そういう意味では『FT』はもう完成されていましたね。
DJ Nobu: あの時、千葉にDJが多かったのはあるかもしれない。Wada Yosukeぐらいの世代のDJが沢山いて、その上に僕とかKabutoぐらいまでの世代がいて、って感じでした。
Haruka: 確かに僕より少し上の世代の良いDJが千葉には沢山いらっしゃいましたね。人口とか街の規模から考えると凄いことですね。
ーー 何か特別な理由があったんですかね?
DJ Nobu: 何ですかね。
Haruka: 少し下の世代とかは『FT』に触発されて始めた部分はあると思いますけどね。
ーー でも2001年に『FT』を始める前から一緒に遊んでいた方々もいますよね?
DJ Nobu: もちろん。Ryosukeとかは彼がバンドをやってた時から一緒に遊んでましたよ。19〜20歳ぐらいまで遡りますけど。今のところ記憶だと、僕とRyosukeとKabutoが初めて揃ったのは、僕が19歳ぐらいの時にハイスクールパーティーの延長みたいなのをやって、そこに高木完さんを呼んだ時ですね。その時はまだみんな45分セットぐらいで(笑)。でも色んなところから人が集まっていたのを覚えています。さらにその前だと、千葉港にBig Dogっていう倉庫みたいなスペースに、ロカビリーの人とかパンクの人、スケーターとか、ハウスが好きな人とかが集まってて、そこがカルチャーの原型みたいな場所になっていました。鶴岡でも、Harmonyになる前のお店には100人ぐらい集まっていたんでしょ?
Haruka: 普通に集まっていましたね。「何か楽しそうなことがあるから行く」みたいな人が多かった気がします。DJとかオーガナイザーが集客を頑張らなくても、お客さん側が、楽しそうなことをやっているのを察知して来ていた感じでしたね。
DJ Nobu: 実態はいまだによく分からないけど、何かそういう時代だったんですよね。僕は当時、レタリングでフライヤーを作って、たくさん刷って、それを配って宣伝していました。
Haruka: 僕も最初は、高校生の時にワープロでフライヤーを作って配っていました。
ーー Harukaさんが最初に仰っていた通り、SNSが無い時代ならではですね。時代と共に効率的になったり変わったことはもちろんあると思いますが、お二人とも長らくDIYでパーティーを続けてこられたことの現れなのか、『FT』はDIY精神が常にある数少ないパーティーだと思っています。いま本当にそういうパーティーが少ないような気がしていて、個人的には見習う部分が多いです。
DJ Nobu: いま本当にそういう人いないですよね。
Haruka: みんなを招待するための場を作るという点で気概を感じることが少ないですね。パーティーをやることでブッキングを得たいというようなモチベーションを感じる時はあるんですけど、そうではなくて、純粋に「自分で面白いものを作り出したい」っていう風に思いながらパーティーをやっている人が増えたら良いなとは思いますよね。
ーー 先ほどの上京話に戻る部分もあるんですが、決して変化に対して否定的なわけではなく、例えば東京に出てくると良くも悪くも「染まってしまった」みたいなこともあると思うんです。その中で勝手に、競争に勝たないといけない感覚が芽生えるというか、自然とそういうシーンの流れに加わっていって、結果的には均質化してしまってる部分もあるのかなと思う時もあります。
DJ Nobu: ありますよね。分かりやすいところで言うと、北海道にいるDJは、他とは決定的に違います。例えば、先日、大分と長崎をツアーした時に、彼らのひとつの欠点に気付いたんです。それは、ライティングのことを全く考えていない。ちゃんと教えないといけないと思って、パーティー中に「ブレークで明るくして」とか「キックがまた入ってくる時にもっと明るくして」とか伝えてやってもらったら、フロアも分かりやすく盛り上がって、パーティーの雰囲気がもっと良くなったんです。ただその点で言うと、北海道のDJたちはライティングが上手い。プレイヤーとフロアの目線で考えながら自分たちでライティングをして、その感覚を覚えているんです。もっと言うと北海道はPAができるDJも多い。要するに、フロアの作り方を分かっているわけですよ。僕はライティングはできないですけど、こうして世界中を回っていると、感動するほど完璧なライティングを目の当たりにすることもあるので、感覚的には分かっている。ただこういう部分は各地のクラブにおける文化的な差異の影響は少なからずあると思うんです。もちろん九州にも良いところはあって、大分AZULみたいにセンスの光る場所は他には無いです。それは北海道のDJたちがみんなライティングができる環境とか、David Mancusoのスタイルを継承している中には存在しないものですし、それぞれの土地でキャラクターが違うのは体感すればするほど面白いし、大事なことだとも思います。それによって自分たちが気づけることも沢山ありますしね。
