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Hernan Cattaneo

HERNAN CATTANEO - エルナン・カターニョ -

スタイル : プログレッシブ・ハウス
出身地 : アルゼンチン
関連レーベル : Renaissance, Perfecto
2005年 DJ Magazine Chart : 7位
2004年 DJ Magazine Chart : 6位
2005年 BPM Magazine Chart : 24位
オフィシャル・サイト : www.hernancattaneo.com

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南米ブエノス・アイレスで育ったHernanは、当初はBillboard Magazineを読み漁りながら、Simply RedやLevel 42といった、いわゆるユーロポップサウンドを聴いて育っていた。しかし、1987年に彼の友人の一人がNYのレコード・ショップ"Vinylmania"を訪れ、Frankie KnucklesやDerrik May、Inner CityなどがフィーチャーされたTraxxやDJ Internationalといったシカゴハウスの名盤を持ち帰ったのを契機に、彼の音楽人生は一変する事になる。「まさに頭をガツンとやられた感じだったよ」とHernanは語る。「そしてすぐにたまらなく好きになってしまったんだ。何故なら、それらのサウンドは、いわゆるDepeshe ModeやNew Orderと言ったユーロポップ系バンドの音と、アメリカのソウルミュージックが本当にうまく混ざり合っていたからさ。それ以来、僕の周りの全てが変わってしまったと言ってもいいくらいだよ」

やがてHernanはブエノス・アイレスにある小さなクラブでレジデントを務めるようになり、そして次第に南米各地のクラブに招待される存在へと成長していく。彼の才能が広く知られるようになったきっかけは1996年。激しい競争を勝ち抜いて、毎週土曜日開催の"Clubland"というパーティーのレジデントの座を獲得した事に始まる。その後2年間で大きく成長を遂げたClublandは、アルゼンチンのベスト・クラブの称号を獲得するに至り、やがては全世界のエリートDJ達がこぞって訪れるようなパーティーへと変貌を遂げることになる。そしてそこでHernanは、Sasha、John Digweed、Danny Tenaglia、Carl Cox、Darren Emerson、そしてPaul OakenfoldといったトップDJ達とブースをシェアする機会に恵まれ、Clubland自体もそのHernanの大きな貢献のおかげで、ミレニアムの足音が近づいてくる頃にはその名を全世界に轟かせるようになる。

ディープ・ハウスやトライバル、それにプログレッシブ・ハウスを中心としたHernanの素晴らしい選曲は、やがてCreamのクルーたちの耳にも届くこととなり、彼は即座に南米におけるCreamのレジデントとして抜擢され、それをきっかけに1996年と1997年におけるベストDJアワードを手にする事になる。この様な状況の中、Hernanが南米大陸以外の場所でプレイするのは単に時間の問題となり、そして遂に彼はPaul Oakenfoldの招きでヨーロッパツアーに同行するチャンスを獲得。同時に、Paulの運営するPerfectoレーベルと契約を果たし、自身のオリジナル作品である"Deep Funk"とMIX CD "South America"をそれぞれリリースするなど、遂にトップDJへの足がかりを作り上げるのである。

1998年と翌1999年には、HernanはPaul Oakenfoldと一緒にアメリカツアーに出かけ、ネヴァダの"Burning Man"やデンヴァーの"Red Rocks Amphitheatre"といった素晴らしいクラブやイベントに参加する。また、CreamにおけるレジデントもLiverpoolとIbizaへ拡大、その他にもIbizaでのPeferctoのイベントへの参加を果たすなど、彼の生活は徐々に多忙を極めるようになっていく。

そして、2001年の夏には、Channel4のClapham Common Extravaganzaにおいて7万人の聴衆を前にプレイ。その他にもBedrock AnniversaryやCreamfields、LiverpoolのNationにおいて開催されたCream Birthday等にも出演し、特にブエノス・アイレスで行われたCreamfieldではヘッドライナーを務め、故郷にその錦を飾る事となる。そして2001年の年末頃には彼自身の作品"Deep Funk"がクラブ でヘビープレイされるようになり、DJ MAGのDJチャートにおいても50位にランクイン。ついには同誌の表紙を飾るアーティストの仲間入りを果たし、また、同年9月にはIbizaのPashaにおいて"Best Newcomer DJ"の座を手にするなど、Hernanはトップスターへの階段を着実に上り始めるのである。

その後も彼の勢いは留まるところを知らず、2002年と2003年にかけては、DJ MagのDJ投票で22位にランクインされたり、その年記録的な動員を誇る事となったブエノス・アイレスにおけるCreamfieldでのパフォーマンスを筆頭として、数多くのフェスティバルに参加したりと、Hernanはますますその評価を高めていく事になる。またスタジオ・ワークにおいてもその才能を遺憾なく発揮した彼は、遂にはJohn Digweedが主催するBedrockレーベルからリリースされたMorgan Pageの作品へのリミックスを手がけ、同時に、SubliminalやYoshitoshiのお気に入りアーティストであるDean Colemanとの共作によるOriginal作品の制作を行うなど、制作面において着実にその地位を築き始める。

これらのコンスタントな露出を背景に、Hernanは「再びMixコンピレーションのReleaseを行う時がやって来た」と確信していたが、まさに運命の巡り会わせというべきか、期せずしてRenaissanceからMastersシリーズの監修を依頼される事になる。このコンピレーションはその2000年のスタート以来、常に世界最高峰のDJをフィーチャーするというコンセプトに基づいてリリースされてきているMix CDであるが、これを自ら手がける事になった事に際してHernanは「僕自身Renaissanceのコンピはずっと大ファンだったんだ。初期のSasha/DigweedのMixからDanny HowellsやDeep DishたちのMixまでね」と語り、その感動とよろこびをあらわにしている。2月の初旬にリリースされたこのコンピレーションを引っさげ、今後はワールド・ツアーに出ていくことになっているHernan。その勢いは全く衰える気配すら見せておらず、今後も彼の動向からますます目が離すことは出来ないだろう。(H.Nakamura : HigherFrequency)




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