international news _ Jonty Skrufff _ 2005.04.22
Text by Jonty Skrufff _ Translation by Kei Tajima (HigherFrequency)
音楽業界の重鎮であり、英レーベルAzuli RecordsのボスDave Piccioniが、先週Skrufffとのインタビューに答え、彼が初期のハウスDJとしてそのキャリアを続けず Azuli Recordsを設立することを選んだのは、「DJが非常にストレスの多い職業であるから」と語った。
「ただ、DJという職業を非常に不安定なものだと感じたんだ。僕だけではなくすべての人にとってそうだと思う。もし大衆に気に入ってもらえなければ、仕事にありつくこともできないし、DJの上手さなんてあまり関係ないんだ。僕はそういう筋書きが気に入らなかった。ほとんどのDJや俳優は、いつも不安なんだ。なんせ、人気がなくなったら、生活していけなくなるからね」
イギリスのHuddersfield出身の彼は、1984年にニューヨークへと移り、マンハッタンのクラブ the WorldのレジデントDJとして、市内一のハウスDJに成長する。しかし、1990年にはFrankie KnucklesやDavid Morales 、Larry LevanといったDJ仲間と離れ、イギリスに戻る決意をしたのだった。
「音楽ビジネスの世界で仕事をしたかったんだ。ただのDJでいたくなかった。もちろんDJは楽しかったよ。けど、それだけをやっていく気はなかったのさ。人に気に入られようと努力するより、自分自身の力で成功したり、失敗することの出来るビジネスに力を入れたかったんだ」
こうしてAzuli Recordsは20年後も世界随一のハウス・レーベルとしてその名を轟かせる存在となり、Daveはそれに平行してイビザやスイス、ポルトガルやイタリアなどで定期的にDJを続けている。また彼は、最近リリースされたMiami 2005をはじめ、Azuli Recordsの高名なコンピレーション・シリーズを手がけている。
(Jonty Skrufff/Skrufff.com)
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