HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

Layo Interview


Layo が共同経営者として運営するロンドンの人気クラブ The End の上にあるオフィスで、私たちはインタビューを行っていた。20年という歳月をかけて、彼はThe End を世界で最も有名なクラブのひとつにまで育て上げ、自分もトップDJとしての地位を固める。リスクをものともせず、好奇心の向くままに行動してそのような結果を出した彼は、新しい時代のロール・モデルのような存在になったのだ。そんな Layo の輝かしいキャリアの中でも特に目を引くのは、ブラジル風ブレイクスのアンセムである "Love Story" や'02年に10万枚を売り上げたアルバム "Nightworks" といった 長年のパートナーである Mathew Bushwacka と共に手掛けてきた作品の数々だろう。

その "Nightworks" から4年、自分たちが運営する新しいレーベル Olmeto Records から出したばかりの大胆にラテン・サウンドを取り入れた3作目 "Feels Closer" (レコーディングはブラジル、ブルックリン、ロンドンで行われた)で、彼らは次のステップへと進もうとしている。

以下は対談形式でのインタビューの模様をお伝えする
(Translation by Yoshiharu Kobayashi)

Skrufff (Jonty Skrufff) : 前回お会いしたとき、あなたはセカンド・アルバム "Nightworks" のリリースを目前に控えていて、「これが成功するかどうかで僕たちの将来が決まる」と言っていました。この新作についてはどう思いますか?

Layo : とても自信があるね。少なくとも僕自身は自分の作った音に満足しているよ。でも、このアルバムがヒットするかどうかは僕には分からないな。だって、それは作品が僕の手を離れた後の話だからね。実際、聴いた人がその作品を気に入るかなんて僕たちには分からないことだろ。だから、何か作品を作るときは、まず自分がその作品に満足していないといけないと思うんだ。

今回の作品は、大胆な変化に挑戦したような作品ではないけど、これまでとは違った面白さがあるようなものができたと思うから、とても満足しているんだ。こんなことを言っていると、僕たちが「こんなものでいいだろ」という気持ちで作ったと思われるかもしれないけど、そうではないんだよ。この作品は、ほぼ僕たちの理想どおりの出来だと言えるね。僕たちだってやろうと思えば、ただダンス・トラックを10曲並べただけのアルバムを作ることもできるさ。でも、それでは面白くないだろ。他の人のことは分からないけど、少なくとも僕たちにとってはそうなんだよ。

Skrufff : 歴史に名を残すダンス・アルバムというのは、数少ないですよね。そのようなアルバムと普通のアルバムとの違いは、一体どこにあるのでしょうか?

Layo : 僕たちは自分のDJ用の曲ばかりを作るのには興味がないんだ。ただ、これまでとは違ったことに挑戦しようと思ってアルバムを作っているだけなんだよ。例えば、僕たちはテンポの遅い曲を必ずアルバムに何曲か入れているけど、それは僕たちがそういった曲が持つ独特の "間" が好きだからなんだよね。DJをするときは始めにちょっとテンポの遅い曲をかけることもあるけど、それを3時間も続けるなんてことはしないしさ。それに、もう世の中にはとんでもない数のダンス・トラックが出回っているわけだから、完全にオリジナルな曲を書くのは本当に難しいことだと思うよ。最高に踊れる曲を書ければそれで十分ではあるけど、そんな曲を10個も用意してひとつの作品にするのは並大抵のことではないよね。

それに、ダンス・トラックは手軽に作れるものだから、アルバム作りだって簡単に済ませてしまう人もいると思うよ。でも、本当にいいアルバムを作るのには時間がかかるものなんだ。実際、バンドでやるよりも手間がかかるんじゃないかな。だって、バンドだったらメンバーでそれぞれパートや曲作りを受け持つことができるし、リハーサルも一緒にできる。みんなそれぞれに違うことをやって、それをひとつにまとめればいいんだ。でも、ダンス・トラックを作るとき、何か違った要素を入れたければ、それに合ったミュージシャンをいちいち呼ばないといけないだろ。それって本当に時間がかかることだから、みんな結構面倒くさがって、しっかりやろうとしないんだよね。でも、僕たちは違う。僕たちはそういうところで絶対手を抜きたくないんだ。

Skrufff : どんなジャンルの音楽が今一番面白いと思いますか?

