「二人の男が午前1時くらいにオレの家にやってきて、ドアをノックした。そして、ドアを開けたオレを撃った…。簡単に言うとそういうことさ。結局警察はヤツらを捕まえられなかったんだけど、彼らが言うには、オレが外出していると思って盗みに入ろうとしたか、あるいは、オレの彼女が一人でいると思ったか…いずれにしても居ないと思っていたオレがドアを開けたものだから、ヤツらはビックリしてオレを撃ったらしい。その日は確か丁度オレがヨーロッパから戻ったばかりの夜だったな」
贅沢な5つ星ホテルのスイートルームで、デトロイトのテクノ・スター Kenny Larkin は、かつて自分自身が357マグナムを突きつけられた瞬間のことを思い出しながら、クスクスと笑っていた。その夜、海外のDJツアーから戻ったばかりだった Kenny は、夜中にドアをノックする音で目を覚ますのだが、一応自分の銃を片手に玄関に向かったものの、ドアを開けることをためらう程には神経質になっていなかったようだ。
「外を見ると、小柄な黒人が一人立っているのが見えたんだ。年格好は15歳くらいだったかな。で、そいつが訪ねてくる理由に思い当たる節はなかったんだけど、『多分、車が壊れたか何かで困ってるんだろう』と思い、よせばいいのにドアを開けてしまったんだ。一応銃は後ろに隠してたけどね。ところが、ドアを開けた瞬間、もう一人隠れていた共犯者が、いきなり叫びながら銃を片手に突進してきて…。オレが銃を隠しているのを見つけると、デカイ357マグナムを取り出し、いきなり引き金を引いたんだ」
「その瞬間は、まるでスローモーションでも見ているかのような不思議な感覚だったね。まず、その巨大な銃に自分の目がズームインし、そして銃口がクッキリと見え、そこに火花が散るのも見えて…。自分を銃弾が突き抜けたのもハッキリと感じたんだ。ただ、激痛が走るとかじゃなくて、どちらかというと「イテ」って感じ。最初に思ったのは『この程度なら大したことはないはずだ』ってことだった。で、今度は自分の銃を構えて引き金を引いたんだけど、ついうっかり撃鉄を上げるのを忘れていて、その隙にヤツラは逃げ出してしまったんだ。戻ってこられても困るので、その後はとにかく背後から撃ちまくりさ。で、ドアを閉めて彼女に『警察を呼んでくれ!撃たれた!』と叫んだんだけど、彼女は『嘘でしょ』って感じで信じようともしない。だから、『銃声が聞こえなかったのか?』と言いながら傷口を見せると、かなりビックリしてやっと警察を呼んでくれたんだ。その間も、オレは『撃たれちまった!マジかよ!撃たれちまった…』と言いながら、家の周りをグルグル回っていたんだけど、やがて背中の傷がひどくなって、立ってられなくなった… これが一部始終さ」
混乱のさなか、Kenny は何とか自分の銃を逃走する犯人に向かって発砲するのだが、その音を聞きつけた近所の人たちの通報によって警察がやがて駆けつけることになる。ところが、彼らは Kenny を被害者というよりはむしろ、犯罪者であるがごとく取り扱ったという。
「警察は家の周囲に非常線を張り、オレの彼女に向かって『あっちへ行ってドアを開けろ』と言い、彼女がドアを瞬間に地面にけり倒してしまったんだ。多分ヤツらは今回の事件がドラッグの取引か何かで揉めたのが原因だと思ったんだろうね。で、しまいには『誰かがお前を暗殺しにきたんだろう』って言う始末。オレは、『おいおい、一体オレは誰だっていうんだ?こんなマヌケでちっぽけなオレを誰も暗殺したいなんて思うわけないだろ』って感じだったよ」
そんなに恐ろしい状況で襲撃されたにも関わらず、Kenny はこの事件に対して、極めて冷静なスタンスを取ることが出来たそうだ。
「この事件のあと、悪い夢にうなされることもなかったよ。死ぬわけじゃないっていうのも分かっていたしね。それから4ヶ月くらい経ってベルギーに行ったとき、何故か突然涙が出てきて『神様、感謝します』と言ったことはあるけど、嘆き哀しんだと言えばそれくらいさ。勿論、もう見知らぬ人が訪ねてきてもドアを開けることは出来ないけどね…」
それから10年が経ち、彼の人生も様々な予期せぬターニング・ポイントがあったと言われているが、その中の一つが、02年に Kenny が行った『スタンダップ・コメディアンの活動にもっと集中するために音楽制作をやめる』という決断だ。非常に明朗快活かつチャーミングで、そしてカリスマ性もある…彼のそういったキャラクターは勿論ステージの上でコメディをやるのに間違いなく適していると言えるだろう。しかし、昨年には彼自身その考えを翻し、本人名義の"The Narcissist"と Dark Comedy 名義の"Funk Faker : Music Saves My Soul"を立て続けにリリース、見事に音楽シーンへのカムバックを果たしている。この Dark Comedy 名義での作品は、彼自身の名義でつくるテクノ系作品とは大きく異なり、
ブルーグラス系のエレクトロからメロディアスなテクノ・ファンクまでが含まれており、自分の感性や生活の背景にあるものを100%反映させようと試みた意欲作。
「"Music Saves My Soul"は、音楽を通じて人生の様々な辛い出来事を克服しようとしている人たちの物語だ。その意味で、ゴスペルであり、クラッシックであり、ブルースでもある」と Kenny はその作品の内容を説明している。
「オレ自身もいろんなことを克服するために音楽に依存しているんだ。銃撃されたり、女に騙されたりといった苦労を克服するためにね」
以下は対談形式でのインタビューの模様をお伝えする。
Skrufff (Jonty Skrufff) : 02年に音楽を一旦お辞めになりましたが、もう一度始めようと思ったきっかけは?
