ハウス・ユニット STUDIO APARTMENT が主催するレギュラー・パーティー MUSeUM が Space Lab Yellow で3月17日からスタートし、その記念すべき第一弾のゲストとして Timmy Regisford 率いる Shelter ファミリーの一員としても知られる Quentin Harris が登場した。
STUDIO APARTMENT の3rd アルバム "PEOPLE TO PEOPLE" の収録曲 'We Are Lonely' のリミックスを手掛けたことでも知られる彼に、HigherFrequency がインタビューを決行。気になるルーツや、Timmy Regisford との出会いについて話を訊いた。
> Interview : Nick Lawrence _ Translation & Introduction : Kei Tajima (HigherFrequency)
Higher Frequency (HRFQ) : 東京に来るのは初めてですか?
Quentin Harris : そうだよ。
HRFQ : 感想を教えてください。
Quentin Harris : 感覚センサーがフル回転してる感じだね。
HRFQ : 最近の活動について少しお話していただけますか?
Quentin Harris : 音楽的な活動で言うと、つい最近 "No Politics" というアルバムを作り終えたところだよ。これは、「音楽作りにルールはいらない」っていう僕の考えを反映した作品でね。そもそも、全ての音楽は繋がっているというのが、基本的なアイデアなんだ。
HRFQ : 音楽を作るときは、常に何らかのコンセプトを掲げられるのでしょうか?
Quentin Harris : どうだろうね…実際、コンセプトがあるってことを人に知らせるのは今回が初めてなんだけど、日ごろから何をするにしてもコンセプトに近いものを持っていることは確かだね。例えば今回のアルバムを作ったことがきっかけになって、今後はもっとアーティスト・アルバム作りに専念したいと思い始めたりね。このシーンの音楽って、実際に作り手の顔が見えなかったり、クラブ・ユース中心だったりすることで、リスナーに真剣に受け入れられることが少ないと思うんだ。
HRFQ : STUDIO APARTMENT の 'We Are Lonely' をリミックスする際も、何か特別なコンセプトを置かれたのでしょうか?
Quentin Harris : ヴォーカル・ミックスの方は、オリジナルがカッチリしてて、とてもカワイイ感じだったから、もう少しシンプルにしたかったんだ。というのも、初めてヴォーカルだけをしっかり聴いたとき、彼がトラックのイメージとはかけ離れたことを歌っている部分を見つけてね。「そこを強調してみんなが聴けるようにしよう」って思ったのさ(笑)。
HRFQ : そもそも今回のリミックスはどのようにして実現したのですか?
Quentin Harris : King Street Sounds を通してリミックスのオファーが来たんだ。それで 'We Are Lonely' を聴いて気に入ったというわけさ。
HRFQ : デトロイトで生まれ育ったことはあなたの音楽性に大きな影響を与えたと思われますか?
Quentin Harris: そうだね。僕の音楽にはデトロイトの影響が強く表れていると思うよ。デトロイト・テクノの要素はもちろんだし、あのザラザラした、シンプルな感じもね。小さい時、 Prince やファンク系の音楽もたくさん聴いてたから、そういう音の影響もあると思うな。
HRFQ:なぜニューヨークに移住されたのですか?
Quentin Harris: やっぱりニューヨークには企業があるし、このままデトロイトに住み続けたら僕の目指していたレベルまで進化することは出来ないと思ったからさ。
実際、ニューヨークに移住したのは、当時僕が Masterminds というニューヨーク・ベースのグループのプロデュースをしていたからなんだ。デトロイトに住みながら彼らのプロデュースをするのがだんだん難しくなってきてね。毎回、自分のプロデュースした曲のマスターが送られてくるたびに、気が狂いそうになっていたものだよ。メンバーの一員なら、曲がミックスされるときに、スタジオにいなくちゃならないって気付いたのさ。メチャクチャになった自分の曲なんてもう聴きたくなかったからね。
HRFQ : デトロイトからニューヨークに移住したことによって、音楽性が変わったと思われたことはありますか?