Haruka: 確かに、自分のプレイに対するフィードバックが目の前で繰り広げられるわけですから、そういうのを見るという意味でもDJはライティングを気にした方が良いですし大事ですよね。音のテイストと合ってなかったり、派手過ぎても萎えますし。
DJ Nobu: そうだよね。前に九州に行った時はそんなに気にならなかったんだけど、久しぶりに行ってプレイしてたら、普段だったら確実に盛り上がるところであまりリアクションが良くなくて、いつもと何かが違うなと思っていたら、ずっとフロアが真っ暗だったのがかなり気になってきて。「横で指示出すから、ちゃんとライティングやってみよう」ってその場で伝えて、やってもらったら雰囲気がガラッと変わって、バッチリでした。
Haruka: でも単純に人手が足りないという問題もあると思いますけどね。ライティングのスタッフを雇えないとか、そもそも街にそういう技術を持っている人がいないとか。
ーー また別の視点だと、ダークルームにも良さがあるから、ライティングって面白いですよね。真っ暗な空間の方が合うDJとか、その方が好きな人もいるじゃないですか。
DJ Nobu: もちろん。空間とか雰囲気によっては暗い方が良い時もありますからね。
ーー でもお二人は視覚的な空間演出を大事にされていますよね。『FT』でもそうですし、この数年だとNobuさんの場合は『Gong』や『Reprise』、Harukaさんの場合は『Protection』と、それぞれが手掛けるパーティーでも何かしらの空間的な仕掛けをされていると思います。LIQUIDROOMでの20周年パーティーでは、3月にWombでNobuさんがOPEN TO LASTをやられた時も映像で圧倒的な世界観を演出していたVJのKozeeさんが入っていますよね。音以外でもパーティーやセットの世界観を伝えるということには、これまでも強くこだわってきたんですか?
Haruka: 何かしらの工夫はしてきましたね。僕の印象に残っているのは、千葉のDEEPAっていうお店にSteffiとMarcel Fenglerを呼んだ時に、水のインスタレーションをやったことです。
DJ Nobu: うわー!あったね! ブースの裏に滝を作ったんですよ。そこにレーザーを当てて乱反射させるみたいな演出をやったんです。ONAちゃんとYAMACHANGだね。
Haruka: 綺麗だったんですけど、その時は最終的に失敗したというか、滝から水が漏れてきちゃって、もう止めたくても止められない状態だったから、SteffiがDJをしてる後ろでドバドバ流れてくる水をひたすらバケツで受け止め続けていたのを覚えています(笑)。まさかそんなことになってるとは、お客さんは気付いてなかったと思いますけど。
DJ Nobu: でも、それもDIYパーティーだからこその良さというか、やる側も見る側も確実に印象に残りますよね。
ーー そういう『FT』のDIYな部分と並行して、精神性の根幹でリンクしている部分としては、やはり90年代のごちゃ混ぜなカルチャーから始まっているからこその、他には無い面白さがあると思っています。もちろん感覚の細かなアップデートはあるかと思いますが、先ほどの、地方在住のDJを紹介し続けてきた点もそうですし、最近だとFöllakzoidとかTerry Rileyとか、『FT』はテクノに限らず素晴らしい音楽や表現をするアーティストをブッキングしてパーティーを作り続けていますよね。
Haruka: その方が自然とユニークなパーティーが生まれるし、余計な競争に晒されることもないんですよ。『FT』は何かを真似してやっているわけではないですし、マーケティング的な観点からもっと上手くいくようにって考えているわけでもないので、純粋に、仲間と一緒にユニークなものを作り続けることを心掛けていますね。