Layo : ここ1,2年は、ドイツ勢が主流を占めているエレクトロ・ハウスに影響を受けているんだ。僕たちがDJをするようなクラブでよくかかっているからさ。だからと言って、Layo and Bushwacka! でエレクトロ・ハウスはやりたくないけどね。

Skrufff : あなたたちはニュー・アルバムのレコーディングの一部をブルックリンでしましたよね。NYの中でも特に先端を行っているこの地区を選んだのはなぜですか?

Layo : ブルックリンは今まさにそんな理由で人気の場所になってきているからさ。ちょうどロンドンにおけるイースト・エンドと同じだね。逆に、マンハッタンはNYに住みたいと思う若者たちにとっては刺激のない退屈な街になってしまったよ。でも、そこから地下鉄でたった5分のところにあるブルックリンは、本当に刺激的な街なんだ。

何人かの知り合いにスタジオを紹介してもらって、やっといいスタジオを見つけたんだ。そこは現代的なところもあるんだけど、なんとなく雰囲気が昔のスタジオっぽくていい感じなんだよ。そこには色々なミュージシャンがひっきりなしに出入りしていてさ。おかげで、これまで会ったことのないような人たちと会うことができたんだよね。

Skrufff : その様子はアルバムに反映されていますか?

Layo : そのスタジオのオーナーに、「Oscar Peterson みたいにちょっとゆるめのいいドラムを叩ける人を探しているんだけど」と聞いてみたんだ。そしたら彼は、「OK、2人見つけてきたよ。1人はこんな感じで、もう1人はこんな感じだ。」と言って、すぐに見つけて来てくれたんだよ。僕たちはマンハッタンのソーホーに宿を取っていて、毎日地下鉄でブルックリンにあるスタジオまで行っていたのだけど、そのスタジオでの体験と言ったら、それはもう凄いものだったね。僕たちが欲しいと思っていたアルバム作りのインスピレーションが、全部そこにあったという感じなんだ。スタッフには恵まれたし、サンプリングの許可も楽に取れたし、何もかもスムースにいったよ。そういうハッピーなヴァイヴがアルバムに反映されていると思うね。上手くいかないときっていうのは本当に駄目なものだけど、逆に上手くいくときっていうのは気持ちいいくらいに全てが上手く行くものだよ。どうしてかは分からないけど、こういうことってたまに起こるものだよね。

Skrufff : NYを美化したがる人というのはたくさんいますよね。あなたの場合はどうなのですか?

Layo : 僕はいつもNYで楽しい時間を過ごしているよ。ガールフレンドとクリスマスの買い物をしたり、クラブに行ったり、レストランに行ったり、働いたりしてさ。でも、僕はアメリカに住んでみたいと思ったことはないんだ。僕は生粋のヨーロッパ人でね。実際、アメリカに住むくらいだったら南アメリカに住みたいと思っているくらいだよ。でも、今回のアルバムのレコーディングに関して言えば、NYで本当にいい体験をしたということさ。同じことって二度とは起こらないものだから、これも一度きりの体験になるのだろうね。

Skrufff : ブラジルはあなたが最も成功している土地のひとつですが、どうしてそうなったのでしょうか?

Layo : それには幾つか理由があるんだ。ひとつは、僕たちの DJ スタイルがエネルギーに満ちたもので、初めてブラジルでプレイしたときから反応が良かったから、ブラジルには早い段階からアピールできたということ。それに、"Love Story" という曲のタイトルは、サンパウロにある最悪のアフター・アワーズ向けのクラブから取ったものだしね。リオではなくてサンパウロのだよ。それで、あの曲はそのクラブで大ヒットしたんだ。

これまでブラジルには何回も行っていて、今では僕もポルトガル語の勉強をしているくらいさ。だって、他のどの国よりもブラジルの友達からのメールが一番多く来るからね。僕はブラジル流のライフ・スタイルが好きなんだよ。国自体も好きだし、社会的にも好き。本当に大好きな土地だね。「だけど、ブラジルは貧しい国じゃないか」と言う人もいるけど、それは世界中の至るところにある問題であって、ブラジルだけを取り立てて言うべきものではないと思うよ。それに、政治や経済の問題は、たまに訪れるだけの僕にはあまり関係がないしさ。単純に、僕はブラジルが好きだということなんだよ。これまでに25回もブラジルに行ったことがあるけど、一度として嫌な思いはしたことがないね。深夜にロンドンの街を歩き回っている方が危ないんじゃないかって感じるくらいさ。

Skrufff : 昔の話になりますが、あなたは10代の頃にロンドンのカムデン・マーケットで働いていましたよね?

