HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

Tobi Neumann Interview

ミュンヘン出身で現在はベルリンにその活動拠点を置くDJ/プロデューサーTobi Neumann。1995年にラブパレードの衝撃に触れ、31歳と言う年齢ながら職業DJとしての活動を決意した彼は、プロデュースを手がけたChicks On Speedの大成功により大きな注目を浴び、たった数年の間にヨーロッパのダンスシーンの中心に躍り出ることに成功してきた。最近では、盟友Thies Myntherと共に、Miss Kittenのプロデュースに関わる事で更にその名声に拍車をかけ、Sven Vath率いるCocoonの刺客として世界中を飛び回る忙しい毎日を送っていると言う。今回、かつてWOMBのパーティーで共演した石野卓球からの誘いでWIRE04へ初参加を果たし、初日のセカンド・フロアの2番手として登場したTobiにHigherFrequencyがインタビューに成功。名前は良く耳にするが、なかなか実像の伝わる機会のなかったアーティストの生の声に迫ってみた。

> Interview : Laura Brown (Arctokyo) _ Translation & Introduction : H.Nakamura (HigherFrequency)

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HigherFrequency (以下HRFQ) : WIREでプレイするのは今回が初めてですよね?石野卓球と知り合ったきっかけは?

Tobi Neumann : 僕は毎年ラブ・パレードの開催期間中にLove RadioでDJをしているんだけど、その時ベルリンにいた卓球が僕のプレイをたまたまラジオで聞いて気に入ってくれてね。それで彼がWOMBでやっているイベントにゲストとして招かれることになったんだ。それが2年前だったかな。で、遂に今回、Wireにゲストとして招かれる事になったというわけ。というわけで、今回が初めての参加だったけど、とても楽しかったね。

HRFQ : あなたの音楽的背景を教えてもらっても良いですか?最初に音楽を始めるきっかけは何だったのでしょうか?

Tobi : 18歳の頃には既にDJをやっていたんだけど、当時のDJは今みたいなヒーローでも何でもなくて、ただレコードをプレイする人って感じだったから、しばらくしてからサウンド・エンジニアーを職業にする事にしたんだ。TV局との仕事なんかが中心だったかな。だから、初めてラブ・パレードに参加した時には31歳になっていて、でも、その時に三日三晩パレードを経験した事がきっかけで、DJになろうって決心をしたというわけ。で、1年半位たった時に、ミュンヘンにあるUltrashalfというクラブで、ハウス系のパーティーをやるチャンスが巡ってきて、そのパーティーに腕の立つDJをゲストとして招いて多くのことを学んでいった・・・そんな感じだったかな。

Chicks on Speedのプロデュースを始めたのも丁度その頃だね。彼らのプロデュースを始める前から、映画のサントラやコマーシャル、それにロックバンドのプロデュースなんかをテレビ局での仕事と並行して行っていたし、自分自身のスタジオも持っていたから、背景は充分に整っていたんだけど、エレクトロニック・ミュージックを手がけるのは全くの初めてだったんだ。まぁ、そんな感じでChicks On Speedのプロデュースを始めたわけなんだけど、それが最初からすごく上手く行ってね。で、その成功をきっかけに色んなクラブでプレイする話が来るようになって、Sven Vathとも知り合うことになったんだ。Svenは僕にとってとても大切な存在で、彼のおかげでイビサでプレイする事も出来たし、フランクフルトのクラブでプレイする事も出来たし。で、そのフランクフルトでは、Playhouse PosseやAta、Heiko、Alter EgoのRobert、Groove Magazineを主宰しているDJ Tなどから色んな影響を受ける事が出来たんだ。だから、あの街での経験は僕にとってスゴク重要なものだったと思うね。まぁ、そんな感じで、テレビ局の仕事を辞めて、DJとしての職業に専念するようになったのかな。正直って、こんな事になるなんて全く期待すらしていなかったけどね。

HRFQ : Chicks On Speed以外に、Miss Kittenともコラボレートされていると思いますが、それ以外に何か進行中のプロジェクトはありますか?