Kenny Larkin : 3年前にロスに引っ越した時に、気分も一新できたということもあって、違ったインスピレーションを引き出すことが出来るようになってね。そのうち何かのきっかけで、ジェームス・ブラウンやジョン・リー・フッカーといった、より古くてファンキーでブルージーな感じの音楽を、他の何千という曲と一緒に i-pod に入れて聴くようになったんだ。で、しばらくすると、頭の中で「自分が育った時に聴いていた音楽になら素直になれるかもしれない。そして、エレクトロニックなフレイバーをそれらに足していくことも出来るんじゃないか…」という考えが閃光のようにひらめいて…。オレはいつもみんなに期待されているものとは全く違ったサウンドを作ってみたいと思っていたし、「よし、やってみよう」ということになったのがきっかけさ。
Skrufff : Jeff Mills が最近、「テクノ・ファンの年齢はどんどん上がっていて、近頃では自分も年齢が上の人間に対して音楽を作っている」と発言していますが、あなたはこの考え方をどう思いますか?
Kenny : オレも Jeff と同じようなことをやろうとしているよ。彼は、映画のスコアやビデオをやったりして、次のレベルに自分自身を向かわせようとしているけど、オレももっと成熟して、彼と同じように次のレベルに向かって進歩していきたいと思っているんだ。そのレベルが何であれ、同じところに留まって、同じことを繰り返しやっていたくはないし、それは今のオレにとってはあまりに退屈なことだからね。だから、自分の心がやりたいと思ったことをやれる自由を自分自身に与えているつもりだし、基本はあくまでエレクトロニック・ミュージックだったしても、明日どんなことをやっているかはオレにも分からない。もし、目が覚めて「エレクトロニック系ブラジリアン・サルサ風ゴスペル・ミュージックをやりたいと思ったら、きっとそれをやることになると思うよ。
Skrufff : 今夜、Fabric でプレイされるわけですが、レコード・ボックスには何が?
Kenny : ファンキーでスインギーでパンピーでジャジーでテッキーなトラックさ。
Skrufff : その辺の音を見つけるのは簡単ですか?
Kenny : いや、難しいと思うよ。何故なら、最近リリースされているレコードの殆どがクソみたいな作品ばかりで、レコード屋に2〜3時間いて、100枚のレコードを試聴したとしても、いいのはその内の3枚くらいしかないからね。でも、このことはオレにとって良い面もあるんだ。それは良い音楽を見つけられないからこそ、古い音楽で穴埋めをして、そうすることでシーンに新たに加わった若い連中に古い音楽を紹介していくことが出来るってこと。古いものに新しいものを混ぜてプレイすることで、ストーリーを語ったり、歴史を見せたりすることが出来るんだ。例えば、今オレが Lil Louis の "French Kiss"をプレイしたとするでしょ。そうすると、彼らはきっと「この曲は何?」って聞きにくるはずさ。
Skrufff : スタンダップ・コメディアンのキャリアをDJのキャリアのバランスをどうやって取っているんですか?
Kenny : そんなに簡単なことじゃないけど、チャレンジしているよ。ラッキーなことにオレは、生活のために世間一般で言われているような仕事をしなくてもいいから、ロスの自宅にいる時には出来るだけコメディに打ち込むようにしているし、ステージにも出来るだけ立つようにしているんだ。
Skrufff : 最近、あなたの古くからの友人である Richie Hawtin が、90年代の飛行機を買おうと思っていると話していましたが、銃で撃たれた経験の影響で、速い自動車とかの物質主義に関して、何かご自身の姿勢に変化はありましたか?
Kenny : いや、全くないね。今でも車は大好きだし、これからも絶対に変わらないよ。
Skrufff : その腕時計は幾らしたんですか?