DJ Nobu: その方が面白いよね。もちろん『FT』のセンスに合わなかったらブッキングはしないですし。
Haruka: どれだけ人気があっても『FT』のテイストを理解していないだろうなっていう人とは一緒にパーティーをやるのは難しいですよね。自分のスタイルに対して嘘をつかない人が良いですね。ただ人気を得たいとか、アテンションを得たいっていう理由だけでDJをやっていない人の方が、僕は好きです。
ーー そういう部分では、『FT』20周年の東京編にAkieとNariがラインナップしているのは個人的には凄く良いことだなと思いました。僕は2人と同い年なので応援の気持ちも込みで多少は意識もしていますけど、どちらもセンスが凄く良いことも分かっているし、そこをNobuさんとHarukaさんが気に掛けていること自体も凄く嬉しいです。
Haruka: Nariくんは、川崎で開催した『Rainbow Disco Club 2021』でのCYKのセットに僕が結構感動したっていうのがまずあります。そして、CYKの中でも比較的ディープなアプローチをしているのがNariくんだなという印象を受けましたね。
DJ Nobu: それこそ初めは、2017年の『Gong』のSaloonフロアをRomyに手伝ってもらった時に、若手で良いDJの候補をミックスと一緒にいくつか挙げてくれて、その中でも良かったのがNariくんで、それからタイミングで彼のプレイを見るごとに良いなと思っていたので、今回お願いしました。Akieさんは僕でも絶対にできないことをやっているDJだと特に思っていて、僕が持っていないセンスがあるし、技術もあるから、そういう部分を磨いてもっと成長するんだろうなと思ってブッキングしました。
Haruka: Akieさんに関しては、Nobuさんから教えてもらって、『Reprise』のセカンドフロアに出演されていた時に聴いてみて、良いDJだなと思っていたので納得でした。
DJ Nobu: 2人とも『FT』と共通したセンスはありますよ。今回は20周年なので、自分にとってローカルなDJを多めにブッキングしましたけど、これを一区切りにして、これからもっと新しい風を入れていきたいなとは思ってます。
Haruka: 温故知新ですよね。
DJ Nobu: 良いこと言うね(笑)。それで言うと、僕はいま凄く初心に返っているんですよ。世界的な世の中の流れで考えると、いまは初心に返る時期と言うか。20年経って一周したなって感じがします。
Haruka: ちょうどパンデミックも終わりかけて、みんなが同じスタートラインにもう一度立った感じがしますよね。これは誰もが感じていることだと思いますけど。
DJ Nobu: フラットに戻ったよね。世界中でそうなってるのを感じます。
ーー Nobuさんの初心と言うと、チャレンジングな気持ちですか?
DJ Nobu: そうですね。DJを始めた時の感じですね。
ーー でもNobuさんはずっと挑戦を続けているような印象で、そういう気持ちは表現の軸として変わらずに持っているように見えます。
DJ Nobu: それもそうだけど、やっぱりアップデートを続けていれば良い意味で勝手に少しずつ変わってきますよ。そこは多分、2人とも凄く努力する人だと思います。
Haruka: やっぱりDJするのが好きですからね。出来る限り良いDJをしたいっていう気持ちは変わらないです。
DJ Nobu: あとは「負けたくない」とかね(笑)。B2Bやる相手に対してとかは基本的にそういう気持ちを持ってます。もちろんそうじゃない人もいますけど。
Haruka: これは初心に返ったと言えるのかは分からないんですけど、個人的には最近DJをしていて凄く気持ちが楽なんですよね。Nobuさんが今言っていたことと矛盾するかもしれないですけど、「負けたくない」とか「頑張らなきゃいけない」とか、ある意味でのプレッシャーが無くなったんです。シンプルに楽しみながらひとつずつのDJが出来るようになってきた実感があります。
DJ Nobu: 僕はそれが出来る時と出来ない時がいまだにあるかな。こないだの九州ツアーとかは純粋に楽しんでやれましたけどね。
ーー やっぱりヨーロッパやアメリカに行った時の方が、負けたくない気持ちは出てきますか?
