「常にインスパイアを感じながら音楽活動をしてきたけど、もうサルソウルのレコードをサンプリングすることだけで有名でいるなんて面白くないと思ったんだ。みんな A Side も B Side もサンプリングし尽してしまったし、サンプリングしたものを 45 bpm にしたり、33 bpm にしたり、巻き戻ししたり、再びサンプリングしたり、コピーしたり…そんな方法は全部やりつくしてしまった。それならいっそサンプリングをやめて、他の音楽を探しにいけばいいと思ったのさ。世の中にはサルソウルのほかにもエキサイティングな音楽はたくさんあるしね」
ある晴れた日、ロンドンはファリンドンにある彼のスタジオにて Rui Da Silva は、今後の音楽性について長い熟考をした後、彼自身がその名を有名にした、ストレートなハウス・サウンドをきっぱり捨て去ったと語った。ロンドン・ベースのポルトガル人アーティストであり、'90年代をワールド・トップ・クラスのトライバル・ハウスのアーティストの一人として過ごし、2001年には、Chris Coco とのコラボーレーションによってリリースされたトラック 'Touch Me' の大ヒットによって、世界中にその名を轟かせるまでになった彼だが、最近ではこのような音楽にまったく興味を失ってしまったと言う。
「ある日コンピューターの前に座って、ふと、 "そろそろ他のトラックをつくらなきゃならない。こんな音楽は全く面白くない"って思ったんだ。"こんなのって正しくない。レコードをリリースするためだけに、自分が楽しめない音楽をつくるなんて、間違ってる"ってさ」
「自分が楽しめる音楽作りをしなくちゃならないと思ったのさ。だから以前のような音楽スタイルはきっぱり止めてしまった。今のスタイルよりも、昔の音楽スタイルの方が商業的には成功してたけど、気分的にも全然今の方が心地良いし、つくっていてすごくエキサイティングなんだ。僕にはセールスの良し悪しより、自分がいかにエキサイトしていられるかってことの方が大切なのさ。それこそ僕が追求したいことなんだ」
「溢れ出てくるようなアイデアと共にスタジオに入って、音をレコーディングできるような状態に戻りたかった。スタジオで音を探りながら、トラックをつくっていく…DJすることより、エキサイティングな制作作業のほうがずっと好きだね。まるで食べ物のようなものさ。楽しむことが出来るのと同時に、生きる糧となってくれるって感じかな。出来た音楽を持ち帰って家で聴くと、最高に幸せな気分になれるんだ」
サルソウルをサンプリングすることを止め、彼が向った音楽性は、廃棄されたコンピューター・ゲームやハードウェアを元にサウンドをクリエイトするというマイクロチップ・サウンド。ニュー・シングル 'Pacman' 、11分に渡る名トラック 'Lixuneanos' といった新しいトラックにみられるような、クリック・ハウス、アシッド、ミニマルといった風潮を持つ新しいスタイル… "ブリープ・アルケード・ハウス・ミュージック" と彼が呼ぶこのサウンド・スタイルは、すでにこの夏、イビザの DC10 をはじめとするクラブを熱狂の渦に巻き込んでいるようだ。
「世の中には、コンピューター・ゲームのように、マイクロチップを使って音を出しているマシーンがいっぱいあるんだ。だから僕もマイクロチップを使って音を作ってみたというわけさ。新しい方法を発見したような気分だよ。ただ、僕だけがそういう方法を使ってるとは思えないけどね。他のレコードを聴いていると、他にも同じような方法で音つくっているようなトラックがたくさんあるんだ。これからの僕の方向性は、この音を極めることだね」
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以下は対談形式でのインタビューの模様をお伝えする
(Translation by Kei Tajima)
Skrufff (Jonty Skrufff) : 新しい音楽スタイルに切り替える際に、別名義を使うことを考えられましたか?
Rui Da Silva : そうだね。それについては結構長い間考えたよ。本気で違う名前でレコードをリリースしようとしたこともあったんだ。でも周りに「バカ言うなよ、せっかく名前を知られてるんだから」って猛反対されてね。僕は「いいんだ、全て新しく再スタートするんだから名前も変えたいんだ」って言ってたんだけど、結局周りから説得されたって感じだったね。
Skrufff : 'Touch Me' がポップ・チャートの一位にランクインした 2001 年は、ダンス・ミュージックがメイン・ストリームとクロス・オーバーしていった、まさにピークと言える時期でしたが、そういった時期を経験されていかがでしたか?
Rui Da Silva : あのレコードのヒットは、ただ単に、不必要な固定したイメージを僕の音楽性に貼り付けてしまっただけだね。ヒットを出す前、僕がまだリズボンにいたときから、8年以上もアンダーグラウンド・ミュージックをつくっていたわけだし、世界中のDJにプレイされるようなヒットだってすでに生み出していたんだから。
Skrufff : 'Touch Me' の歌詞を読んでみたんですが…
Rui Da Silva :まさに2001年の歌詞って感じだよね。怖いくらいだよ。でも面白いことに、実はあの曲は1992年に書いたものなんだよ。当時ポルトガルに住んでいたLAのアーティストと一緒につくったんだ。彼は以前僕たちがポルトガルでオーガナイズしていたパーティーや、レイブでMCをやってくれてたんだけど、同時に詩人でもあっていろんな詩を書いてたんだ。そこで僕が彼の詩を引っぱってきて、少しDJ Pierre っぽくなるように、ヴォーカルをリピートさせたんだ。まず少量のレコードをレコードをプレスして世界中のレコード・レーベルやDJに配って…そしたらビック・ヒットになったというわけさ。
今でもいろんなところでプレイされてるけどね。昨年、結構有名なDJ が Turmills でプレイするから観に行ったんだ。彼のプレイは聴いたことがなかったから結構楽しみしてたんだけど、彼は 'So Get Up' のアカペラでプレイを始めてね。「ハハ、何も変わっちゃいないんだな」って思ったよ。
Skrufff : その DJ は誰だったんですか?
