デトロイト出身のDJ、プロデューサーとして10年以上に渡ってシーンを牽引してきたClaude Young。つい最近、2005年以降の活動を停止するというニュースが世界中を駆け巡り、多くのテクノ・ファンに衝撃を与えたことは記憶に新しい。しかし、その決断の理由が実は、今のクラブシーンのあり方に対しての彼なりの問題提起であり、自らとシーンのかかわり方を再度見直すためのプロセスであるという真意は、あまり上手く伝えられているとは言い難い。
その意味で、HigherFrequencyが8月の来日時に行ったこのインタビューは、Claudeが自らの言葉でそのことについて語った貴重な内容であると言えるだろう。「自分はレイブDJじゃなくてクラブDJなんだ…」そう語るClaude。その言葉にこそ、シーンのトップを走ってきたアーティストならではの、現在のクラブシーンのあり方についての思いが込められている…そんなことを感じさせられたインタビューであった。
> Interview : Laura Brown (ArcTokyo) _ Translation : Eri Nishikami _ Photo : Mark Oxley (HigherFrequency) _ Introduction : H.Nakamura (HigherFrequency)
HRFQ : 日本には何回も来た事があると思いますが、今回で何回目ですか?
Claude Young ; イギリスに住んでいるんだけど、ワイフが日本にいるので最低年一度は来てるかな。来年の一月にはまた来日することになっていて、その時は2ヶ月ほどいると思うよ。特に大阪と京都にはすごく仲のいい友達がたくさんいるから、日本にくるのはいつも楽しみだし、ヨーロッパにいるときよりゆったりできるのがいいね。
HRFQ : ウェブサイトで見ましたが、2005年からしばらく活動を休止するというのはなぜですか?
Claude : 正直言って疲れきっちゃったというのが本音なんだ。ちょっと前まではもう少しゆっくりできたんだけど… 年をとった証拠かな。もちろん今でもヨーロッパのあちこちで大きなパーティーでプレイしてはいるよ。でも、そういうのはあんまり自分のスタイルじゃないし、自分はずっとレイブDJじゃなくてクラブDJだと思ってきてたからね。だから、大きなパーティーでプレイするって言うのは結局性に合わないっていうか、やっててもあまり楽しくないんだ。人と会うこと自体は基本的に好きだから、本当はもっとオーディエンスと近くにいたいんだけど、一万人相手じゃそれもムリだしね。それに、そういうパーティーでは、ある種の決まったやり方みたいなのがあって、それに疲れたって言うのもあって…。だから、やめはしないけど、とりあえず半年くらい休んで他の事に集中しようと思っているんだ。ビデオのプロデュースとか、あとはアンビエントのプロジェクトとかね。あと完全なレフトフィールド系のボーカルものもやろうと思ってる。やっぱり名前が売れちゃうと行き詰まるっていうか、今はまさにそういう状態かもしれない。でも日本は僕にとって特別な国だから、絶対またカムバックしてプレイしたいと思っているよ。まぁ、日本とかシンガポールみたいに、自分の思い通りにプレイできる場所もあるけど、レイブだとそれができない…だからブレイクが必要なのかもしれない。この10年間、毎週ノンストップだったしね。まぁ、もちろん好きでやってたんだけど…。
でもホント日本はいいところだね。僕自身とてもインスパイアされるし、自分の思うようにプレイ出来て、しかも皆純粋に音楽を楽しんでるのがわかるし。それに比べて、ヨーロッパは少しおかしくなってきているんじゃないかな。あそこのクラブシーンって、もう何年も続いてるでしょ?だからヨーロッパの人間は全てを知り尽くしたって思ってるところがあるんだ。でもヨーロッパでも東欧諸国、例えばチェコなんかは今かなりアツくて、洪水みたいに膨大な雑誌の情報にのまれてないから新鮮だったりもする。実は今、CDオンリーでしかも日本でしか発売しない、あとは輸出だけってレーベルを立ち上げようとしてるんだ。この国は僕にとって元気のもとになってくれたから何かお返しをしてもいいんじゃないかと思ってね。
HRFQ : Virgin, Tresor, Mo' Wax, Soma, Studio K7などのレーベルと仕事をしてきましたよね。その意味であなたは、メジャー、インディペンデント両方から受け入れられた数少ないアーティストの一人だと思いますが、金銭面以外で扱いの違いみたいなのを感じたことはありましたか?