DJ Nobu: そんなことはないですよ。国内と海外で線引きがあるわけではないです。
Haruka: 何となく、フロアから物凄く歓迎されている感覚は海外に行った時の方が感じますね。そういう意味では、「かますぞ!」っていう気持ちで臨むよりも、純粋に楽しんでやれますね。
DJ Nobu: あの空気感は凄いよね。でも僕は逆に「かますぞ!」ってなる(笑)。こないだスペインで盲腸の手術をした後にBassianiでのギグがあって、本当に直後だったから、最初は椅子に座りながらでないとプレイできないと言っていたんですけど、ブースに入った瞬間のフロアの雰囲気が強烈過ぎて、「これは座ってられないな」と思ってしまって、3時間我慢してプレイしました。空気が張り詰めていて、それはお客さんとの勝負みたいな感じでしたね。
Haruka: そういうスリルは絶対に必要ですよね。フロアとの駆け引きって、ある意味でのコミュニケーションだと思うので。
ーー もちろん場数を重ねることが一番だとは思うんですが、お二人はどういう意識を持って、その駆け引きをする感覚を磨いてこられたんですか?
DJ Nobu: 他のDJが考えていないミックスの仕方とか、とにかく他人がやってないことをやりたい気持ちはありますね。Harukaもあるよね?
Haruka: ありますよ。たまに失敗することもあるかもしれないですけど、失敗したらそれを受け止めることも大事ですしね。
DJ Nobu: 失敗は成功のもとだからね。失敗を恐れてはダメだと思います。
Haruka: あとはやっぱりフロアをちゃんと見ていないと良くならないと思いますね。
DJ Nobu: 全然フロアを見ていないDJのプレイはやっぱり面白くないもんね。
Haruka: そうですね。ある程度であれば事前にセット内容を決めるのも無しではないと思うんですけど、フロアからどんなフィードバックがあるのかを常にしっかり受け止めながらDJをした方が良いと思います。でも緊張し過ぎると見れなくなっちゃいますよね?
DJ Nobu: というか、体力的に難しい瞬間はある。例えば、海外で金〜土〜日と国をまたいでプレイをしていると、どこかのタイミングでちゃんとお酒を抜くようにはしていて。そういう時にふと引いて見ると、どこか冷めている自分がいたりもするんですけど、そういうテンションがフロアに伝わっちゃうのは絶対に良くないし、下を向いたままだと良くないから、自分から顔も気持ちも盛り上げてやっている時はあります。
Haruka: 僕も機材ばっかり見てしまっている時は大体疲れているか、緊張し過ぎているかですね。もちろん良い緊張感も大事ですけど。
DJ Nobu: そうだね。緊張感が良いように作用する時もあるからね。
Haruka: テンションの話で言うと、僕はどこに行ってもなるべくディナーを一緒に食べるようにしているんですよ。地元の人と同じ物を一緒に食べて、同じお酒を一緒に飲んで、お客さんやクラブの人たちと同じテンションに持っていくことを意識していますね。
DJ Nobu: それは僕も凄く大事にしてる。
ーー 言葉以上のコミュニケーションという感じですね。
Haruka: そうですね。言葉を介さないコミュニケーションという点で、テクノもそういうところがあると思うんですよ。
DJ Nobu: 一緒に温泉に入るとかもそうだよね(笑)。あまりにもビジネス過ぎるディナーとかだと僕は参加しないです。海外の大きいイベントになればなるほどそうなんですけど、元々そういうイベントはそれぞれが個として行く感じが強いので、そういう場になると社交感が強過ぎて逆にリラックスできないんですよ。そういう意味では、食事を共にするところからみんなで一緒に作ってる感が出るので日本の方が楽しいです。
Haruka: それこそ、川崎での『FT』の設営をしている時にみんなで食べた牛丼は最高でしたよね。
DJ Nobu: 最高だった。元々お金が無かったし、そういうご飯がやっぱりどこかルーツになってるんですよ。みんなでFunktion-Oneを精一杯頑張って積み上げて、草刈りもやって、疲れ切ったところでようやく食べた時の、あの何とも言えない感動は変わらない。2月に行ったデトロイトもそうだったんですよ。〈Interdimensional Transmissions〉っていうレーベルがTangent GalleryでやったDIYパーティーで、クルーが鮭の刺身がのってる丼ぶり弁当を用意してくれていて、みんなで缶ビールを飲みながらそれを食べたのも凄く良かった。
ーー そのお話、凄く良いですね。もちろん音楽も大事ですけど、そういう一体感を生んだ体験みたいなバックグラウンドストーリーが入ってくるとより印象深くなりますよね。
Haruka: 牛丼は、他に選択肢が無かったから自然とそうなったんですけど(笑)、後から振り返ってみると、そういうのが良い思い出になったりするんですよ。
ーー 長くパーティーを続けていると、いま仰っていたような良い思い出話が沢山あると思うんですが、お二人ご自身に返ってくる物事として「続けてきて良かったな」 と実感することは何ですか?