Tobi : 今まで、本当にたくさんのアーティストのプロデュースを手がけてきたんだけど、そろそろ自分自身の作品に取り組んでいこうと思っていて、今はThies Myntherと一緒に、Gloveというプロジェクトを進めているんだ。Thiesは、Super Punkというノーザン・ソウル系のバンドや、それにDie Sterneと言う名前のすごくアーティスティックなエレクトロニック・ユニットなどを中心に色んな活動をしているアーティストで、彼とは、数年前に出会ったんだけど、最近になって一緒に制作を始めるようになったんだ。Miss Kittenのアルバム・プロデュースも、このGlove名義でやったし、Playhouseからシングルを出したり、4曲入りのEPを制作したり、その次にはアルバムも一緒に制作する事になっている。今のプロジェクトと言うと、そんな感じかな。あと勿論、DJとしての活動も精力的にやっていて、フェスティバルなんかを中心に1週間に3回プレイする事もある。先週はオランダにいたし、今は日本でしょ。来週にはイビサに彼女と一緒に行く事になっていて、AmnesiaのCocoonパーティーでもプレイする事になっているしね。だから、毎日とても忙しくしているよ。

HRFQ : 最近、ベルリンに移ってきましたよね、

Tobi : 3年半前にミュンヘンから移ってきたんだ。ミュンヘンは僕の実家だし、家族はそこに今でも住んでいるんだけど、そこには自分を理解してくれるような同志を見つけることは出来なかったんだ。「36、7歳にもなって、週末寝ないでDJをしているなんて、どうかしているんじゃないの?」とでも言われんばかりの状況だったからね。だから、みんなが当たり前のように週末をそうやって過ごしているベルリンに出てくる必要があったんだ。

HRFQ : 旧西ドイツの街から旧東ドイツの街へ移ってきて、何か気持ちや物の見方に変化はありましたか?また、それはアーティストとしてのあなたに何かの変化をもたらしましたか?

Tobi : ベルリンに来た直後は、クラウドを喜ばせる事もそんなに簡単じゃなかったし、プレイしていて楽しい場所を見つけるのも大変だったんだ。それに、ベルリンには移ってきたものの、毎週末、西側のどこか、例えばスイスとかでプレイをしていたから、最初は馴染むまでに時間がかかったかもね。でも、次第に東側でも素晴らしいDJプレイを体験したり、色んな良い人達にもめぐり合ったりするようになって、最近ではやっと東側でも自分のベースが出来たような気がするね。確かにベルリンは良いところだし、両手を広げて君を迎え入れてくれるだろう。でも、時間はどうしてもかかるんだ。ここの人々は貧しくて、ミュンヘンのように金銭的に恵まれた地域からやってくれば、多少のジェラシーもあるだろうしね。でも、ベルリンに来ると、本当に何も持っていない人達に出会ったりするんだけど、それが却ってこの街に自由な雰囲気を与えているんじゃないかと思う。なぜなら、ここでは商業的な要素は、それほど重要なものとして捉えられていないからね。その意味で、ここは他の街とかなり違っているんじゃないかな。まず、他の街では住む場所にすごくお金がかかるでしょ。でも、ベルリンは違うんだ。たくさんの人達が、色んな良いアイデアを胸にこの街を訪れるんだけど、でもお金は持っているわけじゃないからね。だから、今はここでの生活をとても楽しんでいるよ。ちょっと汚いところもあったりするけど、大きな街だから仕方のない部分でもあるしね。

HRFQ : 最近ではニューテクノロジーがアーティストにとって重要なテーマになりつつありますが、未来のエレクトロニック・アーティストにとって、どのような技術が実際に使われていく事になると思いますか?