Claude : そりゃあるよ!! でも、ビッグレーベルにはもう手を出したくはないね(笑)。僕の父は70年代に自分たちで始めたデトロイトのJLBラジオに勤めていたから、僕の周りにはいつもオープンリールテープなんかがあったし、エルトンジョンとかジャクソンズとか、そういった人にも会う機会があったんだ。ただ、ラジオはちょうどそのころプレイリストへと変化していった時期で、父は自分の選んだレコードをかけることができた最後のDJの一人だったと思う。彼はそれがきっかけでDJを辞めてしまったんだけど、僕がHYTのミックスショーをやめたのも同じ理由だったね。ある週は自分の好きな曲をプレーできたのに、次の週にはなぜかマドンナをかけないといけない… そういうメジャーな音ばかりプレイするよう強要されて、インディペンデント系のトラックをかける機会がどんどん少なくなって、すっかり疲れちゃったんだ。
僕は音楽が本当に好きだし、仕事だなんて思っていない。でも、例えば付き合ってた相手に対する気持ちがある日突然前とは違うことに気付くみたいに、今は前と同じように感じることができないんだ。ただ、確かに僕はメジャーとインディーズの間を行ったり来たりしてきたけど、プロジェクトに取り組むときの情熱という意味ではいつも同じだよ。日本人アーティストで椎名林檎っていうアーティストがいるでしょ。彼女はほんとにいいと思うし、彼女みたいなアーティストとレコードが作れたらって思ってるし…ほら、不思議でしょ。なにがやりたいかなんて簡単に変わっちゃうものだと思うよ。
でも今はインディーズのほうがおもしろのは確かだね。テクノロジーの進歩のおかげで、まさにゴールデン・エイジって感じだし。昨日の夜仕上げたリミックスを今晩プレーする… そんなことちょっと前までぜったいムリだったよね。前だったらダブ・プレートを製作するのに100ドルくらい払わされて、しかもほんの数回しかプレイ出来なかった訳でしょ。それが今ではそんな心配をしなくていいし、いろんな人に渡せるんだから最高としか言いようがないよね。ウェブで自分の言いたいことを流したり、ビデオを撮りたかったらホームビデオがあるし、大きなレーベルに行かなくてもデモを出す事だってできる。考えただけでいい気分になってくる! 今の若い子は皆この環境で育ってるんだよ。言ってみれば僕がカセットテープからデジタルエディットに出会ったみたいなものかな。90年代初めにこれがあればな〜。無駄にすごした時間がもったいないよ。
HRFQ : ビデオの話が出ましたがビデオもよくやるんですか?
Claude : ビデオにはだいぶ前から興味があったんだよ。ミシガンのサウスフィールドにいる頃に通ってた学校にTV局があったんだけど、そのテレビプログラムのリーダーをやってたこともあるんだ。バスケとかサッカーとかレスリングなんかのスポーツ番組とか、エンターテイメントショーなんかもやったし、すごく楽しかったな。で、ここでまたデジタルの恩恵を受ける話になってしまうんだけど、映像に関してもホント簡単に色んなこと出来るようになったよね。実は、自分で撮影した日本の映像とか、その他にも保管してある映像がたくさんあるんだけど、これから好きなようにその映像を使っていこうと思ってるんだ。あと、自分やDaniel Bell, Anthony Shakirとかが映っている昔の映像もいっぱいあって、皆でレコードをプレスしに行くときの映像なんかも残ってたりするから、3人のドキュメンタリーを作ることも考えている。映像は十分あるから、あとはそこに自分たちの曲をのせて… たぶんDVDも出せるんじゃないかな。しかもジャパン・オンリーでね。
HRFQ : 今後もしばらくはグラスゴーに住んで、イベントTrue Peopleを続けていくつもりですか?
