Text & Interview : Dr. Shingo
みなさんこんにちは、ドクターシンゴです。
2006年、年が変わっての第一弾コラムです。今年も沢山のアーティストのインタビューをお届けしたり、僕の随想をお届けする予定ですのでどうぞお付き合い下さい。
現在、僕は目下新しいアルバム製作に没頭している所です。暗く長いトンネルにいた気分でしたが、ようやく一筋の明かりが僕を導いてくれるまでになりました…。早い話が良い曲が出来そうだという事です。このコラムの中でも触れた事があるかも知れませんが、いまやテクノという音楽も飽和状態が確実に近づきつつあり、世界中のアーティスト誰もが生みの苦しみを味わっている事と思います。我々日本人勢も未来を諦めることなく一歩一歩、未知なるサウンドの道を開拓して行かなくてはならないと思います。皆さんのご支援の程もどうぞ宜しくお願いします!!
さて本題に戻りましょう。本日皆さんにご紹介するアーティストは、ドイツ・フランクフルト在住の DJ/プロデューサー、Frank Lorber(フランク・ローバー)です。90年代初頭から活動を開始し、Sven Vaeth の目に留まるやたちまちドイツで頭角を表しました。更には'00年より本格的に始動した Sven のライフワークともいえる「Cocoon Recordings / Cocoon Club」創立の立役者の一人として活躍し、毎年スペイン・イビザで行われる Cocoon Club のレジデントDJを勤めるなどその活動は世界に
広く認知される様になりました。昨年、東京 WOMB で開催されヒロ・ヤマガタガがレーザーインスタレーションを披露した事でも話題になった「Mettrippin」にもDJ出演した事で、ご存知の方も多いと思います。最近では「nummer schallplatten」というレコードレーベルを設立し、世界中のテクノファンより多大な支持を受けています。
テクノ…と聞くとドイツを思い浮かべ、更にはラブ・パレードの舞台となり、世界的に有名なクラブ「Tresor」があった都市となると、多くの人がベルリンを思い浮かべる事でしょう。そしてリッチー・ホウテイン等のアーティストが多数住んでいる事からも、ベルリンという都市はドイツの中でもテクノという音楽マーケットにおいて中心的な役割を果たしている都市である事には間違いありません。しかしながらフランクフルトという都市も、近代テクノの発展、という観点からは非常に大事な場所であり、ベルリンとはまた違った大きな音楽シーンを作ってきた場所でもあります。そんなフランクフルトにまつわる多くの話をこのインタビューで聞く事が出来ました。きっと皆さんにも興味深い話だと思いますのでじっくり読んでみてください!
Dr. Shingo : こんにちはフランク、エレクトロニックXへようこそ!これから色々とあなたの音楽キャリアやプロダクションに至るまで沢山お聞きしたいので宜しくお願いします。まずはあなたの出身地、ギエッセン(Giessen)の事を日本の皆さんに紹介してくれますか?後、まだギエッセンに住んでいた頃のお話とかも・・・。当時どんな事に興味がありましたか?
Frank : やあシンゴ、そして日本の皆さんこんにちは!こうやって日本のみんなに自分の事や音楽の事を話せて嬉しいよ!!…さて挨拶はこれくらいにして(笑)。子供の頃は何と言ってもスケートボードに夢中だった。物凄く好きで、今だってたまにやってるよ。よく学校が終わったら友達と連れ立って一日中スケートボードで遊んでいたよ。毎日スケートボード三昧さ。その当時聞いていた音楽といえば… coldplay、depeche mode、roisin murphy、norah jonas …それから…キリがないね(笑)。アルバイトしていた頃とかよくそういう物を聞いてインスピレーションを受けていたような気がする。もちろんクールなエレクトロニック・ミュージックもね。よくこういう質問をされるんだけどいつも返答に困るよ。要は何でも聞いていたって事だね!!
Dr. Shingo : 生まれ故郷のギエッセンにも音楽シーンがあったりしましたか?
Frank : そうだね、小さいながらもみんな音楽を聞くのが好きだし、ローカルなシーンがあるよ。人口10万人位の都市で学生が多いね。ドイツではとても有名な大学がギエッセンには2つあって、若い連中の中でちょっと変わったカルチャーが受け入れられる土壌があるんだ。
Dr. Shingo : 小さい頃に楽器を演奏した経験はありますか?
