HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

2002年の WIRE'02 で、上海からの 『逆輸入』 的DJとして華々しく日本のシーンに登場した Shin Nishimura。当時も、そして現在でもまだまだ日本に入ってくる情報の少ない中国で、クラブと呼べるもののなかった状態から文字通りゼロからの挑戦を挑んだこと、またイギリス留学中の10代のうちに本場クラブシーンのエネルギーを受け取め、DJ活動をスタートした面など、キャリアの初期から国際派DJとしての活動を続けてきた。国境にとらわれないその実力は、アジア諸国やヨーロッパ各国などから絶え間なく出演オファーを受けていることでも明らかだ。

およそ1時間半にも及んだ今回のインタビューでは、自身のバックグラウンドから現在のシーンへの提言、中国のシーン、そしてソーシャルメディアの活用した海外へのアプローチといった深いところにまで踏み込んで語っていただいた。DJ・アーティストとして活動している読者の方々には特に、今後の参考になる言葉を見つけることができるはずだ。

Interview : Naoki Koizumi
Introduction : HigherFrequency


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S.N (Shin Nishimura) : こんにちは。

-- こんにちは、よろしくお願いします。
'93年、留学先のイギリスでクラブカルチャーに触れられてから長い間シーンでご活躍されていますが、あらためてDJとしての活動からお聞かせください。 中国でDJをはじめられたのでしょうか?またそのきっかけを教えてください。

S.N : 実質、DJの機材を買ったのは高校2年生の…2月かな。

-- それは留学中ということですよね?てことはイギリスで?

S.N : そうですよ。

-- なるほど。

S.N : で、体育館とかを借りて、その中でディスコ的なものをやっててんけど。遊びでね。ちゃんと始めたのは上海の大学時代からで、色々店を回って、売り込んで、教えてもらって…。最初はディスコでやってた。

-- それは上海のディスコですよね?当時、上海にはクラブってものはなかったんですか?

S.N : ないない。もう、ディスコだよ。

-- じゃあ、クラブシーンなんてものは無かったわけですね。

S.N : ないないない!

-- いわば上海のクラブシーンの基盤を作ったとも言われてますけど、その中心人物としてご自身のパーティPLUS を始め、あなたがシーンを築いたことは本当に素晴らしいことだと思います。実際、当時の中国のクラブシーンは - ないとお伺いしましたが、どういったものだったのでしょうか?

S.N : 東京で言う昔の LIQUIDROOM とか、イギリスのマンチェスターの Hacienda とか…そういうの(クラブ)ってあるやん、世界中どこにでも。 シンガポールで言えば Zouk とか、香港で言えば Pink とか 97 とか…そういうのが色々あるのよ、実は。どの土地にも。

で、上海って DD's club ってところが初めてのクラブやねんけど…じゃ、クラブとディスコの違いって何かみたいなことになるんやけど、その DD's ってのは照明もないし、スピーカーとDJブースとバーがあって…みたいな。そこで踊るってことが、たぶん中国人にとってしたら考えられなかったと思う、というか、意味がわからんかったと思う。

-- 実際、中国ではどれくらいの期間DJをされてたんですか?

S.N : 7年。DD's 以外も(含めて)ね。DD's は はじめてアシッド・ジャズやハウスとかをかけたところ。

-- 7年はすごいですね。 以前にも、18歳の頃にそれこそ毎晩、毎日DJをしてたって聞いたんですけど…

S.N : 18歳から24歳くらいまで毎日、週5日、週6日くらいでDJしてたね。上海マフィアにまみれて…

-- 「上海マフィアにまみれて…」って(笑)。

S.N : いや、もうすごいよ。みんなが経験してないような事をたくさん経験してると思う(笑)。

-- 10代ですよね?考えられないですね…(笑)。
それで、7年間活動して、中国が政治的な動きや法律で継続するのが厳しくなったこともあり、拠点を日本に移して活動されてますが、その頃の話も聞きたいです。ちょうど日本に移ったのと、(ドイツの) MAYDAY の出演も同じくらいの時期でしたよね?

S.N : えっと、MAYDAY が2001年、(日本へ)帰ってきたのが2002年。

-- じゃ、日本に帰ってくる前にドイツの MAYDAY に出演されてたんですね。

S.N : うん、上海からね。

-- その頃の MAYDAY ってキャパシティ何人くらい入ってたんですか?

S.N : 公称で3万かな。

-- 実際にプレイされてどうでした? 3万人の前で?