Kenny : これはちょっと高いよ。でも、ダイヤが散りばめられているってほどのものじゃない。これはロレックスで、大体5千ポンド (100万円)くらいだったかな。でも、これがオレのスタイルで、そこが大事なところ。決してダイアが散りばめられたようなものは、これからも買ったりしない。確かに、車も好きだし、ポルシェの911を持っているけど、それで全て。飛行機を買おうなんて、オレは絶対に考えないね。
Skrufff : スタンダップ・コメディアンの仕事はDJと同じくらい儲かるのですか?
Kenny : いや、今のところは一銭も稼いでいないんだ。ちょうど、The Laugh Factory というクラブで、ギャラが貰えるレギュラーの座を狙って努力しているところさ。まぁ、お金に関してはどうでもいいことで、今は生計を立てるためにコメディをやっているわけじゃなくて、知名度を上げられるように頑張っているところ。コメディでお金を稼げるようになるまでは、DJを続けるつもりだよ。
Skrufff : 最終的には映画に出られるようなコメディアンを目指しているんですか?
Kenny : そう。次のエディー・マーフィーを目指してるんだ。でも、あくまで21世紀的なやり方でね。今の彼はつまらないから。
Skrufff : 昔、軍隊に所属していたというのは本当ですか?
Kenny : 86年から88年まで空軍にいたよ。
Skrufff : どこか紛争地に派遣されたことはあるんですか?
Kenny : もしフロリダを紛争地と考えるなら答えはイエスかな。在軍中は、あそこに居ただけだからね。オレは軍の組織や環境があまり好きになれなかったし、それにスタンダップ・コメディアンをやりたかったから、そんなに長く軍には留まらなかったんだ。空軍は自分が想像していたものとは違ったし、あまりハッピーでもなかったしね。だから、ある日母親に電話をして「スタンダップ・コメディをやりたい」って伝えたのさ。そしたら「家にすぐ戻って、自分のやりたいことをやりなさい」って言われて、それで、家に戻ってコメディーを始めることにしたってわけ。
Richie Hawtin に出逢って、デトロイトから生み出されつつあった新しいサウンドを耳にしたのも、丁度その頃だったかな。初めて聴いた時は「ワォ、なんだコリャ?」って感じだったよ。まぁ、元々音楽に対する興味はあって、小さなキーボードを持ってたりしたんだけど、それを使ってラジオでかかっている曲を真似たりしているうちに、これなら自分でも出来るなって思うようになったんだ。
オレが最初にハウスを聴き始めたのは高校の頃。Terrence Parker が同じ高校に通っていて、彼の影響で聴き始めるようになったのがきっかけさ。で、空軍に入ってからは、あるシカゴ出身のヤツと仲良くなったんだけど、そいつがとにかくハウスのレコードをたくさん持っていてね。やる事と言えば、ハウスを聴くことぐらいしかなかったから、家に戻った頃には、すっかりこのオルタナティブなサウンドに適応できていたんだ。
とまぁ、そんな時期にテクノを聴くことになったんだけど、とにかく最初は「なんだ、コリャ」って感じだったよ。で、やがて Richie に出逢い「一緒に音楽を作ろうぜ」ってことになって、しばらくコメディをちょっと脇において音楽に集中することにしたら、これが上手く行ってしまってね。最初は「しばらくは音楽をやって、コメディには後から戻ればいいや」って感じだったんだけど、91年にヨーロッパに何回か来るようになって、そのまま学校に残って今までやって来たことを続けるか、あるいは、全てを投げ出して音楽の道へと進んでいくのか、腹を決めなければいけなくなってしまったんだ。で、結局、音楽をやることに決めたってわけさ。
Skrufff : 最初に人前で回し始めた頃から、テクニック的に素晴らしいDJだったのでしょうか?
Kenny : 全然!最初のパーティーなんて、とにかく酷かったよ。91年に Carl Craig とプレイした時のことなんだけど、その日は金曜日で、場所はベルギーだったかな…。とにかく「DJのやり方を勉強するまでは二度とやらないぞ」と誓うくらい酷いプレイだったんだ。クラブの雰囲気も「誰だ、このヘタクソは?」って感じで、そりゃヤバかったよ。しかも、Carl のプレイもそんなに良くなくて、二人でその日のパーティーをぶち壊しにしてしまったんだ。DJを真剣にやるようになったのは、それからのこと。で、やがてオレの作った曲もみんなに知られるようになって、DJの方もやっと上手く行くようになったという感じだね。
Skrufff : 家でかなり練習したんですか?
Kenny : ここで面白い話をしようか?当時はターンテーブルすら持っていなかったんだ。今はさすがに持っているけどね。丁度その頃、Richie は Shelter というクラブで回していて、オレは時々彼の家に行って練習をしたり、彼が回していない時に、替わりにプレイしたりして腕を磨いていったんだ。で、パーティーを繰り返しているうちに、どんどん上手くなっていって、今やもう一人の自分って感じにまでなったというわけ。でも、最初はとにかく酷かったものだよ。
End of the interview
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