Frank : キーボードをたまに演奏するかな。とてもプロのキーボーディスと比べられないけどね(笑)。友達の前だけだけど、マイクで歌ってみたり…。
Dr. Shingo : それは是非新曲で披露して下さい(笑)。じゃあDJはいつ頃から始めたんですか?なんでDJになりたい、と思ったの?DJを始めた時はどんなレコードをプレイしていましたか?
Frank : 16歳の時だね。地元のギエッセンで100人くらい入るクラブで水曜日の夜にDJをしていたよ。もちろんギャラなんて貰っていなかった。俺はちょうどそのクラブの先の角に両親と一緒に住んでいて、水曜日の夜が来るとスケートボードに乗ってレコードバックを抱えて…そんなカッコでクラブに通っていたんだ。よくDJは重いレコードバッグを小さな折りたたみ式のキャリアーに載せているだろ?だけど俺はスケボーでレコードを運んでいたんだ(笑)。そのクラブは「gonzo`s」という名前で、その頃仲の良かった友達がヒップホップのDJやっていて…既に俺より有名だったし素晴らしいDJなんだけど、その彼が俺に水曜の夜、一緒にDJやらないか?って誘ってくれたんだ。それがDJの始まりかな?俺は14、15歳くらいからレコードを買うようになったんだけど、その俺を誘ってくれた友達は俺がテクノ、エレクトロ、ハウスやら沢山レコードを持っているのを知っていたんだよ。しかもそのレコードコレクションの一部は父親の物だったりするんだ。父親も大の音楽好きでね、kraftwerk、jean-michelle-jarre、the beattles、doors、tangerine dream …親父もエレクトロニックやロックが大好きだったね。親父は仕事が休みの日には家でkraftwerk や jean-michelle-jarre を聞いていた。今の自分があるのは、きっとそういう所からも影響を受けているんだと思う。でもって、今現在でも頭の中や耳や自分が吸う酸素にまでそういう音楽がこびり付いているんだよ。boing bum chack, ttettechno …ハハハ!そうこうしているうちに16才になって学校を辞めてフランクフルトに引越し、それからは完全に音楽漬けの生活を送るようになった。フランクフルトに移ってから「delirium record」(デリウム・レコード)で働くようになって、R&S Records みたいなコアなテクノサウンドに夢中になったな。91年から96年の5年間働いたよ。きっと驚くかも知れないけど、店員仲間に joerg henze、ata macias、heiko mso、joe jam、ricardo villalobos なんかも居たんだよ。
Dr. Shingo : フランクフルトのレコード屋でいつも名前が挙がるのがデリウム、フリーベースがありますが、フランクもそこで働いていたんですね。しかも店員が層々たる面子だし(笑)。さてフランクフルトに移り住み、今でも語り継がれるクラブ「Omen」(オーメン)と出会う訳ですが…。レジデントDJになったきっかけは何だったんですか?
Frank : まあ簡単に言うとスベン(Sven Vaeth)に出会ったからだね。まだ俺がデリウムで働いていた当時スベンもよくレコードを買いに来ていたんだけど、俺は新譜の中から彼にカッコイイレコードを薦めていて、スベンも俺が薦めたレコードをよく買ってくれたんだ。そんな事からスベンと友達みたいな関係になって来て、ある日彼が「DJしないか?」って言ってくれたんだ。ある休日の前の夜で…確かそれも水曜だった気がする(笑)。その夜の事は今でも鮮明に覚えてるよ。俺も楽しかったしみんなも凄く楽しんでいた。しかも初めて人前で7時間もDJをしたんだ。DJをした事がある人なら分かって貰えるかも知れないけど、自分にとって初めての大舞台の時だったからものすご〜〜く緊張してたんだ(笑)。で、無事にDJを終えた後、クラブのオーナーとスベンが俺にこう言ったんだ。「良くやった。これからはスベンの後と、土曜日の23時から5時までおまえにDJ任せるからな。」感激したよ。それからドイツでは有名なトランスDJの dj dag と一緒に土曜日のレジデントDJになったという訳。何故か金曜日がテクノの日だったんだけど、スベンが休暇で休みの時は俺が金曜日もDJしていたよ。金曜プログラムのゲストだった joey beltram、laurent garnier、speedy j、paul van dyk みたいな大物DJと一緒にDJをしていたね。92年から98年頃だったかなあ?その頃の Omen のレジデントDJといえば、金曜日がスベン、dag と俺が土曜日、後はゲストDJって所かな…。
Dr. Shingo : Omen というクラブについてお聞きしたいのですが…。日本人で実際にフランクフルトに足を運び、Omen に遊びに行った日本人はとても少ないと思います。もうクラブ自体は既になくなっていますしね。
Frank : その通り。
Dr. Shingo : しかし今現在も、ドイツより来日したアーティストのプロフィールの中にはたまに Omen の名前を見る事があります。どんなクラブだったんですか? Omen でレジデントをしていた頃の何か面白いエピソード等があったらこのコラムを読んでいる皆さんに紹介してもらえますか?
