HigherFrequency  DJインタビュー

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Fatboy Slim Interview


「世界一のパーティー DJ」 と呼ばれるには理由がある。10年にわたり移り変わりの早いクラブ・シーンにおいてトップ DJ として君臨し続け、常にクラウドを笑顔にさせてきた Fatboy Slim 。先週掲載した "Who is Fatboy Slim" でも記したように、長く険しい彼のアーティスト人生を振り返った作品集 "The Greatest Hits" がリリースされた。

多忙なスケジュールから本人へのインタビューが実現せず、Sony Music Japan の提供により掲載されることとなった今回のインタビューは、ベスト盤に限らず、ブライトン・ビーチでのイベントについて、また誰もが聞きたかった "ファット・ボーイ" 君の正体にまで迫った読み応えのある内容。そこで HigherFrequency も、ウェブの強みを生かしてのロング・インタビューの掲載を決行することにした。ファンならずとも一度は彼の音楽に頭を揺らしたことのある読者ならば、是非最後まで読んで欲しい。

> Interview : Sony Music Japan International Inc. _ Introducion : Kei Tajima (HigherFrequency)

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Q : なぜこのタイミングでベスト盤をリリースすることになったのですか?

A : 10年という年月、4作のアルバム、そしてこれだけのヒット曲がそろっていれば、そろそろ出してもいい時期かなと思って。今までがんばった分の見返り、みたいな感じかな。

Q : 今回のリリースは、あなたの意思で実現したのですか?それともレコード会社の考えですか?

A : 当初レコード会社から提案を聞いたとき、確かにまだ早いんじゃないかって思ったんだ。だけど曲目に取り掛かり始めたとき、この10年間で自分がどれだけの曲をつくってきたのかを気付かされたよ。同時に、最近は別のプロジェクトを手がけてたりしているから、時間をかけて、新しいアルバムを出すよりはよかったんだ。

Q : 収録する曲を選んだり、その順番を決める作業はどのようにして進めていかれたのですか?

A : 「どの曲を収録されるべき」というより、「どの曲を入れない」というやり方でやってみたんだ。順番に関しては、もし僕だったら単に年代順にやってたかもしれない。Fatboy Slim の最初のシングルだった "Santa Cruz" から始めるって感じにね。でも、これも単純に人気のある曲から並べていったんだ。そして最後に新曲を2曲収録した。こうすると、一定の流れが出来るから「この順番は間違ってる」なんて心配しなくてもいいし。ベスト盤なんだから、普通は1番ヒットした曲を最初に聴きたいはずだって思ってね。問題は上から順番に聴いていって、どの時点でみんなが「もういいよ、あきた」って思うかだよね。だから新曲を最後に持ってきたのさ。そうしたら最後まで聞いてくれるだろ?

Q : Fatboy Slim の代表曲を一曲選ぶとすれば?その理由も教えてください。

A : 分からないな…。でも、1曲目の "The Rockafeller Skank" は絶対だよね。なぜなら、この曲は僕を全く違うマーケットへと導いてくれた曲だから。その上、この曲は精神異常的だし、向こう見ずな感じもあるしね。あと13曲目の "Demons" は、他の曲と比べてると大ヒットしたわけじゃないんだけど、個人的にも好きで、もう少しヒットしても良かったと思ってるんだ。あれはリリースのタイミングが悪くてヒットしなかったんだ。Macy Gray がボーカルだったし、これこそベスト盤を聴いて「あぁ!これはいい曲だったな!」って思うような曲のはずなんだけどね。

Q : 無人島に持っていくならどのアルバムを選ぶ?(自分の作品か他人の作品)

A : 自分のを選べって言われたら何も食べないで死んだほうがましだな(笑)。無人島でひとりぼっちになってしまうだけでも最悪なのに、その上自分の曲を聴かなきゃならないなんて…もし自分のアルバムを持って行かなきゃならないなら、それを使って自分の首を切るよ(笑)。 

他人の作品なら The Beatles の "Abby Road" だな。なぜなら、このアルバムは史上最高のソングライターによる史上最高のポップ・アルバムだから。彼らはこの作品の時点で明らかに解散が目に見えていたわけだけど、彼らにはまだ出しきれてない大量の曲が存在していて、ディスク2に2分程の曲がごちゃまぜに入っているんだ。全体的に見るとアルバム4枚分の曲が1枚に凝縮されてるような感じでね。まぁ単純にお互いに嫌気がさしていて、とにかくアルバムとして出してしまいたかっただけなんだろうけどね。

Q : 今 iPod には何が入っていますか?

