HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

Pascal F.E.O.S. Interview

’84年から DJ 活動をスタート、’90年代初頭には Maik Maurice Diehl とのトランス系ユニット Resistance D のメンバーとして活躍していたことでも知られるベテラン Pascal F.E.O.S.。その後は、Resistance D が作品を送り出していたレーベル Harthouse のオーナー Sven Vath 率いる Cocoon Club のレジデントとして名を馳せ、ジャーマン・トランスの血筋を感じさせながらも、ミニマル、エレクトロなどといったその時代の先端を行くサウンドを取り入れながら常に進化を続けるプレイ・スタイルで圧倒的な支持を得ている DJ / プロデューサーである。

そんな彼が、同じく Cocoon のレジデントである盟友 Frank Lorber と共に約1年ぶりに来日。ダークなミニマル・チューンでジワジワとフロアを盛り上げていく貫禄溢れるプレイを披露してくれる直前に、ageHa の控え室で Pascal 自身が主宰するレーベルや、レジデントを務めていた伝説のクラブ Omen のこと、そして今まさにシーズン真っ盛りであるイビザのことなどについて、HigherFrequency が話を聞いた。

> Interview by Nick Lawrence (HigherFrequency) _ Translation by Kei Tajima (HigherFrequency) _ Introduction by Yoshiharu Kobayashi (HigherFrequency)

triangle

HigherFrequency (HRFQ) : 今日はありがとうございます。早速質問させていただいても大丈夫ですか?

Pascal F.E.O.S. : もちろんさ。

HRFQ : あなたが活動を始められたのは ' 84年だそうですね。'80年代、'90年代、そして今のシーンをご自身の目で見て来られたわけですが、あなたにとって一番エキサイティングな時期はいつでしたか?

Pascal F.E.O.S. : テクノが盛り上がり始めた頃は素晴しかったね。クラブ用の洋服やアクセサリーが出てきたり、音楽に関連した仕事や、クラブで働いている人がいたりして、自分たちのクラブ・シーンをクリエイトしているような感じだったよ。そういう部分の印象が大きかったな。Loveparade のようなイベントに百万人以上の人々が集まっているのを見るのも素晴しかったね。だから '90年代には、いろいろなものからインスパイアされたよ。'90年代の終わりにトライバル系の音楽に傾倒していったんだけど、その頃も楽しかったな。そんな感じのサウンドを '04年くらいまで続けて、また違う音楽をプレイし始めたんだ。違うサウンドを始めると、同時にファンも失うことになるよね。今でもハードなテクノ・サウンドを追いかけてるリスナーもいるんだ。ただ、問題なのは、そのハードなサウンドが変化していないってこと。一つのスタイルに固定されていて、新しいアイデアも革新さもない。だから今僕たちはこういう…テクノだけど、少しテッキーなハウスの方向へ向かっているんだ。でも、そうだね。一番面白かった時代は '90年代初期だよ。

HRFQ : '90年代には Resistance D としてEye Q や Harthouse といったレーベルからリリースをされるなど、トランス・シーンで活躍されていましたね。何がきっかけでテクノに方向転換したのですか?

Pascal F.E.O.S. : テクノは初めからプレイしてたよ。でも、'89年はガバが流行ったりして、テクノにとって辛い時期でね。だから僕たちはそういう流れに反逆して、もっとソフトでストリングスが入ってるような音楽をつくろうと思ったんだ。だから Resistance D を始めたのさ。でも、DJ としては常にシカゴやデトロイトものをプレイしてたよ。しかもあの頃のトランスは、今のように派手な感じじゃなかったしね。それが違うところなんだ。今のトランスには、安っぽいヒット・チューンってイメージがあるし、実際それは真実でもあるからね。

だから、僕は決して自分自身を方向転換させてないんだ。あくまでもあれはプロジェクトの一つ。それに、僕は自分のことを DJ だと考えているしね。だって僕は '84年からプレイしてるんだよ。そもそも、僕が DJ を始めたのは、ボスがレコードを買ってきて、プレイするように言ったからなんだ。初めの頃は、DJ してるというより、ボスに渡されたレコードをかけてるって感じだったけど。そんなある日、「女の子がダンス・フロアから消えたら、お前はクビだ」ってボスに言われてね。だから女の子がフロアからいなくならないようなセットをするように努力したさ。だからキャリアをスタートした当時から、どのようにセットをスタートして、ビルド・アップして盛り上るかを勉強させられたんだ。そういう基本的なセット・スタイルは昔からずっと変わってないね。ただ、DJとしては常に革新的でいたいから、新しいスタイルは取り入れるようにはしてるよ。

HRFQ : さっき、自分自身を DJ と考えていると話されていましたが、何がきっかけで楽曲制作をはじめることになったのですか?