S.N : 日本人で、俺が上海から (MAYDAYに) 出るっていうのが全く信じられへんし、とにかく何か「出ていいの?」って感じやった。何のキャリアもないし、上海以外では香港でしかやったことなかったし、俺なんかが出ていいのかな、っていうのはあった。気持ちよかったし、踊らされたよ、たくさん。

-- すごいなあ…。 僕、日本で Shin さんを始めてみたのが STERNE だったんですよ。で、フライヤーって、(名前が)英語表記じゃないですか。それで、初めは本当に (Shin Nishimuraが) 中国人とのハーフなのかなって思いまして…ちょっとかっこいいなー、って。

S.N : Shin ってのがね(笑)。

-- トヨタのLexus じゃないですけど、逆輸入版みたいな感じで、そんな印象がありました。で、実際に日本では Plus Tokyo をどのようにスタートされたんですか?

S.N : 中国時代から知り合った Technasia が日本ですごく人気になったから、彼らの協力もあり、最初は彼らのオーガナイズで LIQUIDROOM でやって。で、その後は俺と、今北京に住んでるキコ君ってのが中心になって話して。キコは俺が PLUS SHANGHAI をやってたとき PLUS 北京をやってて、それで、その後 PLUS TOKYO。
その当時で考えたら、日本人としてはやってないことをやってるなと。上海と北京でやってた奴が東京に殴りこみに来るなんてさ、意味わかんないよね。(笑)

-- そうですね(笑)。

S.N : あの時、勢いでやったというか…何だろうね?あの行動力。俺もあの時の行動力は未だに自分でも理解できんわ。

-- そこから Technasia をはじめ、いままでPLUS TOKYOに出演したアーティストは沢山いますが、特に印象的な方は?

S.N : やっぱ Steve Rachmad かな。すごいヒーローだったから、俺の中で。2009年の頭に Steve と久々に再会して、オランダ行って Steve の家に泊まって。彼は俺のヒーローの中でもダントツな一人だから、とにかく彼との思い出がむちゃむちゃデカいね。

-- ちょうどお伺いしたかったんですが、オランダの AWAKENING 出演のときにも (Steve Rachmadと) 同行されてましたよね。AWAKENING は Steve Rachmad の主催なんですか?

S.N : いや、他に主催者がいて、オランダからは普通に誘われた。Ken (Ishii) さんからのプッシングはあったって聞いたけどね…。Japan Night で誰かいる?って聞かれたときに、Ken さんが Shin Nishimura と言ってくれたという話を。

-- それは嬉しいですよね。
ところで、去年以降、PLUS TOKYO は開催されていないですよね。現時点では PLUS UTSUNOMIYA (宇都宮)を開催されてますけど、そちらはどういったパーティーなんでしょうか。また、今後の PLUS TOKYO の開催の予定というのはどうでしょうか?

S.N : PLUS UTSUNOMIYA は、宇都宮にいる、僕が日本でとても尊敬してる人が、僕のことを好きでサポートしてくれていて。別に外タレを呼んでるわけでもないし、俺が行ってるだけやねんけど、それでも一緒にやりたいって言ってくれてるのがすごく有難いよね。宇都宮の HAUS っていう箱は最近その人が始めたんだけど、キャパシティ200から300か、それくらいかな。とにかく俺はその人がすごく好きで…K2 (カツ) さんっていうんだけど、その人のクラブや遊びが好きで、楽しいことが好きで、宇都宮が好きで、みたいな感じ。それで HAUS で PLUS UTSUNOMIYA をやってるわけだけど。

-- (HAUSは)複合施設みたいな感じでいいところだと聞きました。

S.N : むっちゃいいね。めちゃめちゃいい。本当になんか、クラブバカが作ったみたいな箱。かなりいいと思う。

-- ちょっと余談になりますが、温泉みたいなのも近くにあるとか…施設内ですか?

S.N : 足湯かな? VIPにね。

-- ちょっとナンセンスな質問になってしまいますが、実際、PLUS UTSUNOMIYA の盛り上がりはどうなんですか?