A : iPod は持ってない。なぜかと言うとパソコンを持ってないから。

Q : 本当ですか?あなたが?

A : そう(笑)まぁ、スタジオの中で使用するAtariとAtari STは持ってるよ。E メールっていうコンセプトが好きじゃなくてね。実は、何年か前に妻が iPod を買ってくれたんだけど、最初は「すごいいいじゃん!」って思ったんだけどやがて音楽を入れるのにはパソコンが必要だってことに気が付いてね(笑)だから正直に言うとiPodはあるけれど中身は空っぽなんだ。

Q :ブライトン・ビーチでのパーティで、あれほどの大勢の観客の前に立った時、どんな気持ちでしたか?

A : 半分は意気揚々だったさ。自分のホームタウンでプレイをして、どれだけ多くの人が来てくれたかを見てね。残り半分は恐怖感。なぜなら想像以上の人数が集まったから。安全性については結構心配な状態だったんだ。予想を上回る集団になってたからね…でも帰らせるわけにもいかないし。だから半分は興奮と半分は恐怖、だけど運良く怪我人は出なかった。警察とは蜜に働いてたんだ。大勢泥酔してる人がいるから…ね。あれだけの人々を盛り上げるのは本当に大変だったよ。多分今までで一番大変だった。あれだけ大勢のクラウドを楽しませるんだからね。でも、絶対にコントロール出来ると望みを持ってたよ。

Fatboy Slim Interview

Q : 目の前の観客を忘れて音楽に没頭した瞬間はありましたか?

A : いや、常に多少の緊張感があったな。だけど多少の緊張感っていうものは良いものでね。DVD 化された映像をみてみると、時々僕が観客をちらちら偵察しているがわかるんだ。そして次のレコードを取りに背を向けたとき、僕が熱心にレコードを選びながら心配しているのがバレバレでね(笑)その DVD を注意して見てみると、最後の30分間、観客に叫んでる僕と、警察に叫ばれてる僕が見れるよ(笑)。

Q : バンド活動に背を向けてDJ活動へと移った核となる理由や体験は何ですか?

A : う〜ん、なんだろう…そうだな、ある時 Freak Power でツアーをしていて、ライブ・バンドだったんだけどみんな一生懸命やっていてね。でもある時、僕は7人編成のバンドにいて、それに伴うクルーやスタッフと一緒にツアーするよりも一人でレコードを掛けたほうが多くの人達を楽しませることができるって気付いたんだ(笑)。

Q : じゃあ、特にトラウマ的な体験があったわけではなく?

A : バンドでのツアーには常に多少のトラウマがあったよ、僕は特に世界一のギタリストやベーシストだったわけでもないからね。でも僕が DJ をするとみんなすごく楽しんでくれるようで、やがて僕もバンドとツアーに出るのが疲れてね。そういえば、ある時スイスで行われたイベントがあって、僕たちのバンドと一緒に Bush や B.B.King、そして Red Hot Chili Peppers が出演してたんだ。そんな中その年ビッグだった僕たちがヘッドラインでね。Red Hot Chili Peppers の Dave Navarro や B.B.King という2大ギタリストの後に弾いたとき、僕はとっても不能な気がしてしまって(笑)。僕はあまりいいギタリストじゃないんだよ。それで次に DJ したとき、みんな心底楽しんでくれているのを見て、「ちょっと待てよ、もしかして僕は間違った職についてしまったんじゃないか?」って思ったんだ。

Q : Fatboy Slim はどのようにして世界の頂点に立つ DJ になったのでしょうか?

A : 僕はパーティが大好きで、実際観客よりもその場を楽しんでしまうんだ(笑)、それでうまくいったのかな。多くの DJ は、DJ セットの間はほとんどレコードしか見ない。だけど僕はいつも観客に向かって踊ったり飛び回ったりしてる。どれだけ大きなギグであっても僕は観客よりもギグを楽しんでるんだ(笑)。観客もそれに気が付いてると思うな。そしてそれが伝染するんだ。

Q : Fatboy Slim の理想的な DJ セットとは?