Pascal F.E.O.S. : 常にプロデューサーがどうやって曲作りをしてるのかを知りたいと思ってたんだ。何がキーなのかってことをね。楽曲作りを始めた頃は、Uwe Schmidt ( a.k.a. Atom Heart, Senor Coconut, Lassigue Bendthaus…) と一緒にプロデュースをしてたんだけど、彼は素晴しいプロデューサーでね。曲の作り方を教えてくれたんだ。そうやって一度入り込んでしまうと、抜け出せないものなのさ。以前コンピューター情報科学を勉強していたこともあったから、僕にとってコンピューターと音楽はパーフェクトなものだったんだろうね。

HRFQ : あなたは伝説的なクラブ Omen でプレイされていましたが、現在のシーンで、Omen に匹敵するようなクラブはありますか?

Pascal F.E.O.S : Omen は伝説的なクラブだよ。あのクラブではいろんなことを始めたからね。重大過ぎて、今の Cocoon Club でさえ Omen には比べられないぐらいだよ。スペインにも、もちろん東京にだって Yellow や Womb、そしてageHa といった素晴しいクラブがあるけど、Omen とは違うんだ。なぜなら、僕らはそこで新しいアイデアを生み出していったからさ。もちろん Sven も一緒にね。そしてそれを世界中に広めていったんだ。海外から DJ を呼ぶことも出来たし、素晴しかったね。そういったことがすべて Omen で始まったんだ。だからすごくスペシャルだと思うよ。

HRFQ : 最近では世界中がドイツの音楽シーンに注目していますが、それについてどう思われますか?誇らしく思いますか?

Pascal F.E.O.S. : テクノが始まった時、シカゴやデトロイトのアーティストは EBM や Kraftwerk といったアーティストに注目にしていた。その時こそ、ドイツのアーティストが海外から注目を受けた時だったと思うんだ。でも、'80年代後半や '90年代の初めは、世界中がシカゴやデトロイトの動向に注目するようになった。だから知らない間にそれがまた逆転していたって感じだよ。今のシーンにはドイツ出身の素晴しいプロデューサーがたくさんいるし、彼らはどんどん新しいサウンドをクリエイトし続けてるんだ。

HRFQ : 現在のダンス・ミュージック・シーンを制覇しているほとんどの楽曲がドイツ人アーティストによって生み出されているようですが、これは何故なんでしょうか?ジャーマン・サウンドの特徴とは何ですか?

Pascal F.E.O.S : このミニマル・サウンドに関しては、何もドイツだけってわけじゃないと思うよ。確かにドイツにはKompakt のようにシーンを代表するレーベルはあるけど、今はイギリスからもトラックがたくさん出てきてるんだ。

HRFQ : アメリカもですね。

Pascal F.E.O.S : そうだね。アメリカもそうだ。ただ、どんな音がドイツ特有のサウンドなのかは分からないね。正常な感じのする音かな(笑)?他と何が違うのかはっきりとは分からないけど、確かに違いは聴こえるんだ。それがプログラミングなのかグルーヴなのかは分からないけどね。ミニマルで、メロディック…それがジャーマン・サウンドかな。

HRFQ : このミニマル・サウンド・ブームが他の国に飛び火する可能性はあると思われますか?例えば南アフリカや、アメリカが注目されることは考えられますか?

Pascal F.E.O.S. : ないね。

HRFQ : 常にミニマル=ドイツということでしょうか?