Rui Da Silva : John Creamer さ。
Skrufff : 'Touch Me' は商業的にもかなり成功したレコードでしたが、初めから大衆受けするレコードをつくろうと思われていたのですか?
Rui Da Silva : いいや、そんなことは考えてなかったよ。それよりも僕の周りが、ヴォーカル入りのレコードを出そうよって感じだったから、「オーケー、じゃあやってみるよ」ってことになったんだ。で、ある日僕の奥さんを迎えに行くために、彼女が当時働いていたピカデリー・サーカスのあたりを歩いてたら、街頭でバンドが演奏していて、女の子の歌声が聴こえたんだ。で、突然 「彼女の電話番号を聞かなくちゃ」って思ったんだ。というもの、その場でバンドを見ている連中の盛り上がり方が、ものすごくてね。だから僕も彼女のパフォーマンスを観て、電話番号を聞いたんだ。その後彼女は去ってしまって、バンドはプレイし続けたんだけど、そこでバンドを観ていた観客もほとんど去ってしまってね。彼女が抜けた途端、それは酷い演奏に聴こえたんだ。これはすごい、こんなことが可能なのかって思ったよ。だから彼女にすぐ電話して、スタジオで一緒に作業してトラックをつくったんだ。そうして、そのトラックがナンバー1になった。それだけさ。ただやりたいことを実現させただけ。僕はトラックをつくりたかった、だから出来たのさ。
Skrufff : 多くのプロデューサーにとっての夢は、ナンバー1ヒットを出すことだと思うのですが…
Rui Da Silva : 僕は違ったな。レコードがナンバー1になった時は、結構なショックを受けたよ。僕が音楽制作をするのは、生活していけるだけのお金を稼ぐためであって、ヒット・チャートに登場するようなレコードをつくるためではなかった。だから、ナンバー1 になることは決して僕が望んでいたことではないし、第一、ヒットするレコードをつくるのってそんなにスペシャルじゃないよ。ナンバー1 になった当時も、どこかに「幸せに感じるべきなんだろうけど、あんまり幸せじゃない。喜ぶべきだし、喜んでいけないことじゃないはずだ」って考えてる自分がいたんだ。
実際、僕はトラックをヒットをさせた。でも、それは僕が目指したゴールではなかったんだ。だから満足できるわけがないのさ。もちろん、経済的には良かったさ。まぁ、それによっていろんな問題も起こったけどね。とにかく、ビック・ヒットは僕が望んでいたものではなかったんだ。
Skrufff : どんな問題が起こったんですか?
Rui Da Silva : 短い期間で大金を稼いだりすると、誰の周りにも悪い奴らが集まってくるものなのさ。法律家や弁護士、そういった類のね。
Skrufff : "Top Of The Pops" (イギリスのテレビ番組) に出演したりしたんですか?
Rui Da Silva : いやいや、してないよ。みんな僕が出演したと思ってるだけ。「先週はテレビには出ないって言っていた Rui Da Silva が、今週の Top Of The Pops に出演していた」なんて書かれたりもしたけど、実際は出てないんだ。僕はテレビなんかに出る気は毛頭なかったんだ。でも、レーベルがそれなら偽のバンドを出演させるって聞かなくて。僕には決定権がなかったし、どうすることも出来なかったんだ。だから結局、僕のまねをした誰かが出演してキーボードを弾いたのさ。
Skrufff : ポップ・チャートのナンバー1を飾るという、人生を変えてしまうような大きい出来事によって、あなたのDJ スタイルはどのように変化しましたか?
Rui Da Silva : 'Touch Me' がヒットした2年後くらいから、プロとしてきちんとDJをするようになったんだ。自分はプロデューサーだから、それまでDJ はしてなかった。ただ、クラブには頻繁に行って、音に触れていたよ。クラブ・ミュージックをプロデュースする立場にいる限り、今クラブ・カルチャーで何が起こっているのかを知るために、クラブに行くことは重要だと感じていたんだ。だから何年間も毎週末クラブに行くっていう生活をしてたけど、次第に回数が少なくなって来てね。それがDJ をスタートした理由なんだ。DJ をすれば自然とクラブに通うことになるからね。
確かに、レコードの商業的成功は僕の人生に大きな変化を与えたよ。ただ、もしかすると、ヒットによって僕の人生はもっと大きく変わっていたかもしれない。でもそんなに変わらなかった。それはどうしてかと言うと、僕が意識的に、大概の人々がナンバー1を取ったときにするような行動をとらないように気をつけていたからなんだ。例えば、僕は一度たりとも雑誌の表紙は飾ったことはない。ダンス・ミュージックのプロデューサーの楽曲がポップ・チャートのナンバー1を飾ることなんてあまり頻繁に起こることじゃないけど、イギリス中のどんな雑誌でも、一度たりとも表紙になったことはないんだよ。
End of the interview
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