Quentin Harris : そうは思わないな。リリースされたのが最近だったから、比較的最近の作品だと思われていても、実はずっと昔に作っていた作品も結構あってね。例えば、僕が 'Traveling' を作ったのは 'Cloud 9' より4年も前だったんだ。だから僕も他のプロデューサーと同じように、一歩一歩階段を上っているというわけさ。ヒップホップを作っていた時だってそうだよ。'90年に僕がつくった音と今の音を比べたら、絶対に違いがあるはずなんだ。それでも、どこかに共通点があるものなのさ。
HRFQ : 何がきっかけでヒップホップからハウスにシフト・チェンジされたのですか?
Quentin Harris : 完璧にシフトしたわけじゃないけどね。デトロイトで Mike Huckaby と一緒に仕事をしていた当時は、かなりヒップホップにハマってたんだけど、同時にハウスのクラブにも結構行ってたんだ。ただ、ハウスのレコードはまったく買っていなかったよ。ヒップホップ DJ だったし、それで生計を立てていたからね。毎週ヒップホップとハウスのレコードを買ってたら破産してしまうさ。でも、どういうわけかある時からハウスの方にもっと興味を持つようになってね。ニューヨークに移住した頃には、その気持ちはかなりしっかりしたものになってたね。
HRFQ : 最近のニューヨークのクラブ・シーンについてはどうですか?未だに面白いと思われますか?
Quentin Harris : ここしばらく停滞しているように感じていたけど、最近になって少しずつ変わってきているような気がするな。Junior Vasquez のようなビッグ DJ が、クラウドとコミュニケーション出来て、もっとエクスペリメンタルなギグが出来るといった理由から小規模のクラブでプレイするようになったりね。そういうことが起こり始めると、お高く留まってるスーパー・クラブは、そのうち相手にされなくなってくるんだ。それに僕はフランチャイズされたクラブが嫌いでね。全く個性がないからさ。例えば Crober はマイアミにも、ニューヨークにも、シカゴにもある。そんなのまるでマクドナルドみたいじゃないか。そんなクラブには何の期待も出来るわけがないよ。そのクラブ独自の個性はどこに行ってしまったんだ?って感じさ。
それから、ニューヨークのクラブ・シーンにおけるネガティブな点を一つ挙げるとすれば、入り口での対応の酷さだね。バウンサーはみんな偉そうで、流行かぶれな奴ばかり。クラブに入るのに30ドル以上も払って、中では高いドリンクを買うのに、誰もあんなに酷い扱われ方はされたくないはずだよ。
HRFQ : あなたは Timmy Regisford 率いる Shelter ファミリーの一員として有名ですが、Timmy との関係はどのようにして始まったのですか?
Quentin Harris : すごく面白い質問だね。実は Timmy とのことを訊かれたのはこれが初めてでなんだ。だからすごく嬉しいよ! Timmy は、人にどうやって僕を見つけたのかって訊かれると、いつも「Quentin が僕を見つけたんだ」って応えるんだ。僕がニューヨークに移住した時に、Shelter のラスト・パーティーに行ってね。そのとき彼らは Paradise Garage のアニバーサリー・パーティーをやっていたんだけど、Grace Jones がゲストで出演していて、物凄く盛り上がってたんだ。それから Shelter はしばらくの間クローズしてしまったんだけど、West 39th Street に再オープンしてからは、毎週遊びに行っていたよ。 当時僕は Satellite Records で働いていてね。India Arie の 'Ready 4 Love' っていうトラックをプロデュースして、それを友達のTyrone Francis に渡したら彼の手から Timmy の手に渡って、音を聴いてくれたんだ。そして現在に至るというわけさ。
HRFQ : 最後に、日本のファンに何かメッセージをいただけないでしょうか?
Quentin Harris : ありがとうの一言に尽きるね。僕の音楽をサポートしてくれて本当にありがとう!
End of the interview
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パーティー・レポート : MUSeUM feat. QUENTIN HARRIS @ SPACE LAB YELLOW (2006/03/17)
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