international news_2009.11.30
Text by Jonty Skrufff (Skrufff.com) _ Translation by Shogo Yuzen
ロンドン・イズリントン地区の議員達は、旧 Turnmills の建物を取り壊し7階建てのガラス張りのオフィスとショップの入った新たなビルを建てる、という土地開発デベロッパー London Derwent が打ち出した提案を却下し、同建造物をナイトクラブにするという可能性を考慮し始めた。
イズリントン地区の議会長である George Allan は、Derwent 側が同建造物のビクトリア朝時代の歴史的建造物としての価値を無視していると批判し、「彼らにはこの建物自体の価値を活かそうという考えが全くない。」 と Islington Gazette 紙 に語っている。またこの建造物については、ジムにするという可能性も示唆している。
「議会ではこの建物は残す価値があると判断している。確かにこの建物の全部分の使い道が決定しているわけではないが、それだけでこの建物を取り壊すというのは違うと思うんだ。」
Turnmills は、非常に影響力のあったアフターアワーズパーティー・Trade の開催によって一躍有名になった。同パーティーには Tony De Vit, Danny Rampling, EJ Doubell などの人気DJらが出演し、アンダーグラウンドのトランス、テクノ、そしてハード・ハウスをロンドンに広めることに貢献したパーティーとして知られている。
父親がこの建物のオーナーだったUKハウスのDJ・Tall Paul も Trade でDJプレイをすることで名声をあげ、2001年の Skrufff とのインタビューでは同パーティーへの敬意を払っていた。
「Trade はすごくユニークなクラブで始まったんだ。当初はゲストリストもすごくユニークだった。身内が多くて、知る人ぞ知るという感じのパーティーだったね。」 と当時を振り返り Paul は語っている。
「その頃のロンドンではボーカル・ガラージのシーンがすごく盛り上がっていて、それ以外の音楽は、特定のゲイクラブとかにでも行かない限りクラブではかからない状態だったんだ。Trade はかけていた音楽で有名になったんだよ。一方で Cream や Hard Times は歌もののハウスを中心にかけてたんだ。ヨーロッパで色んな音楽が生み出されていた時代だったのに、それがいわゆるスーパー・クラブと呼ばれるような場所ではかかってなかった。Trade はその大きな溝を埋め、多くのDJにとっての成功にきっかけにもなった。Trade のレジデントDJであれば、それだけでブッキングが取れたんだ。」
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