Haruka: 僕は仲間が増えたことですかね。きっと普通に就職して働いて暮らしているだけだったら、なかなか出会えない面白い人たちと出会うことができて、そういう人たちと仲間になっていくっていうのが、やっぱり1番です。DJ同士に限らず、クラブやパーティーや音楽を通じて、自分とは全く別の生き方をしている色んな人と知り合えたり、自分の知らない環境に触れられるきっかけがそこにあるということが、ギグが増えるとかよりもよっぽど大きな財産だと思ってます。オーガナイザーという立場になったら、お客さんにもそういう体験をして欲しいなと思いますね。それこそ今回、LIQUIDROOMで開催する『FT』20周年パーティーで23歳以下のチケット枠を設けたのもそういった理由です。例え一緒にパーティーに行く友達がいなくても、もしかすると出会いがあるかもしれないので1人で来て欲しいですし、自分はコミュニケーションが下手だと思っていても同じパーティーで過ごしたら友達になれるかもしれないですし、若い世代の人たちにも、そういう出会いに対してオープンになって欲しいという想いはありますね。
DJ Nobu: 僕もこの数年、世界中で20代前半のお客さんが圧倒的に増えているのを肌で感じていて、実際に話し掛けられることも多いですし、凄く良いことだと思うんです。それでさっきのルーツの話でもあるんですが、僕はそのぐらいの時にお金が無くてパーティーに行けなかったこともあったので、その辺りの気持ちも分かりますし、もし行けなかったらパーティーでしか起こり得ない体験をする貴重なチャンスを失うわけじゃないですか。そういう意味で、若い世代のことはちゃんと見ないといけないなと常々思いますし、やっぱり、彼らや彼女たちにはまだまだ可能性があって、それって素晴らしいことだと思う。そういう人たちのために間口を作って、こういうテクノが世の中にあるってことを知って欲しいし、それこそLIQUIDROOMみたいな滅多にパーティーをやらないけど最高の環境が整っている場所で聴いたら衝撃を受けると思うし、そういう体験の入り口になったら嬉しいなと思っています。
Haruka: デジタルの世界はもうすでに無視できないぐらい非常に重要なものになっていますし、これからもっと便利になっていくと思うんですけど、実際に生で、その場所に沢山の知らない人たちと一緒にいることでしか感じ取れないものも変わらずにあると思います。
DJ Nobu: 喜びを共有する一体感みたいなものはあるよね。
Haruka: だからLIQUIDROOMでテクノを聴いたことがない方には来て欲しいですね。
DJ Nobu: 僕も1994年にLIQUIDROOM(当時は新宿)でJeff Millsを聴いた時に衝撃を受けたので。それこそ、Celterが初めて『FT』に来た時に「初めて本物のテクノを聴きました!」って興奮しながら言いに来てくれたのは嬉しかったし、「FTに行って影響されてDJを始めました」って言ってもらえたりする時も、やっていて良かったなと感じます。
Haruka: DJを始めるきっかけになったと言われるのは嬉しいですよね。個人的には、昔に比べると今はDJを簡単に始められるようになったと思っていて。僕は子供の頃からシングルCDを沢山レンタルしてきてテープを作るのが好きだったんですけど、今だとそれがSpotifyやApple Musicのプレイリストで出来ますよね。ミックスすることは出来ないですけど、そういう行為自体が完全にDJだと思ったりもするんです。まずは純粋に音楽を楽しんで欲しいですけど、もっとみんなにDJをやってみて欲しいなと思いますし、『FT』を通じてDJの面白さを伝えていけたらなと思いますね。
DJ Nobu: あと、2014年にCharles Cohenを呼んだ時に「今までこんな音楽聴いたことなかったです」って感動しながら言ってもらえたことがあったんですよ。その時は、普通にテクノだけを聴いていたら触れることのないであろう素晴らしい音楽が、『FT』を通じて、誰かの感性に新しい刺激を与えているんだと実感できましたし、文化のインフルエンスと言うか、来てくれたお客さんたちに影響を与えることができた時は、意味のあることをやっていて良かったなと思えます。