S.N : うーん、まあ難しい、正直。難しいけど、僕は K2 さんがやろうとしてることを信じてるし、K2 さんならできると思ってるから、一緒に頑張ろうって感じで進んでます。

-- 東京だけじゃなくて、テクノだけじゃなくて、宇都宮っていう意味でもっと盛り上がってくるといいですよね。クラブミュージックとして…。
今後のPLUS TOKYO の開催の予定は?話していただける範囲で大丈夫ですよ。

S.N : これは非常にセンシティブな話なんだけど…。PLUS は、俺はいつでもやりたいと思ってるよ。でも、やる場所・やれる場所との兼ね合いが絶対あるし。こっちはどちらかというと理想主義で、クラブは現実主義やからね。で、俺はもちろん PLUS をやりたいけど、今の状況の中ではちょっとやりたくはない。っていうのは、パーティーって、自分のパワーもいるし、ハコのビジネスっていうのもきちんと考えてやらなきゃいけないし。

すごく思うところが、クラブも、オーガナイズする人たちも、DJも、一緒になって考えていかないといけないなと思ってて。クラブはハコモノ、要はテナントビルやファッションビルみたいなもので、その中でテナントのショップがあって、家賃が払えなくなったら追い出される感じやんか、人が入んなくなったらね。そういう中で、クラブはすごい権限を持ってる、何もかも。それで、俺たちは客をつっこめれば発言権ってのが初めて持てるし、客が減ればいつでも追い出されるし。じゃ、何のためにやってるのかなってやっぱ、思うようになった。正直。

それはもちろん、「ファッションビルの中の商売」 っていったら商売やねんけど…。でもそのファッションビル (自体) にお客さんがいなかったら、こっちも何のために家賃を払ってるのかって思うとね。

-- わからないですけども、店側としても、アーティスト側に対して用意できる環境がある場でなければいけないという風に思いますけどね…。

S.N : それ (店側の環境) が、俺はサウンドシステムやライティングのみじゃなくて、ハコのお客さんもそうだと…。もちろん、お互い努力してんねんけど。 一ヶ月に一回開催だったら、俺らの立場っていうのは30日のうちの一日かもしれない。そうなのかもしれないけど、俺は今の状況ってオーガナイザーにすごくきついなと思って。じゃ、それの打開策で、客を集めるとか、海外の有名どころのDJを呼ぶとか、そういうのをすれば、企業努力と一緒で、試行錯誤してすごい客を呼べばさ、ずっとそこでやってられるねんけど、でも、じゃあそれが俺がやりたいことかなっていったらわかんない。だって、すごく客を呼ぶDJがかっこいいとは思わない人もいてると思うし、客を呼べなくてもすごくかっこいいDJはいくらでもいるし。

そこで気づいたのが、俺自身がもっと大きくなればいいなと。
俺が東京のハコで、自分の理想の体制で出来るようなパーティーづくりっていうのは、俺が有名になってお客さんが沢山入るようになれば自由にできるなと…それしか無いんちゃうかと思って。

正直今は、東京の有名どころのクラブでお金のためにパーティはやりたくはないし…。もちろん自分のやりたいことばっかりをできないって言うのはよくわかってるよ。だけど俺はもっと、地方でいっつもお世話になってるDJとか、アジアとか、世界のいろんなところで呼んでくれる人達、ほんまにいいアーティストとかDJだったら俺も呼びたいし呼んであげたい。けど、そこの発言権がまだ持ててないから、だったら俺が発言権を持てるように、海外でもっと活躍してさ、もっと俺のトラックが世界で売れるようにすることに、今は努力したいなって思ってる。

-- ちょうど海外の話が出たところですが、ちょっと話を戻します。
ついこないだも上海や北京といった中国でプレイされていましたよね。現在の中国のシーンについて、また、過去の中国のシーンとの違った点についてもお聞かせください。

S.N : 上海はね、全然変わってない、びっくりする程変わってない。たぶん引っ張っていく人がいないから。「誰々が今すごくいい、あいつはすごい」 みたいな話も全く聞かないし。 上海っていうのはね、目先の金で商売していく街。たとえば、日本と一緒でさ、『何か』 が流行ったら 『何か』 っていう、そういう所なんだよ。もう流行り、流行りでいくところだから、文化とか関係ないし…何か情報ばっかやねん。で、不満ばっか。カルチャーを作らないと育てへんのよ。

-- じゃあ、日本でいうところの東京みたいなものですね。

S.N : うーん…東京でいう何やろなあ…。でも、東京は最近すごく (文化が) 根付いてきてるからね。ちょっと日本とも違って (上海は) 特殊やねん。新しいことにすぐ飛びつくみたいな。クラブなんか別に好きじゃないけど、儲かるからやってる人とか沢山いる。

北京は、1月に行ってすごく思うねんけど、その当時居た人達ってのが、積み重ね積み重ね、小さなことからこつこつこつこつやってきて、今ようやく成熟したって感じ。桃栗三年、柿八年的なさ、やっと実がなり始めてる…みたいな気がすごくあって。すごい。かっこいい。

-- じゃあ、ちゃんと地域に根付いてるDJやアーティストとかも居るんですか?

