HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

Paolo Mojo Interview

今年の春にリリースしたシングル ‘1983’ をヒットさせ、John DigweedHernan Cattaneo からも絶賛の声を浴びているプログレ界のライジング・スター Paolo Mojo が Womb に来日した。

まさに '1983' に通ずるパワフルかつエモーショナルなトラックをドロップし、当日のフロアーを終始沸かせることに成功していた Paolo だが、そんな貫禄あるプレイの前に HigherFrequency がインタビューを決行。彼のニュー・ミックスCDの話や、 自身が主宰するレーベル、さらに先日のニュースでも取り上げた病魔との戦いについてなどを爽やかな笑顔で大いに語ってくれた。

> Interview : Nick Lawrence (HigherFrequency) _ Translation by Kei Tajima (HigherFrequency) _ Introduction by Masanori Matsuo (HigherFrequency)

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HigherFrequency (HRFQ) : まず、お体の調子はいかがですか?しばらく病気されていたそうですが、もう良くなったんでしょうか?

Paolo Mojo : 正直なところ、まだ完治したとは言えないんだ。まだ胆嚢に問題があって、そのせいで方に時々痛みを感じるんだ。不便だけど、前に比べたらまだ全然良いほうだよ。

HRFQ : かなり長引く病気なんですか?

Paolo Mojo : そうじゃないといいけどね。気をつけなきゃならないんだ。一番最悪のケースとして、胆嚢を切ることが考えられるんだけど、それもすごくシンプルな手順らしく、手術も一日で終るらしいんだ。そこまで悪くないなら、症状が治まるまで待つ場合もある。膵炎ってかなり重い病気で、問題が解決したと思ってもまた数週間後に関連した病気が出てくる場合も珍しくないんだ。

HRFQ : 最近は以前のようにフルでツアーに出られているんですか?それとも少しはスケジュールを削っているんでしょうか?

Paolo Mojo : そうだね。ほとんど前と同じような状態に戻ったと思うよ。実際、クリスマスまではツアーに出っ放しなんだ。日本でのギグの後、中国に行って、ハワイに向かって、その後はアメリカを横断して、クリスマスに家に帰って、その後はカウントダウンのために南アメリカに向かうんだ。だからかなり忙しく過ごしてるよ。10月は安静にしていて仕事は全くしなかったから、11月はUK内でギグをして徐々にツアー生活に慣れていったんだ。

HRFQ : 世界中のほとんどを回られていますが、そういったDJツアーが本格的にスタートしたのは、“Balance” がリリースされてからですか?

Paolo Mojo : まぁ、そうだね。でも、物事が変化したポイントを正確に言い当てることなんて出来ないと思うんだ。’04年に音楽制作をスタートして、Essential Mix に出て、その年末には Excession (Sasha が創立した UK の DJ マネジメント・エージェンシー) に加わった。それから ‘1983’ といったトラックをいくつかリリースして、そのあとに “Balance” を手掛けたんだ。だから今僕がここにいるのは、こういった出来事がいくつも重なって生まれた結果なのさ。 来年には新たな CD のリリースも予定していて、誰と一緒にミックスをしているかを言えるとは思えないけど、いい CD になると思うよ。その後にも大規模なワールド・ツアーが予定されているんだ。だから、大事なのは日々の積み重ねなのさ。3年前を振り返ってみれば、自分も随分頑張ってきたと思えるはずだけどね。

HRFQ : Paolo Mojo という名前の由来を教えてもらえますか?

Paolo Mojo : Paolo は僕のニックネームでね。僕の祖母はイタリア人で、父親に赤ん坊の頃から Paolo って呼ばれていたから、それ依頼ずっと Paolo って呼ばれるようになったんだ。Mojo は 6〜7年前にDesyn Masiello や16B とやっていたイベントの名前で、その流れで自然と Mojo の Paolo (Paolo from Mojo) と呼ばれるようになってね。当時はちょうどインターネットのメッセージ・ボードが一般的になった時代でもあったんだ。だからハンドル・ネームを選ぶ時、イベントの宣伝をしようと思って Paolo Mojo という名前を付けて、それがそのまま残ったというわけさ。Music Magazine の Bedroom Bedlam で優勝した時も、Paolo Mojo の名前を選んでね。実はその後少し後悔したんだけど、今ではこの名前に慣れたし、気にいってるよ。結構評判がいいし、覚えてもらえる名前だからね。だから満足してるかな。

Paolo Mojo Interview

HRFQ : 以前 Cass と一緒に Heretic というプロジェクト名で活動されていましたが、今後彼と一緒にリリースをする予定はありますか?

