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international news _ 2006.09.22

Diddy vs P.Diddy - 名前争いの勝敗はいかに?

Text by Jonty Skrufff _ Translation by Terumi Tsuji

90年代の大ヒット・ナンバー ‘Give Me Love’を初め、名門 Positiva レーベルより数々の ヒットソングをリリースしているハウス・プロデューサー「Diddy」こと Richard Dearloveと、 アメリカのラップ・スター Puff Daddy との間で問題となっていた名前争いは、Puff Daddy が法廷外の和解に合意し、和解金10,000ポンド(約220万円)を支払うことで幕を閉じた。

ヒップ・ホップレーベル Bad Boy の設立者 Puff Daddy は、まず'91年に P.Diddy に変名。その後、'05年8月には‘P’を取り、Diddyと改名。「それには正直驚きを隠せなかった」と Richard は Skrufff に語ってくれた。

「他人が自分と同じ名前を使ってることを知って、まず最初に思ったのは『これから俺は一体どうなるんだろう?』だったね。だって考えてみなよ。俺が何かリリースしたとしても、それが俺なのかもう一人の『俺』なのか誰も区別がつかないんだぜ。俺が存在しなくなるということは、今後名声を得るどころか、今まで築き上げてきたモノ全てが水の泡になるのさ」

名前騒動に加え、Richard は、'01年の大晦日に起きた事故による脳障害に今だ悩まされている。それにより彼は視力を失い、2年以上家に籠もりっぱなしだったという。

「足を滑らせて、階段から落ちたんだ。それで左脳にダメージを受けてしまって、目が見えなくなったし、話をすることも殆ど出来なかったよ」と彼は当時の様子を話してくれた。

時が経ち、少しずつ視力や感覚が戻ってきたところで、彼は昨年クラブ業界に復帰することを決め、古くからの友人 Daz Saund と一緒に大人気ゲイ・パーティー「Megawoof」をスタートさせた。その後プロデューサー業も再開し、再び地に足をつけようとしたところで Puff Daddy の件を知ったという。

「そのニュースを知った朝は、まさに腸をえぐられるような気持ちで、途方に暮れるしかなかったよ。裁判に負ければ一文無しになるのは目に見えてたから、法廷に持ち込むのにはかなり勇気が要ったよ。世の中には、金目当てや、注目を浴びたいがために裁判を起こす人もいるけど、俺はけっして裁判なんて起こしたくなかったんだよ。しかも和解金もたった10,000ポンドだったしね。でもお金なんでどうでもいいんだ。俺は彼に『コレは俺の名前だから、君は元の名前に戻してくれないか?』って言いたかっただけなのさ」

それ以来、Richard の元にはアメリカからメールが殺到しているという。しかし彼は今回の件は水に流し、イベントのオーガナイズとニュー・シングル‘The Reason’のプロモーションに全力を注ぎたいと語っている。

「今や Megawoof は大人気さ。もっと頻繁に開催することも考えたけど、これはこのままスペシャルなパーティーとしてとどめておきたいんだ。パーティーを開催しているCrashには毎回800人以上のお客さんが来てくれるし、本当はもっと多くの人に楽しんでもらいたいけど、それにはあのクラブは狭すぎるね。だから Megawoof のワールドツアーも行ってるんだ。他にも新しいレーベルを立ち上げる予定だし、ニュー・シングル‘The Reason’のリリースしたばかりさ。フロアーにピッタリなディスコ・チューンに仕上がってるよ。これから2、3ヶ月はその曲のプロモーションで大忙しさ」

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