S.N : 居てる居てる、めっちゃ居てる。めっちゃみんなサポートしてるもん、若い子たち。で、日本人とファッションの差が全然変われへんのよ、ほんまに。で、日本人のことも同じアジア人として尊敬してくれてるし。

やっぱり、アジアによってもいろんなところがあって…。たとえば香港やシンガポールってすごい経済発達してて、あと韓国とかさ。 アジアにはまだ発展途上国的なところもあるけど、そういう、既に近代国家として成立してる街もたくさんあるのよ。北京はそっちに近いかも。街は上海のほうが断然でかいけど、北京のほうが何かこう、自信を持っているというか…。今の北京は大好きやね。

-- ちょっと話が外れますが、Shin さんはロンドンが好きじゃないですか。で、北京は街並みとかもロンドンっぽくて、建物とかもいい、って言ってましたよね。

S.N : 北京はちょっとヨーロッパっぽいね。昔しょっちゅう北京に行ってたし、昔からそういうところはあってんけど…。何でかっていうと、首都で大使館がいっぱいあるから。大使館街ってのがあって、そこの街並みは欧州の建物が固まってるわけ。でも、何やろなあ、あの感覚は…。上海のほうが、植民地時代があって、ヨーロッパとかの (影響を) すごく受けててんけどね、やっぱりなんか北京のほうが、今は北欧っぽいというか…もちろん人口も多くて、そんなにヨーロッパヨーロッパしてないけど、何かを大切にしてるんじゃないの?緑とかね。

-- ちょうどヨーロッパの話がでたところですが、先ほども話したオランダの AWAKENING にも出演されて、スペイン、ロンドンなど、ヨーロッパでの活動も目立ちますね。ヨーロッパのシーンはどういったものなのか、お聞かせいただければ。

S.N : まあ、大まかに言えば 「ヨーロッパだから」 ってのは…どっちかっていうと、東京のほうがクラブってしっかりしてるし、設備や音とかも東京のほうが良かったりするようなとこがなんぼでもあるねんけど、ひとつだけ言えるところは、「ヨーロッパはヨーロッパでひとつになってる」 ってのが、俺にはすごい魅力かもしれない。たとえば日本って、韓国とか、中国とか、香港とか、近いけどそんなにまとまってないやん、実は。俺、それはたぶん、日本人のコミュニケーション能力だと思うねんけど…。

-- そうですね。

S.N : ヨーロッパって、ほぼ繋がってるねん。それがヨーロッパのすごく魅力的なところ。だって、飛行機で2時間も乗れば、いろんな国に行けるもんね。で、行ったら行った先で、きれいな街並みがそれぞれあってさ、いろんなハコの種類があって、いろんなリアクションがあって。ユーロだし、ヨーロッパなんだ!的なアイデンティティーてのもあるし。そういうの憧れるよね。

-- やっぱり特殊ですよね。

S.N : でも、俺はアジアは日本を中心として、そういう音楽文化、シーンをリードしていくっていうのは有り得る話だと思うから。それは、日本人が受け入れてないだけで、近いところでは上海、韓国、北京、香港、ちょっと遠くなればマレーシア、シンガポールとか…。やっぱ、日本人って憧れだからさ。そういうのを日本人が受け入れてないだけ。受け入れて、コミュニケーションがとれるようになれば、もっとアジアがつながって面白くなると思ってるから。

ヨーロッパはもちろんすごく特別で、フェスみたいのもバンバンあるけど、それが魅力っていうよりも、やっぱり 「まとまり」 っていうのにすごく魅力を感じる。

-- もうちょっと具体的に聞きたいんですけど、実際、海外のシーンを多数経験していると思うのですが、そういった見解から、日本のクラブシーン / カルチャーについて聞きたいのですが、いま実際に日本でプレイされていてどのように感じますか?