Frank : Omen は自分にとっては音楽の学校のような存在であり、沢山の事をそこから学んだんだ。自分のDJとしての人生には無くてはならない存在でもあった。キャパとしては700〜800人位のハコで、フロアの真中に丸い大きなアイランドバーがあった。だけど毎週1600人から2000位の人が遊びに来ていていつも窮屈な思いをしていた(笑)。そんなに人を入れるのはおかしい、って位ね。いつもクラブの前には数百人単位の人の列。入るのにも一苦労だった。真冬でもクラブの中は人の熱気で夏みたいに暑かったね。当時、Omen のドアスタッフやセキュリティが異常に厳しくてね、誰でも簡単に入れる、って訳じゃなかった。何を基準に人を選んでいたかは分からないけど、とにかく入れた人はクラブに入れただけでもハッピーだって言っていたよ。サウンドシステムは、俺のDJライフの中でも最高に位置するね。ライティングも凄く良かった。ライティングの機材はそれまでに無かったような特別な物を使用していて、Omen は当時の最新のライティングを開発したクラブとも言える。それくらい凄かったんだ。いつもライティングを担当していた奴は、まるでDJがレコードを回して客を踊らせるが如くライトを自由自在に扱っていた。みんな朝の9時とか10時過ぎまで遊んでいて誰も帰りたがらなかった。特にスベンがDJしていた夜は盛り上がりはハンパじゃなく、彼がDJしている時はいつも誰かの誕生日祝いをしているようなバカ騒ぎだったよ。96年から97年位にかけて、クラブに関わる変な噂話が出るようになってね、しかも本当にあったかもどうか分からないようなくだらない話だよ、そのお陰で Omen はクローズせざるを得なくなってしまった。こんな感じで Omen というクラブはとてもスペシャルな空間だったんだ。Omen に足げに通っていた連中はまだフランクフルトに大勢いるんだけど、大半の奴らがもう前ほど頻繁にクラブに行かなくなったと話しているね。中には、「フランク、もう前みたいな事は起こらないよ」なんて言う人もいるよ。だけど物事はいつでも変わるしね。そういう変化が俺は好きだし。Omen は夢物語にならなくてはいけない「夢」だったんだよ。そして自分自身、その歴史の一員になれた事を誇りに思っているよ。
Dr. Shingo : フランクフルトのエレクトロニック・ミュージックを語る上で、絶対外せないクラブの貴重な話を聞くことが出来て嬉しいです。その Omen 等で築き上げたコネクションから、94年以降 Pascal F.E.O.S.、Toni Rios、Jorg Henze らと曲を一緒に作るようになってきましたね。どんな経緯からですか?
