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DJ Sneak

international news _ 2006.03.15 _ JONTY SKRUFFF

DJ Sneaks のシカゴ・ゲットー・ブルース

Text by Jonty Skrufff (Skrufff.com) _ Translation by Kei Tajima (HigherFrequency)

シカゴ・ハウスのスター DJ Sneak が、先日リリースされた Ministry Of Sound のコンピレーション CD についてのインタビューに応え、彼が音楽で成功し、十分な資金が入ると共に、真っ先にWindy City から離れていたことを明らかにした。

「シカゴは荒れた場所だよ。僕はギャングのグループが毎日対立してるような場所に住んでいてね。ある程度の年齢になった時、よくギャングに彼らの商売を手助けするよう勧誘されたものだよ」

「僕には2つ年下の弟がいてね。彼によく "関わるな" って言ってたのを覚えてるよ。だから今でも弟はきちんと生きてるしね。刑務所にいるわけじゃないし、ドラッグを売っているわけでもない。町を去ることが出来るようになるまで、ああいった危険な環境の中で暮らして、ゲットーで生き残ってきたんだ。今僕はカナダに住んでるよ」

ハウス・シーンの第二世代を代表するDJである彼は、13歳までプエルトリコで育ち、両親とシカゴに移住した後も、始めはスペイン語しか話すことが出来ず、新環境に慣れることに随分と苦労したようだ。

「シカゴへ移住したことはものすごく大きなカルチャー・ショックだったよ。次第にそれにも慣れていったけどね。ただ、常に身の回りに注意したり、車が強盗に入られやしないかとか、誰かが母親の家の前で銃を乱発しやしないかを毎日心配して生活しなきゃならないのには、どうしても慣れなかったね。それがシカゴの現実さ」

「中級クラスの人々の住む場所はいつの間にか消え去って、高級な住宅街に住めなければ、ゲットーに住まなければならないような状態になってしまった。だから今のシカゴには、白人が住んでスターバックスのあるようなヤッピー・エリアかラテン・アメリカ人や黒人の住むゲットー・エリアしかない。ゲットーでは人が死んでも誰も気にしない。自分の出来ることをやって這い上がっていくしかないのさ。それに、シカゴはものすごく差別のある場所だと思うよ」

このような Sneak の記憶は、シカゴ・ハウスのスター Kenny Larkin が、ヨーロッパ・ツアーから帰った日の夜に、玄関で泥棒に銃で撃たれた経験と類似していた。もっとも Kenny Larkin の場合は、成功し、高級エリアに移った後に起きた出来事であったという。

昨年行われたSkrufff とのインタビューで、Kenny は二人の男がマグナム357を自分に向かって発砲し、銃弾が彼の体を痛感した時の様子をこう説明していた。

「銃口が光って、銃弾が突き抜けるのを感じたんだ。ただ、その時は痛みを感じなくて、どちらかというと「イテ」って感じだったね。"この程度なら大したことはないはずだ" って最初は思ったよ」

「ドアを閉めて彼女に "警察を呼んでくれ!撃たれた!"って叫びながら、彼女に警察を呼んでもらった。その間も、オレは"撃たれた!信じられない!撃たれた…" って言いながら、家の周りをグルグル回っていたんだけど、やがて背中の傷がひどくなって、立ってられなくなったんだ」

それから Kenny は 「彼自身も麻薬の取引に関わっており、それがこじれて撃たれた」という警察による侮辱的な態度に耐え、盲腸と5フィートの腸を失いながらも、完璧に体調を回復させた。警察は、彼が家にいないと予想して強盗に入った犯人が、Kenny がドアを開けたことにビックリして銃を撃った可能性が高いと話したという。

「知らない人が訪ねてきても、絶対にドアは開けないね。あの事件以来、家の外にスタジオを作ったんだ。スタジオには銃も置いてあるよ。犯人に戻ってきて欲しくないからね」

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