international news _ JONTY SKRUFFF _ 2005.11.04
Text by Jonty Skrufff (skrufff.com) _ Translation by Kei Tajima (HigherFrequency)
オルタナティヴ・クラブのプロモーター Simon Hobart が、先日、自宅の外で死亡しているのが発見された。のちに行われた調査によると、死因は転落死。41歳だった。
Simon Hobart は、かの有名な Nag, Nag, Nag が行われている Ghetto、Trash Palace、そして Popstarz といったクラブを所有者であると共に、ロンドンのオルタナティヴ / エレクトロ・シーン旋風を巻き起こしたキー・パーソンであり、非常に有名で、影響力のある人物だった。
Simon がはじめてUK のクラブ・シーンに大きな衝撃を与えたのは '80 年代中旬。ゴシック/オルタナティヴといったジャンルを扱うウェアハウス・パーティー、Kitcatをオーガナイズし、イベントが行われた毎週土曜日夜には、Westbourne Grove に多くのフリークたちを集めた。ポスト・パンク、エレクトロ・ロックといったジャンルを扱った彼のパーティーは非常にアンダーグラウンドでエッジーなものだったため、ジャーナリストも普通のクラウドを寄せつけなかったため、間違ったイメージを植えつけられることもあった。
「僕のクラブはお金持ちのためではなく、センスと、スタイルのある人たちのためにあるんだ」2004年3月にSunday Times が企画した "趣味の悪いクラビング" という馬鹿げた記事において彼をピックアップした際に、Simon はこうコメントした。「どんな人でも、"楽しみたい"という気持ちがあればクラブに入れるんだ。態度のでかい奴は絶対に入れないね」
彼がメイン・ストリームで名を広めるきっかけとなったイベントと言えば、彼自身もイベントの成功において重大な役割を果たしたNag Nag Nag であり、昨年 Skrufff とのインタビューに応えたJo De Freq もこのように語った。
イベントを始めてから4〜5ヶ月は、本当にとんでもない状態だったの。始めてから5週間してGhetto にハコを移したんだけど、そこでも全然お客さんが入らなくて。すごいプレッシャーだったわ。Ghetto にはきちんとしたオーナーやプロモーター、サウンドシステムもあったからね。でも本当に空っぽだったの」
「そんな状態でも Simon はすごく助けになってくれたわ。我慢して、よくアドバイスをしてくれた。そんな状態が続いて、イベントを始めて6ヶ月経ったころ、急に人が入るようになったの。昔はジョークで "そのうちクラブの外に行列が出来るようになるわよ"って言って笑っていたんだけど、一回満員になってから毎週人で一杯になるようになったわ」
彼の死を受けて、Simon の家族によるコメントがGhetto のウェブ・サイトに掲載され、Nag Nag Nag をはじめとするイベントは今後も続行していく予定であると発表された。
「Simonの残したものを引継ぎ、彼のクラブやそのクラブで行われているイベントを続行してもらうのが私たち家族の望みです」
「クラブやイベントを通して、彼が人々の心に触れ、人々の人生を変え、何人もの人々を幸せにしたのです。Simon の残した功績がこれからも引き継がれることは、彼自身の望みであり、私たち家族の望みでもあります。ですから Popstarz や Ghetto、Trash Palace は、このまま運営を続け、Simon が愛した人々に喜びを運び続けて欲しいのです。Simonのクラブは彼が望んだとおりのマナーとスタイルで今後も運営されて行きます」
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