Frank : Pascal に初めて会ったのは14歳位の時かな? 彼は例のギエッセンにあるクラブ…ちょっと前に話した俺自身もDJしていたクラブで木曜日の晩プレイしていたんだ。ウォッカが一杯50セントで買えてエントランスがタダなクラブでお互いプレイしていたのさ。当時パスカルは木曜日の早い時間が出番で、当時から良いプレイをしていたよ。gonzo`sは俺の地元では有名なクラブでみんなそこに行っていたよ。パスカルは結構人気があるDJだった。彼の家は俺の家から30キロ位離れたところにあって、一度遊びに行った所から12インチを作らないか、って話になったんだ。そうやって出来たのが「explicit」というシングルで、結構評判は良かったんだ。その後2枚目のシングルを作ったりして…パスカルとはそれくらい古い付き合いって事だね。joerg henze とは、これもさっき紹介したデリウム・レコードで知り合ったんだ。仕事でしょっちゅう話さなきゃいけない間柄だったしすぐ友達になったよ。あと toni rios (笑)。奴とはもう幼馴染といった仲で、初めて会ったのは11歳の時。出会ったのは地元の子供向けのディスコみたいな所で、土曜日の昼間の12時から夕方6時までしかやっていない店だった。俺の母親が車でそこまで送っていってくれて、帰る時間になると迎えに来てくれたんだ。トニーもたまにそこに行っていて、時々顔を合わせるような感じだったね。トニーの方が4,5歳年上だから彼はお母さんに送り迎えしてもらってなかったと思うね。ハハハ!
Dr. Shingo : 何だか思い出話を沢山してもらった様に思いますが(笑)、一人で曲作りするより、2人でやった方が上手く行きますか?今フランクフルト近郊にあるoffenbach(オッフェンバック)にスタジオを構えていると聞いていますが、どんな機材を使用していますか?
Frank : そうだね、一人でやってるより2人でやっている方が断然上手く行く。そっちの方が一人で行き詰まって時間だけが過ぎて行く事は無いし、いろいろと意見を出して曲を作ったりする方が面白いよ。例えば今なら 2 dollar egg`s というアーティスト達とスタジオをシェアしているし、プロダクションパートナーである sikora と一緒に作業をしたりとか…。俺には沢山の友達がいて、その彼らと暇を見ては曲作りをしている。今スタジオでは cubase をメインに abbleton live やreaktors なんかを使ってるよ。
Dr. Shingo : それでは次にあなたのレーベルである「nummer schallplatten」についてお聞きします。nummer の立ち上げは何時ですか?所属しているアーティストについてもお聞きしたいのですが…。
Frank : nummer は3年前から始めたレーベルだよ。もう他のレーベルにデモテープを送ったり返事を待ったりするのが嫌になって一念発起したんだ。今テクノミュージック界のビジネスの基本は自分で行動を起こす事だからね。nummer から新しい音や新しいアイデアを発信する事が出来てとてもハッピーだよ。 今所属しているアーティストは、 matthew dear、someone else、denis rusnak、2 dollar egg,、johannes heil aka project 69 ( frank lorber) , sikora, coming soon with some remixes is jacek siencewicz ( cocoon) and krikor ( katapult ) なんかがいるね。詳しくは nummer のウェブをチェックしてみてよ。 http://www.nummer-schallplatten.de
Dr. Shingo : 前に来日した時に僕と2人で話した時に一つ面白い事を言っていたんだけど…覚えてますか?あの時フランクは、「何かプログレッシブ(ここでは進化している、という意味で)なサウンドを探しているんだ」と言っていましたね。今現在、その自分が思い描いているプログレッシブなサウンドに到達出来たと思いますか?例えばそれはフランク自身のDJとか、レーベルからのリリースでも良いんだけど…?
Frank : そうだ、そんな話したね。今現在さまざまなサウンドに興味があるし、自分の発信している音楽がミニマルなのか、テクノなのか、ハウスなのか…カテゴライズが難しいんだけど…。ともかく新しい nummer のリリースを聞いて欲しいんだ。それを聞いてもらえば、今俺がどんなサウンドを提示したいのか分かってもらえると思う。確かに自分自身、なにかプログレッシブ(進化)したサウンドを追い求めているからきっとDJにもそれが現れていると思う。でもそれが本当の自分が追い求めているプログレッシブなサウンドになっているかは分からない。とにかくいつも高いクオリティのサウンドを求めているのは確かだよ。
Dr. Shingo : それは良く分かります。nummer のリリースは毎回とてもクオリティが高く、ここ日本でも多くのファンがいますからね。言葉より実際に聞いてそれを体感して欲しい、といったところですね。
Frank : そうなんだ。言葉で説明する事にまごついているくらいなら実際にDJしたり、レコードを持っていった方が早いよ。それに自分の追い求めるサウンドは何時も変化するからね!