Pascal F.E.O.S. : そうだね。もしくはスペインかな。バルセロナは一番好きな場所でもあるんだ。すごくエキサイティングだし、特別な都市だよ。

HRFQ : バルセロナにはいいミニマル・クラブがたくさんみたいですよね。

Pascal F.E.O.S : クラブもそうだけど、食べ物も人も全部すばらしいよ!ドイツから飛行機でたった1時間半で、ヨーロッパ随一の都市に行けるんだ。自分の必要なものは何でもあるし、人はクリエイティヴだし。ライフ・スタイルも素晴らしいね。

Pascal F.E.O.S. Interview

HRFQ : イビザにはよく行かれるんですか?

Pascal F.E.O.S. : そうだね。Cocoon Club では毎年プレイしてるよ。

HRFQ : ここ数年でイビザはどのように変わりましたか?

Pascal F.E.O.S. : 気付いたのは、以前と比べてテクノ系のサウンドが注目されているということ。DC 10 や Amnesia …最近では Space まで始めたようだし。まだハウス系のパーティーをやってる Pacha や、イギリス系のトランス・パーティーもあるけど、ヒップなイベントとしては見られてないよね。Sven がイビザで残した功績には素晴らしいものがあるよ。6年間の仕事の成果が実ったね。初めはパーティーをやるクラブでさえも見つけるのが難しくて、Amnesia だけが OK してくれたんだ。その結果彼らはイビザでも最大規模の最も人気のあるパーティーを持つことが出来たのさ。

HRFQ : あなたのレーベルについて質問させて下さい。DJ やプロデュース業だけに留まらず、レーベルを始められたのは何故ですか?

Pascal F.E.O.S : 仕事が多いからさ。それが大きな理由だったね。ペーパーワークをするのが嫌だったんだ。それに、自分でレーベルを持てば、自分なりのアイデアやビジョンを達成することが出来るしね。Polydor のようなメジャーのレコード会社と仕事したこともあったんだけど、あれにはすっかり参ってしまったんだ。そこでの経験は「ありがとう。でもこれはテストだったんだ。こういう方法は完璧に間違ってるよ」って言える理由をつくってくれたね。だからアンダーグラウンドに戻って、自分のレコードを、自分なりのジャケット・デザインで売ることにしたのさ。確かに仕事は増えるけど、方向性が見えるし、得るものが多いんだ。

HRFQ : Y Planet Vision やPV、HeyBabe、Omychron など、多くのレーベルをお持ちですが、何故これだけ多くのレーベルを始められたのですか?

Pascal F.E.O.S. : これは DJ としての活動を通してだね。レーベルのカラーを考えると、例えば Minus からメロディック〜アンビエント系のトラックがリリースされるなんて考えられないだろ?リスナーや、音楽を探している人は、ある一定のレーベルにターゲットを絞っているんだ。例えばミニマルはこのレーベルって感じでね。だからレーベルを分けることにしたのさ。新しいアーティストやトラックが出てくれば、新しいレーベルを始めたっていいと思うんだ。

HRFQ : 自分のレーベルを持っているからこそ、他のレーベルを批判的な目で見る部分はあると思いますか?

Pascal F.E.O.S. : いいや。自分は自分の仕事をするのみさ。そういう風に上手く出来てればと思うよ。何事にもインディペンデントでいたいからね。活動を始めた頃は Harthouse といい関係を持ててたけど、お金のことで彼らとは問題になったんだ。Sven のことじゃないよ!その人は Sven のパートナーだった人で、僕らは彼に裏切られたんだ。一人でやりたくない時もあるけど、同時に、「トラックがあるのか?僕にくれれば半年後にはお金が入るよ」なんてたわ言は聞き飽きたのさ。だから Level Non-Zero で新しいことを始めたんだ。

HRFQ : DJ 活動をリタイアしてもレーベルは続けるつもりですか?

Pascal F.E.O.S. : レーベルより DJ の方を長く続けるんじゃないかな。彼が覚えてるかどうか分からないけど、Carl Cox と「60歳になったら一緒にどこかでギグをする」って約束したんだ。面白いアイデアだし、僕は絶対忘れないけどね。

HRFQ : ここで発言されたのですから是非やってもらいたいですね。

Pascal F.E.O.S. : まぁそうだね。考えは変わるかもしれないけど、DJ は僕の体の一部なんだ。僕の体の80%は音楽なのさ。

HRFQ : わかりました。今日はありがとうございました。

Pascal F.E.O.S. : ありがとう。

End of the interview

関連記事


関連リンク