Claude : それは活動休止中にやり直したいと思ってることの一つかな。ロンドンに住んでからグラスゴーに引っ越して、またロンドンに戻ったんだけどあまり居心地が良くなくて… 結局また今はグラスゴーに住んでるんだけど、やっぱりここが一番落ち着くみたいだね。グラスゴーの人も土地柄も僕は大好きで、ここなら自分のやりたいことができるし、True People自体も最高のイベントで、ファンクのレコードとか、かけたいものなら何でもプレイすることが出来たんだ。150人くらいしか入れない小さなバーでやっているパーティーなんだけど、その分エントランスも安く3ポンドくらいに抑えて… よくIan O'Brianとか友達と一緒に一晩中プレイしていたものだよ。でも、そういうパーティーって今は少なくなったね。まぁオフを取っている間に、また場所を見つけて、新しいTrue Peopleをやりたいと考えているし、その時は日本でもぜひやりたいものだね!
HRFQ : いろんなところに住んだ経験があると思いますが、なぜグラスゴーに移ったんですか?
Claude : アメリカ以外で最初に住んだのがメルボルンなんだけど、あそこにはしばらく住んでいたね。とにかく住んだ場所が気に入ったらしばらく住んでみるようにしているんだ。それからまたアメリカに戻って、しばらくはデトロイトとかシカゴ、あとたまにLAなんかでいろいろやってたんだけど、93年か94年にエジンバラでプレイする機会があってね。そのときに友達がいっぱい出来たから、それ以降、年に3,4回は通うようになったんだ。Neil Landstrummとか、今はプロデューサーになったやつが多いけど、そのころに出会った連中とは本当に仲良くなったね。スコットランド人は本当によくしてくれたし、彼らに対しては特別な思いがあるんだ。だから、ここは第二の故郷というか、ここが自分のいるべき場所だって気がするね。
HRFQ : DJセットがかなりスリムになったみたいですが、これもテクノロジーのおかげでしょうか?
Claude : よくぞ聞いてくれたよ(笑)! ファイナルスクラッチが発売されて、試しに使ってみたんだけど大変でね。セットアップしようとしたらミキサーの種類が違ったり、プラグを変えてあったりとか… たとえば去年の夏にスペインに行った時は、レコードを一枚も持っていかずにコンピューターとファイナルスクラッチだけでプレイしようと思っていたんだけど、行ってみたらものすごく小さなバーで、しかもミキサーにつなぐRCAプラグがXLRプラグに取り替えられていてね。一応ファイナルスクラッチをつないでみたんだけど何もプレイできないし、結局他のDJが持っていたレコードを使ってプレイする羽目になったんだ(笑)。でもファイナルスクラッチはいいと思うし、Traktorも使ったことがあるよ。あと最近ではAbletonの"LIVE"を使い出したんだけど、反応スピードが速いから、プレイをしながらのミックスには最適だね。今夜はレコードとCDでプレイするけど、日本でプレイするときにもよく"LIVE"はつかってるんだよ。映画とかからサンプリングしたものなんかも使えるし、将来的には、効果音とかをサンプリングしたものとかも混ぜながらプレイしてみたいね。
HRFQ : グラスゴーではアートとか音楽ってどんなものが流行ってますか? あと、新しいジャンルの方はどうですか?
Claude : グラスゴーは本当に面白い街で、クリエイティブな人が本当に多いと思う。ギャラリーなんかもたくさんあって、しかもほとんどがタダだから、いつでも見ることが出来るんだ。それに、ナイスなカフェもたくさんあるし、こじんまりとはしているけど美しい街だよ。他所から来た人にもすごくフレンドリーだしね。でもデトロイトに少し似た悪い面もあるのは確かかな。地元の仲間同士のつながりがすごく強いっていうか… Rub-a-Dubっていうレコード屋があるんだけど、あそこなんかはまさにデトロイトって感じで、みんないつも店でハングアウトしちゃあコーヒー飲みながら新しい音楽聴いたりしてるからね。
HRFQ : 日本のファンに一言
Claude : 何年もの間サポートをしてくれて、本当に感謝しているよ。近い将来にはず〜っと住めたらって思ってるんだ。
End of the interview
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