Layo : そうだね。何年かの間、夏になると週末に働いていたんだ。でも、それがひどいぼったくりでさ。一日に13時間も働いていたのに、20ポンドしかもらえなかったんだよ。でも、僕はリーバイスの501を盗んだりしていたから、元は取れたんじゃないかと思うけどね。その頃は本当に楽しかったよ。時期は夏だったし、マーケットで働いている人同士で仲が良かったんだ。お金を稼いで自由を得たのも初めての経験で、しかもカムデンは当時流行の場所だったからね。カムデンは '80年代中ごろが一番良かったと思うよ。だから、10代であの場にいれたのは本当にいい経験だった思う。年上で面白い人もたくさんいたしね。

Skrufff : その頃は流行に敏感でしたか?

Layo : かなりね。今でもその頃のことはよく覚えているよ。僕の友達には兄や姉がいる人が多くて、僕の親友の兄がレコーディング・スタジオで働いていたんだ。それが全ての始まりといった感じさ。12か13歳のときにはエレクトロに夢中になって、それから Public Enemy みたいなヒップホップが好きになったんだ。サイケにもはまったりしたね。両親の影響で、'60年代後半の音楽もずっと好きだったな。それから King Kurt や The Cramps みたいなのにもはまって、Dr And The Medics や Zodiac Mindwarp へと行ったんだ。その流れで Gaye Bikers on Acid なんかも聴いていたよ。ちょうどそのときにアシッド・ハウスが始まったんだよね。スクワット・パーティーと Clink Street のアシッド・ハウス・シーンが同時に起こって、その二つが交わったときに、アシッド・ハウス・シーンは爆発的に広まっていったんだ。

Skrufff : 大学には行かなかったのですか?

Layo : いや、行っていたよ。大学では英語を勉強していて、月曜の夜はそこでクラブ・イベントを持っていたんだ。Mr. C とかがよくプレイしに来てくれたね。

Skrufff : てっきり中退したものだと思っていました。

Layo : いや、違うよ。でも、18歳のときに一年休学して、7,8ヶ月タイに住んでいたんだ。何ヶ月かバンコクに滞在して、それからパンガン島に3ヶ月半ほどいたんだよ。'89年のことになるかな。

Skrufff : どうして '89年にパンガン島に行こうと思ったのですか?

Layo : 誰かがフルムーン・パーティーの噂をしてるのを聞いたから、すぐさま行ってみたくなったんだ。実際、その頃のフルムーン・パーティーにはまだ250人くらいしか来てなくて、ビーチにはバンガローが数えるほどしかなかったよ。でも、当時はリン・ビーチ(毎月1万ものレイヴが開催される伝説的なビーチ)へは歩いていけなくて、夕暮れ時にボートに乗っていくしかなかったんだ。警察もいなければ、道もないし、車もない。ゲストハウスに泊まるのも一晩でたったの1ポンドだったしね。本当に自由で素晴らしい空間だったよ。

Skrufff : しかし、結局は大学に戻ったのですよね?

Layo : そうだね。リン・ビーチで僕の親友が死んでしまったから、彼の葬式に参列するためにイギリスに帰ってきたんだ。本当に辛い出来事だったね。彼は事故に巻き込まれてしまったんだよ。僕がちょっと島の北の方に行ってみたかったから、2週間くらい別々に過ごすことにしたんだ。でも、彼はそんなに長いことリン・ビーチにいたことがなかったんだよね。それで僕が北の方に行っている間に、彼は死んでしまった。物凄くショックを受けて、僕はすっかり変わってしまったよ。僕たちは5歳のころからの親友だったから、本当にトラウマになるような経験だったね。

そういうことがあった後だから、大学に戻って来れてよかったと思うんだ。だって、ちょうどそんな辛い時期に、大学生活という何か打ち込めるものができたわけだからね。UAE(アラブ首長国連邦)にも行ったんだ。誰か知り合いがいたわけではなかったけど、やっぱり行ってよかったと思うね。その頃の僕は、とにかく全てを変えたかったんだよ。でも、夏休みになるとロンドンにいる旧友たちに会いに行っていたけどね。やっぱり自分の居場所が欲しかったからさ。でも、それでよかったと思うんだ。だって、それで僕は月曜の夜にパーティーを始めることにしたんだし、ちゃんとDJを始めたのもそのときのことなんだからね。

End of the interview

Layo & Bushwacka! の "Feels Closer" は、Olmeto Records より発売中

 


関連記事


関連リンク