S.N : 今の日本は面白いパーティーもあるし、ちょっとしっくりこない点もあるし、両面があるよね。それは何かっていうと、例えばいつの間にかミニマルが流行って ? 俺はね、テクノがすごく好きでやってきて、途中からミニマルにすごく憧れた理由があって、それは、ドープな気持ちでハメこむっていう (部分)。テクノのブレイクはわかりやすくて、曲調の中でも盛り上がらせることは出来るねんけど、ミニマルのちょっとした音色の変化とかのほうが、どっちかって言うと、気が狂う度がすごく高い…って、俺は一時思ったの、実はね。だから俺はミニマルに向かった。だけど、それがいつの間にか、日本のミニマルっておしゃれな方向に行っちゃってた。

基本的に、日本人はミニマルできるかっていうと、俺はできないと思う。ほぼ。それは何でかって言うと、やっぱりハメこんでいくっていう…これ、どうなのかわからないけど、ハメこむにはハメこむ環境があるしさ、人がハメこむ相乗効果みたいのもあるわけやん。で、ベルリンって、ベルリンハウス… 一番わかりやすいのが Ellen Allien のBpitch Control だと思うんだけど、日本よりも何年も前から、昔からやってるベルリン的なハウスのカルチャーがあって。DJ の Lyoma にも話したんだけど、あいつらには勝てないと。Pokarflat や Kompakt にしてもそうやねんけど、あの人らがやってるハウス的な、ドープなハメこみ方ってのは日本人はできないと思う。

-- 最近のミニマルという意味で。

S.N : そうそう。要は、あの文化がない。 ハウスDJの人はできると思うよ。だけど、テクノDJは…ガシガシのタテノリだった人達がさ、グルーヴィーな横ノリの、ケツをフリフリするようなことができるか、っていうと…俺は簡単には出来ないと思うし、殆どの人が出来なかったんだと思う。結果的に、今見てて。だって、そんなに盛り上がってないもん。テクノDJがミニマルやってるのって。でね、俺がベルリンの Tresor っていうクラブでDJした時に Lyoma もそこにいたんだけど、地下がハードテクノ、地上階がテックハウスをやってたん、その日。すっごい盛り上がってんねん。めちゃめちゃ盛り上がってんねん。

俺は、その盛り上がりは理解できなかった。「何なん、このちょっとゆるいハウスは…」 って。でも盛り上がっててん。ベースラインのうねりとか、ミックスしてるとことか…。でも俺、所謂今で言うミニマルが日本ですごく流行って、そこまでの盛り上がりを日本で見たことあるかって言ったらないねん、正直。で、俺もできたかっていうと、出来てないと思う。やっぱり、その国民性によって似合う・似合わないみたいのはあるし。クラブっていったらキチガイなところで、おしゃれなところだとは…テクノDJってのはそうじゃなかったから、まあ、無理しちゃったんだろうなって。その結果が今の結果なんだと思う。

でもやっぱり、Maniac Beach とかさ、WIRE とか、すっごいハードテクノとかかけても未だにすごい盛り上がる。俺も去年の Maniac Beach で久々にハードテクノライブってのをやったんだけど、めっちゃ盛り上がった。やっぱ、みんな欲しいんやな、コレがって。 1月の "LOST" も最後はテクノにもってったやん?ゆるゆるで行っても良かったんけど、俺、ゆるゆるってのが、なんかもうストレスたまってきて(笑)。 だからテクノかけて、「ひいたらひいたでええわ、これがテクノやから!」 ってのを見せたかった。 「これが踊ることやで!」 みたいな。すごく見せたかったん。だから、ミヤビに 「ひいてもいいからテクノ行く」 て言ったけど、ハマった。平日やで?あれ。
みんな、そういうブチぎれるところをずーっと待ってたんだと思う。

-- 持ち上げるわけではないですが(笑)、持っていき方にもあるんだと思いますよ。その辺のうまさというか。

S.N : それは、もう俺のキャリアだとは思うけど、でも…いや、それよりもやっぱり、みんながあの盛り上がりを待ってましたって感じやったと。今まで無理してたって。無理して流行についていこうとしてたって。 もちろん、ミニマルは格好いいよ。格好いいねんけど、たぶんそこまでミニマルをかけきれるDJってのが少なかったんじゃないかなと思う。

-- 先程の "LOST" やドイツの Tresor でのお話など、今まで良いパーティーをたくさん見てきたと思うのですが、パーティというのはどうあるべきだと考えてますか?

S.N : パーティーはね、やっぱり難しい。俺はパーティーに対して3個の信念を持ってて、一つが「ダンスミュージックを愛すること」、もうひとつは「ダンスミュージックに情熱を持つこと」、もうひとつが「自分の夢を叶えるために自分を信じること」。それを持ってたら、自分が何をすべきかって事が普通に見えてくる、他人に教えてもらわなくても。俺、他人に教えてもらってないもん、あんまり。



>> Part.2 へ続く




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