Paolo Mojo : そのことを聞かれるなんてすごい偶然だな。実は最近また彼とスタジオで時間を過ごすようになってね。彼とは CD を作るときも、リミックスを作る時も “スタジオで時間を過ごしてる” って表現がしっくり来るんだ。自分を追い詰めるわけじゃないけど、新しい作品をリリースすることになると思うよ。たぶん EP かな。これから新たに CD を作るつもりはないんだ。あれは当時だから出来た作品だからね。でも、一緒に何かを作りたいとは思ってるんだ。

HRFQ : 現在あなたは Oosh! というレーベルを運営されていますが、過去にも二つレーベルをお持ちでしたよね。レコード・レーベルはあなたにとって芸術的な活動の一部なんでしょうか?それとも完璧にビジネスとして考えられていますか?

Paolo Mojo : 最初の2つのレーベル…Orc Music と Music is Freedom は芸術的なものとして考えていたよ…実際、その二つは一つの同じレーベルだったんだ。このレーベルをストップしたのは、かなりの金額を損したからでね。当時の僕にはレーベルの運営の仕方が分かっていなかったんだ。Oosh! がこの二つのレーベルと違うのは、レーベル内にマネジメントをする人がいること。だから僕はトラックを作って、いい曲を見つけてくればいいだけなんだ。要するに A&R とプロデューサーってことさ。正直なところ、僕がやりたかったってそれなんだよね。 ある日、レーベル・マネージャーの Dean に、「これだけの金額の請求書が必要なんだけど…」って言われたてね。だから僕はすっかり彼に借りがあるのかと思ったんだ。そうしたら「バカだなぁ。昔とは違うんだよ。このレーベルには利益が出てるんだ。レーベルが君にお金を払うための請求書が欲しいんだよ」って言われたのを覚えてるよ。だから最近では僕にとって芸術的なレーベルもビジネスとして成立してるんだ。年をとるごとに自分は何が得意なのか、得意じゃないのかが分かるようになるもので、僕はレーベルの運営するのがあまり上手くないってことに気付いたのさ。

HRFQ : あなたがターンテーブルを購入出来たのは、交通事故に巻き込まれたことで保険金が下りたからだそうですね。プロデュースを始めたことにも何かそういったきっかけがあったのでしょうか?

Paolo Mojo : 楽曲のプロデュースは、人から借りたマックで始めたんだ。それからは誰もがやるように、海賊版のソフトウェアを使って自分の PCで楽曲を作ってたよ。最近は正当なソフトウェアを使ってマックで作業してるけどね。ここ数年の傾向で素晴らしいと思うのは、楽曲制作が身近なものになったこと。敷居がぐっと低くなって、いい音楽を作るのに、高い機材の揃ったスタジオは必要じゃなくなったんだ。明らかにその結果として、平凡な音楽もたくさん生まれてくるんだけどね。ただ、僕だって安い PC と海賊版のソフトウェアを使って音楽制作にのめり込むようになったんだ。だから、成功するようになって正当なソフトが買えるようになったらそうするべきだし、誰でも音楽を作れる環境があるって素晴らしいことだと思うんだ。

HRFQ : それに、DJ は未発表のトラックを試す素晴らしい方法ですしね。

Paolo Mojo : Paolo Mojo : そうだね。やっと作り終えたと思ったトラックをクラブでプレイして、実際に今まで気付かなかった音を聴いたり、クラウドがどんな風に反応するかを見て、「スタジオで何百回音を聴いたとしても、こんなかたちでフィードバックを得たり、曲を変えるアイデアを得ることは出来なかっただろうなぁ」って思ったことが何回あったか分からないよ。 それに、音のダイナミックさにも驚かされるよね。今は以前より音作りにも慣れて、スタジオで聞く音がクラブでどんな風に聴こえるかが分かるけど、始めた時はそれこそ音の違いにはかなり驚かされたね。どんなに上手く作れたと思っても、実際にクラブでプレイしてみると、軟弱でめちゃくちゃに聴こえてしまうものなんだ。でも最近では僕も随分…常に向上心は失うべきべきじゃないと思うんだ。学ぶことを止めた日がリタイアする日だからね。でも、以前よりはるかに自信をもってることは確かだよ。

End of the interview

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