Tobi : 未来は既に始まっていると言って良いんじゃないかな。だって、僕らは既にラップトップに入っているトラックをプレイしているわけだし、それにそのトラックだって、ベルリンで腰掛けながら、インターネットを通じてデトロイトの友達から入手する事だって出来るわけだからね。だから、これは全てのエレクトロニック・ミュージックのアーティストやメディアにとってすごいチャンスだと思うよ。このAbletonのLiveにしたってそうさ。これを使えば、トラックを走らせている間に何だって出来るわけだし、3年前にこれが出てきた時は、本当にすごい衝撃だったんだ。だって、新しいファイルをすぐさまプログラムに読み込む事が出来て、そのプログラムが自動的にBPMを認識する事で、全てのファイルを同時にミックスしてプレイバックできる訳だからね。これによってライブパフォーマンスの可能性は随分と広がったんじゃないかな。

HRFQ :現在レジデントDJとしてプレイしているクラブはどこかありますか?

Tobi : 近いうちに、フランクフルトに新しく出来たSven VathのCocoonクラブでレジデントをやる事になっている。これはとても大きなプロジェクトで、何かをゼロから作り上げるっていうのは、とても良いチャンレンジだと思うんだ。あと、僕の一番のお気に入りのクラブ、The Robert Johnsonでもレジデントを1年に4回程度はやっているし、イビサのAmnesiaや、デュッセルドルフのTribe HouseやNoiseなんかでもしょっちゅうプレイしているよ。でも、今一番大きなレジデントは、このCocoonでのレジデントかな。8月7日に始めてプレイする予定なんだけど、とても楽しみだね。

HRFQ : あなたのDJブースのセットアップを教えてもらいたいのですが?ファイナル・スクラッチや、トラクターなどを使ったりもするのですか?

Tobi : いや、使っていないね。僕はDJを始めたのが遅かったと言う事もあって、2、3台のターンテーブルを使って表現できる事が充分にあるんだ。勿論、何か未発表の新曲をプレイしたい時は、CDを使うことはあるけど、今のところDJに関しては、3台のターンテーブルで充分だね。

HRFQ : 最近あなたが耳にした新しいアーティストの中で、誰かインスパイアされたり、チャレンジ精神をくすぐられたような人はいますか?

Tobi : 僕的には、東ドイツ出身のRobag Wruhmeだね。Gabor Schablitzkiという一人の天才がこのプロジェクトの中心人物で、彼はこれとは別にSoren Bodnerと一緒にWighnomy Brothersというユニット名義でも活動しているんだ。彼らはレーベルも二つ持っていて、一つはFreude-am-Tanzen (ドイツ語で「踊る楽しみ」という意味)で、もう一つがMuzik Krause。そのGaborが僕にとって今のところ一番ビッグな存在だね。それから、勿論Luciano。彼とは、Richardo Villalobosとの付き合いを通じて個人的にも親しい間柄なんだ。あと、カナダのMatthew Johnsonなんかもすごいアーティストだね。それに、Poker FlatからリリースしているGuido Schneiderも、ベルリン期待の新星って感じかな。それからDinky。彼女は本当に才能があるからね!

HRFQ : 日本に女性DJを招聘するのは、なかなか大変なんですよね。

Tobi : そりゃ良くないね。女性も男と同じくらいに、パーティーを盛り上げる事が出来るんだって事実に早めに慣れるべきだと思うよ。全く違いはないし、違いがあるとすれば、それはある人が頭の中で考えている違いって事だけじゃないかな。ドイツでは、女性DJがプレイする事もどんどん当たり前になってきているし、ここ日本でもいつかそうなっていくと思うよ。もちろん、Miss KittenやMonika Kruseと言ったビッグネームについては既にそうかもしれないけど、きっといつかはDinkyやMagda、それにケルンのAdaのように才能溢れる女性DJ達も招聘するようになるんじゃないかな。

HRFQ : あなたにデモテープを送ったり、コンタクトを取ったりするのにはどうすればよいのでしょうか?

Tobi : Cocoon Agencyを通じてが良いと思う。

HRFQ : 最後に何か日本のファンにメッセージは?

Tobi : ヨーロッパの女性DJをもっと聞こう(笑)。あと、ずっと笑顔でいよう!

End of the interview

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