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Larry Tee

international news _ 2006.07.24

Larry Tee - Twilo の復活を非難

Text by Jonty Skrufff (Skrufff.com) _ Translation by Kei Tajima (HigherFrequency)

Giuliani 市長による悪名高い“ナイトライフ・キャンペーン”によって、7年前に閉店に追い込まれたものの、7月22日にマイアミに新しくオープンすることとなった ‘90年代の NY を象徴するクラブ Twilo だが、そんな新生 Twilo もニューヨーク・シーンのベテラン Larry Tee を感動させることは出来なかったようだ。

「マイアミの Twilo は、ニューヨーカーには少し退屈かもしれないね。マイアミには既にメガ・クラブがたくさんあるし、しかも、そういったクラブは一つの複合企業によって運営されているんだ」

「ニューヨークの Twilo が持つ最大の意義は、Sasha & Digweed といった プログレッシヴ・ハウス DJ の時代を到来させたところにあるんだ。僕はトランシーなハウスはあんまり好きじゃないけど、マイアミやイビザ、アメリカを訪れるような観光客には受けるんだろうね」

エレクトロクラッシュの名付け親としても知られる彼は、最近ひそかにニューヨークでも随一の DJ になっていたようで、Happy Valley、Distortion Disko、 BANK といったマンハッタンの3つのクラブでレジデントを持ち、毎週3千人のクラバーを前にスピンしているとのこと。しかも皮肉なことに、’90年代中盤に Sound Factory から新しく生まれ変わった Twilo で、DJ をしていたと言うのだ。

「金曜日のパーティーでオープニングを担当していたし、アメリカで Sasha & Digweed 現象を起こす手助けもした。ただ、僕の意見としては、Twilo の全盛期はニューヨークが最も退屈だった時期でもあったんだ。クラバーやダンス・ミュージックが一般化したのはその頃だったからね」

「ハウスがその持ち味を失って、トランスがシーンに入り込んできて…ひどい時代だったよ。エレクトロ・ディスコ・パンク系のようなエキサイティングなヴァイブはなかった。Twilo はまるでステキなパッケージ・シールの貼られた、バカ高いボトル・ウォーターさ。ボトル・サービス文化のためにデザインされたクラブだね」

Twilo がまだニューヨークでその栄華を全うしている時期も、クラブの真上に住みながら、かの Michael Alig による悪名高い Club Kid のイベントに通っていた Larry は、’80年代のユニークなクラブに比べると、Twilo には退屈していたと話す。

「Twilo や Danceteria、Palladium、Area といったクラブを ‘80年代のクラブと比べることなんて出来ないよ。当時のクラブには、生き生きとしたエネルギーやロックやディスコ、アート、ニュー・ウェーヴといったシーンの才能で満ち溢れていたんだ。一方 Twilo は、DJ =神 という時代を到来させたのさ」

「’80〜’90年代初期の頃の DJ は、いろんなジャンルのベストな部分をプレイしていたのに、Twilo で回すほとんどの DJ は同じようなサウンドを一晩中プレイしてる。’90年代 前半に繁栄したドラッグによって、そういった Twilo DJ にとって完璧な状況が作られたんだろうね」

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