A : おもしろいロケーションで、ハッピーで興奮状態の観客を前にプレイすること。特に、ステージに上がった瞬間から観客のハートをつかめるようなね。最近ではますます、観客に勝とうとしなくても大丈夫、と思うようになったんだ。昔はよく、セットの半分はクラウドをウォーム・アップさせようとしたものだよ。でも野外でのパフォーマンスしたり、ビーチの前や美しいものを目前にプレイすると、プレイしながらビーチを眺めたり出来るからね。それに、ステージに登場したとき、観客は既に僕の味方についてると感じることが出来るんだ。

Q : 今までやった最高のライブと最悪のライブを教えて下さい。

A : 最高だったのは初めてのブライトン・ビーチ・パーティ。果たしてちゃんと成功するのか、一体何人の人が足を運んでくれるのか全く想像がつかない中、6万5千人が着てくれた。僕の地元だし、天気も良好だし、観客からの愛情を感じるし…僕がロンドンに移り住むことなくブライトンに居住してることもあって、ブライトンの人は僕のことを誇りに思ってくれている。そして、みんながその気持ちを表しにパーティに来てくれたんだ。子供まで連れてきて、みんな笑顔で踊った。感じたものは故郷に戻ったプライドと勝利。「君は僕たちの仲間だ、そして僕たちは君を誇りに思う」っていうメッセージさ。

最悪だったのは上海公演だったな。プレイしながら警察や銃を持った兵隊とバトルしなきゃならなかった。ダンス・ミュージックを全く理解してくれなくて、バラードやスローな音楽をかけろって命令されるんだ(笑)。3年か4年前だったかな。伝言ゲームみたいに、「お願いだからスローな曲をかけてください、観客が興奮しすぎています」って来てね(笑)。だから「人々を興奮させるのが僕の仕事なんだ」って返したんだ。そうしたら、僕は仕事中なのに、「みんなが落ち着くように10分だけ止めてもらえますか?」って言いに来るんだ。だから僕は「仕事するためにここにいる。誰かが僕の頭に銃を突きつけて止めろって言うなら音楽を止めるけど、それまでは与えられた仕事をやり通す」って返したんだ。そうして返ってきた返事が「よろしければ頭に銃を突きつけますけど」だったから(笑)その時点でターンテーブルの電源を落としてその場を去ったんだ。何分か隠れてたらパフォーマンス再開の許可が出たから戻ったんだけど、その頃には観客が半減してて。みんな帰っちゃったらしいんだ。

Q : 最近では、近年のダンス・シーンの不健全さについて多く書かれていますが、今日のダンス・ミュージックにおける良い点と悪い点を上げてください。

A : 悪い点は僕たちがやることに対して自己満足になってしまったこと。ある時からヒット作りが容易になってしまって、新しいことに挑戦しなくなった。そんな時 The White Stripes や The Strokes といったバンドの方が、僕たちよりも優れたことをしていたんだ。

良い点は若者の夜遊びは時代に関わらず普遍的であること。いつの時代も若者は外に出て酒を飲んで異性(時には同姓)との出会いを求めて、楽しくパーティしたいものなんだ。ダンス・ミュージックはそのサウンドトラックなのさ。だから人々を笑顔にして、踊らせるという僕たちの職業はこれからも存在する。 それがヒットしたりするのは、おまけみたいなもの。今の僕たちはチャートに曲が登場するほど優れたことをしてないしね。でも仕事には困らない。だから何百万枚もの作品が売れなくとも、永遠に仕事があるんだ。

Q : "Bird of Prey" をはじめ、あなたは有名かつ価値のある楽曲を多くサンプリングしていますが、権利のクリアランスはどのようにして行っているのですか?サンプリングで払った最も高額な使用料はいくらでしたか?

