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international news_2009.12.16

誰もいないダンスフロアの悪夢

Text by Jonty Skrufff (Skrufff.com) _ Translation by Shogo Yuzen

先日、言わずと知れたポップ界の伝説 Paul McCartney は、ロンドンで開かれた記者会見にて The Beatles の初期の思い出を語り、時に客が誰もいないダンスフロアに向ってライブをしなくてはいけなかったことについて語った。

「ある日、僕達はストラウドでライブをしたんだけど、お客らしいお客は誰もいなかったんだ。あれは気分の良いものじゃなかったね。その上、あの頃はテディボーイや不良達がいて僕達にコインを投げつけだしたんだ。」

当時の McCartney はこのような経験によってパフォーマンスに対する不安を抱え始め、音楽を辞めることさえ考えたという。

また、ニューヨークのハウス界の伝説 David Morales も、一時期、音楽を辞めようかと考えたことがあると語っている。

「嫌な一夜を経験すると、時々辞めようかって考えることはあるよ。けど、そういう夜って絶対に訪れるものなんだ。嫌な夜を経験して、『僕は何をやってるんだろう?こんなことを続けてていいのかな?』 って思うことはあるよ。僕は音楽を作れるからまだ救われたけど、それでも悩んでしまうものなんだ。だけど逆に、嫌なこと全てを忘れさせてくれるような素晴らしい夜も訪れる。そんな時、きちんと自分の目標が定まって、『自分のやりたいことはこれで、やりたい以上はどうしようもない。』 って思えるんだ。」

シカゴ・アシッド・ハウスのパイオニアである DJ Pierre は、キャリアをスタートさせた1993年、彼にとっての初パフォーマンスであまりにも ”酷いギグ” を行ったためにアーティスト名を Nat Jammin Jones から Pierre に変えたと言われている。その失敗の原因となったのは、客がいなかったことでも、厄介な客がいたわけでもなく機材トラブルだった。

「僕のDJパフォーマンスが失敗したわけじゃなかったんだ。レコードの針が壊れてたんだよ。機材をセットアップしてた人間が失敗してた上に、代わりの機材がなかったんだ。そのせいでみんなが集まったのにパーティーは無音だった。オーディエンスはお金を払って入ったわけだからみんな怒ってしまったんだ。もちろん、その時に僕の名前はフライヤーに思いっきり載っていたんだ。当時はDJがパーティーを主催することも多かったし、みんな僕が主催者だと勘違いしてたんだ。だから 『もうこの名前じゃ誰も僕のパーティーには来てくれないだろう』 と思って改名したんだよ。」

またつい先日、エレクトロ・ハウスのDJ、Tommie Sunshine はこの話題について Twitter に書き込んでいた。(http://twitter.com/TOMMIESUNSHINE)

「DJ AM が言ってたとおりだ。僕はDJで君がプロモーター。君は客を集めて、僕は音楽を選ぶんだ。」