Dr. Shingo : フランクがよりプログレッシブなサウンドを求めているのと同じように、シーンも新しいトレンドが求められていて、今ヨーロッパではミニマル/ハウスが新しいトレンドの一つとして確立されていますね。僕も昨年10月にヨーロッパにツアーに行ったときにその事を強く実感しました。今のテクノシーンの流れをどう思いますか?
Frank : ちょっと前まではハードテクノのシーンはとても大きくそういったレコードが巷にあふれていた。しかしもうみんなハードテクノは聞かない。あのシーンは長く続きすぎたんだ。ある日突然みんな手のひらを返したかのようにミニマルを聞き始めてからもう2年は経ったかな?僕の感触としては、みんな既にそのミニマルやクリックにさえ飽き始めてきたんじゃないかな。もっとプログレッシブな(ここで言うプログレッシブはジャンルを指す)方向に向かっている気がするなあ…でもBPM137とかは無しだよ(笑)。こういう変化は凄く大事だと思ってる。だってこの前試聴したハードテクノのレコードはライドシンバルとクラップサウンドがやたら大きいし、メロディも無くて退屈なものだった。オーディエンスはメロディが聞きたいんだ。みんなそれを恋しがってる。だからミニマルが今もてはやされているのさ。だってミニマルにはメロディが入るスペースが十分にあるからね。
Dr. Shingo : なるほどね。じゃあDJとしてのフランクの話をお聞きしたいのですが…フランクはDJとしても世界中を飛び回っていてここ日本も数回来日していますね。もし一つ選べ、と言われたらどの国がベストですか?
Frank : もちろん東京は大のお気に入りだよ!だけどつい先日まで滞在していたドミニカ共和国も凄い(笑)。去年の大晦日から今年の元日にかけてカウントダウンパーティーをビーチでやったんだけど、2000人もの音に飢えたドミニカンが目の前で踊っていたんだ。あれは去年のベストギグの一つに数えられるね。僕のサイトである www.franklorber.de をチェックしてみてよ。その時の模様を写真で掲載しているから。とにかくスゴイパーティーだったよ(笑)。そのドミニカの島では年に2回位プレイしていて、初めて行ったのは5年前かな。人は親切だし、天気は最高、もう小さな楽園、といった感じ。大概は一回の滞在で10日以上を過ごすよ。友達も沢山出来たし、一言で言えば fucking great!!! (笑)
Dr. Shingo : いいですね〜。日本についてはどう思いますか?日本のテクノシーンなんかにも何か思うところはありますか?
Frank : 日本のシーンはとても良いと思うよ。マジメに。音楽に対してとても真剣だと感じる。いつも日本でプレイする時には沢山の人達がDJブースの前に集まってくれてDJとコンタクトを取ろうとしてくれる。そうしてくれる事でDJの気持ちとオーディエンスの気持ちがリンクすると思うんだよね。それにクラブで働くスタッフだって、オーガナイザーだっていつも気持ち良い仕事をさせてくれるし、そういう環境を作ってくれるよね。日本人が持っているメンタリティーも素晴らしいと思うし、東京はキレイな都市だと思うよ。料理だって日本はいつもおいしいものを食べる事が出来るし、街を歩いているみんなのファッションも凄くクールだ。いつも日本に来れる事を嬉しく思うし、間違いなく俺のフェイバリットな場所の一つだよ!!
Dr. Shingo : 去年行われた Mettrippin にも出演しましたね。あのパーティーは如何でしたか?レーザーインスタレーション驚きましたか?