A : 弁護士。多くの弁護士。自分の弁護士と、サンプリングをしたい人の弁護士…最近ではサンプリングを専門とする弁護士までいるんだ。というわけでサンプリングする曲側と協定をする。場合によっては高額だったりそうでなかったりもする。それは僕の仕事上必要なものなんだ。時々レコード会社からは「もう自分で払えば?そのほうが助かるんだけど」なんて言われたりするんだけど(笑)そんな時は「そうだね、だけど楽しさが半減しちゃうから」って返すんだ。

サンプリングで最も高額だったのはそのサンプリングによって出来上がった曲のロイヤリティ100%だね。もし100%以上が存在したとしても、しっかり払ったと思うよ(笑)。そういうケースは主に1つ以上のサンプリングを使ったときなんだけどね。例えば "The Rockafeller Skank" の場合、4つ別々のサンプルをクリアにしなきゃいけなかったんだけど、それぞれがロイヤリティの40%か50%、なんて提示されてしまって。「待てよ、分配できるのは100%しかないぞ」ってね(笑)。だから結局それぞれ25%づつ、ということになって、僕の取り分が全くないんだ。

Q : 今までに Bootsy Collins など名高い人々とコラボレーションをしていますよね。今後コラボレートしてみたいアーティストは誰ですか?

A : 僕は常に Al Green を挙げてるんだ、彼は僕が最も好きなシンガーだからね。彼は本当に素晴らしいソウル・ヴォイスを持っている。彼は神のような人だね。アル・グリーン牧師だよ。多分誰かが彼に、僕がどれだけ罪深い人間かを話したんじゃないかな。いろいろなところでコラボレーションをしたいと発言していて、マネージメントとも話したんだだけど、いつも「うん、たぶんね」って言われるんだから(笑)。

Q : 再びバンドをやることは考えられますか?

A : 恐らくないな。さっきも言ったけど、僕はDJとしての才能の方があるから…ライブ・ミュージシャンたちと仕事をするのは素敵だけど、実際またバンドを組むなんて僕にはもう体力がないよ(笑)20年もやってきたことだし、サウンド・チェックやリハーサルをしたり、酔っ払って狂ったドラマーと一緒にやるにはもう年をとりすぎてると思うよ。

Q : 奥様と一緒にクラブへ行ったりしますか?

A : 2つの理由があって、ノーだね。1つ目はクラブは僕の仕事場だから。空いた時間があればむしろ家で息子と時間を過ごしたいよ。2つ目の理由は、イギリスで僕と妻はわりと有名人なんだ。だから一緒に出かけたりすると、みんなにジロジロ見られてリラックスできない。ジロジロ見られてると分かってながら酔っ払えないしね(笑)。

Q : 6月に行われるネス湖イベントについて、企画にどのように関わりましたか?

A : ロケーションが素晴らしいんだ。いかに最高のものにするか考えたよ。友達の Carl Cox を説得して参加させたり…僕の主な役割は人々を楽しませて、より大きなパーティにするためにより多くのお客さんを引き付けることかな。もともとは、イベントに招待されただけだったんだけど、ブライトン・ビーチもやったし、ブラジルはリオのコパカバナ・ビーチもやったし、オーストラリアのボンダイ・ビーチもやったし。ネス湖岸が残ったビーチの名所だなって思ったんだ。

Fatboy Slim Interview

Q : サンプリングの素材はどこからインスパイヤされるものなのでしょうか?

A : 僕にとって、アルバム製作の初期段階とは、ロスやニューヨークの中古レコード屋に行って大量のレコードを1枚49セント(約50円)で買いあさって、一枚一枚聴いて笑えるボーカルやメロディを見つけること(笑)

Q : ベスト盤や "You've Come Long Way,Baby" 等のジャケットに登場するあの「太った少年」は一体誰なのですか?

A : いまだに知らないんだ。ある日彼の写真を新聞で見かけて、僕を無償に笑顔にしてくれた。そこでその写真の権利を買い取ったんだけど、そのフォトグラファーでさえもその子の名前や正体は知らなかったんだ。その子からもまったく連絡もないしね。写真は'85年に撮影されたものでね。是非「僕です」って出てきて欲しいよ、金をあげて仕事も与えるよ(笑)。でも見つけた事はないんだ。

Q : ベスト盤に登場する際に、羽をつけて天使にしようと言ったのは誰なんですか?

A : 僕だよ。ベスト盤とは自分のヒット曲を振り返るもので、あのアルバム "You've Come Long Way,Baby" は最も成功した作品であり、少年もアイコン化していた。だから聖者にしてやろうって思ったんだ。片手にタバコを持ってるけどね(笑)。そこも矛盾があっていいんだ。

Q : 最後に、新曲について教えてください。

A : "That Old Pair Of Jeans" は古典的 Fatboy Slim の領域を再び訪れてる感じ。そしてもう1曲の "Champion Sound" は今後の Fatboy Slim の予告編かな。

End of the interview

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