Frank : WOMB で3回ほどプレイしているけど、ベストパーティーだったね。オーガナイズも素晴らしかったし、パーティー自体も最高だった。ヒロ・ヤマガタのレーザーにもビックリした。あんなレーザーの演出初めてみたよ。俺達もDJ頑張ったけど彼はもっと凄かったね。完全にもっていかれた(笑)。
Dr. Shingo : では次にDJの機材やデジタル機器についてお聞きします。現在アナログのターンテーブルがメインだと思いますが、将来的にファイナル・スクラッチやトラクターみたいなコンピューターベースのDJシステムに乗り換えようとは思いませんか?そしてこれも多くのアーティストにしてきた質問ですが、これからの若い世代のデジタルファイルを使ったDJスタイルの普及にはどういう意見をお持ちですか? nummer のリリースも mp3 ショップで数ユーロの課金で簡単にダウンロード出来るようになっています。こういう新しいビジネスはいずれアナログレコードの文化を小さくする原因になると思いますか?
Frank : まず俺のDJのシステムから説明すると、指摘の通りアナログの機器を使ってDJする…つまりターンテーブルとDJミキサーがあれば十分って事だね。俺はラップトップだけ持ってクラブに行くアーティストにはなれないな。やっぱりレコードのジャケットを見て曲を思い浮かべたり、バッグの中身を見ながらDJの組み立てをしていく方が自分のやり方だと思うしね。トラクターやファイナル・スクラッチを見ながら一晩中DJは出来ないな。オフィスで働いている訳じゃないんだから。まだまだ4,50キロあるレコードバッグを引きずり回すのは苦にならないよ。ハハハ!もちろんターンテーブルを持っていない人や、お金を中々レコードを買うのに回せない人達にとってはテクノという音楽に触れてもらえる素晴らしいチャンスである事は認識しているよ。それでも俺の小さい頃とかと比べるとまだ変な感じがするけど…。だけどそういったデジタルマーケットがアナログレコードのマーケットを殺すような事は起きないと思うな…。少なくとも俺がDJしている間は続いてもらいたいね(笑)。だけど考えれば時代は凄くなったよ。小さなCDの中に数メガ、数ギガバイト並みの音楽ファイルをファイリング出来てそれがあれば幾らでもDJが出来る。レコードなら何箱バッグが必要になるのかって位にね。未来は素晴らしい!
Dr. Shingo : DJ never dieですね(笑)。これでインタビューはおしまいです。長い事インタビューに付き合ってくれて本当にありがとう!最後にお決まりの質問ですが、音楽とはあなたにとって何でしょう?もしこのサイトを見てくれている皆さんにメッセージがありましたらどうぞ!
Frank : 音楽とは…俺の人生であり、俺の母親の様な存在だったり父親の様な存在だったり…そして俺の最高の親友。2006年も日本を是非訪れたいね!またみんなで面白いパーティーしたいね!!そして、このインタビューを最後まで読んでくれてありがとう。またみんなに会える日を楽しみにしているよ!
End of the interview
Dr.SHINGO プロフィール
長野県出身。幼少から様々な楽器を演奏し、米国・バークリー音楽院への留学を経て2001年よりデモテープの配布を開始、最終的に故 christian morgenstern のレーベ ル Forte Records よりアルバムリリースのオファーを受ける。2002年デビューシングル「Have you ever seen the blue comet?」でワールドデビューを皮切りにアルバム「Dr Shingo's Space Odd-yssey」をリリースし、一躍その名を世界に轟かす。Sven Vath、石野卓球、等のトップアーティストからも絶大な評価を得、世界各国からリミックスの依頼が舞い込むようになる。 2004年5月にはセカンド・アルバム「ECLIPSE」をドイツの TELEVISION RECORDS よりリ リース (日本盤は先行で3月にMUSIC MINE よりリリース)。約2年間の活動の中で20枚ものシングル、アルバム、リミックスワーク、そしてコンピレーションCDへの楽曲提供を果たし、名実共に日本を代表するエレクトリックミュージック・プロデューサーへ と成長した。幅広い音楽の知識を持ち、それを余す所無く自身のプロダクションに応用する事により、実験的であり、斬新なトラックを発表、常に現在のテクノシーンを前進させようとする姿勢を崩すことは無い。特に類を見ない抜群のメロディセンスが彼のプロダクションに更なる“ポップ”なエッセンスを加えている事により、孤高のエレクトリックミュージックを発信し続けている。
バックナンバー
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連載第1回 : Interview with Monika Kruze
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