常に世間の一歩先を行くサウンドを提示していくことで、ロックというジャンルのみならず音楽シーン全体の前進に貢献してきたギタリスト Manuel
Gottsching。近年は特にクラブ・シーンからの再評価が著しい彼が、日本を代表する野外ダンス系フェスティバルの一つ Metamorphose
で、ダンス・ミュージックに多大な影響を及ぼした名盤 “E2-E4” のライヴを披露してくれることが奇跡的に決定した。昨年、ドイツの即興弦楽集団
Zeitkratzer との共演を収録したライブ盤 "E2-E4 Live" をリリースした Gottsching であるが、アルバムのレコーディングと同じくソロで
“E2-E4” のライヴをするのは今回が世界初となる。そんな記念すべき大イベントを目前に Higher Frequency ではインタビューを敢行し、今回のライブが決定する経緯や、
“E2-E4” の制作過程などについて話を聞いた。
> Interview : Nick Lawrence (HigherFrequency) _ Translation : Kei Tajima (HigherFrequency) _ Introduction : Yoshiharu Kobayashi (HigherFrequency)
Higher Frequency (HRFQ) : あなたはこれまでに20枚以上のアルバムをリリースされてきましたが、これほどコンスタントにアルバムをリリースする秘訣とは何ですか?
Manuel Gottsching : 本当は極秘だけど、教えてあげるよ。僕の父はベルリンの大学で教授をしていたんだけど、その前は発明家だったんだ。きっとその血を譲り受けていたんだろうね。才能と発明に対する情熱、想像し前進すること…僕はこういったことに大きな喜びを感じるんだ。
HRFQ : ’97年に Lutz Ulbrich、Harald / Steve Baltes らと再結成して行われた Ash Ra コンサートの開催地に日本を選んだのには、何か特別な理由があったのでしょうか?
Manuel Gottsching : 日本からはずっとオファーを受けていたんだけど、日本に行くのは初めてだったから、一人ではプレイしたくなかったんだ。’80年代からずっと一人で制作をしたり、パフォーマンスをしてたから、バンドと一緒にプレイしたかったんだろうね。
HRFQ : Metamorphise において、あなたのソロ活動における傑作 “E2-E4 ” を初めてライヴ演奏されるということですが、今回のライヴを決断をされた経緯を教えていただけますか?
Manuel Gottsching : Metamorphose からは数年前にも出演オファーが来ていたんだ。でも当時の僕にはどんなパフォーマンスをしたらいいか、きちんとしたアイデアが生まれなかった。今年は “E2-E4” が誕生してから25周年にあたる年でね。(アルバムがリリースされたのは ‘84年だけど、レコーディングをしたのは ‘81年の12月なんだ)Metamorphose に、僕の音楽に大きな興味を抱いてくれていることに感謝したかったんだ。だから、長年サポートしてくれている日本のファンのために特別なショーをすることに決めたのさ。というわけで、今回史上初となる “E2-E4” のライヴを、25年前にレコーディングをした状態と同じくソロで行うんだ。ただ、もちろんそこに新しいエレクトロニックの要素は加えていくけどね。(実は今回、アメリカやイギリスのプロモーターからライヴのオファーを受けていたんだけど、今回のソロ・ライヴは日本限定にすることにしたんだよ!)
HRFQ : “E2-E4” は ‘84年にリリースされたのにも関わらず、実際にレコーディングされたのは’81年でしたね。リリースが遅れた原因は何だったのでしょう?
Manuel Gottsching : 誰も興味を持ってくれなかったからさ。明らかに早すぎたんだ。ドイツの音楽誌の中には(特にベルリンの有名な音楽誌 ZITTY には)「こんな楽曲は馬鹿げていて音楽と呼ぶに値しない」と書かれたりもしたしね。このアルバムを発見して、世に広めてくれたのは、ニューヨークで Paradise Garage を運営していたアメリカ人 DJ の Larry Levan だったんだよ。その後 ZITTY も記事を改めて、謝罪の文章を掲載したんだ。
HRFQ : このアルバムのコンセプトやサウンドはどのようにして生まれたのですか?一体どのようにして今日も多くのエレクトロニック・ミュージック・シーンのプロデューサーや DJ に尊敬され続ける、時代を先取りしたサウンドを生み出すことに成功したのですか?
Manuel Gottsching : Studio Dierks でシンセサイザーを使って何回か作業をしたんだけど、当時はそこまでシンセサイザーを大々的に使うこともなかったんだ。こういった音楽をドラム・マシーンやキーボード、シンセサイザーやシーケンサーを使ってつくるようになったのは、大きな影響力を持ったアルバム “Inventions for Electric Guitar” をリリースして、僕がスタジオを持つようになった ‘74年から。それに、ちょうどその頃は Steve Reich や Phil Glass、Terry Riley といったアメリカのミニマル・ミュージシャン の音楽を聴き始めた時でもあってね。僕自身のスタジオ経験を元に作られた初期のアルバムや、こういったミニマルのミュージシャンからの影響、Peter Green といった '60年代のアーティストから受けた影響がすべて、 “New Age of Earth” や “Dream and Desire” といった作品、そしてファッション・ショーでのソロ・ライヴへと繋がっていったんだ。ファッション・ショーのライヴは ’76年に No 1 を、’78年に Laufsteg を、’79年に Blue Birds の音楽を担当したよ。(今後リリースされていくかも?)そして最終的に、” New Age of Earth” やさっき話したような音楽、ファッション・ショーでの経験が元になって “E2-E4” へ繋がっていったというわけさ。
HRFQ : 今年は Prince Thomas を含む世界中の多くの DJ があなたへの敬意を払ったトリビュート CD をリリースします。多くの若いアーティストに影響を与えてきたことについて、どのように感じられますか?
Manuel Gottsching : 若い年代のミュージシャンやプロデューサーが僕の音楽に共感してくれることは、すごく誇らしいよ。Prins Thomas は以前にも ‘Gottsching’ というタイトルの作品をリリースしてくれたこともあるんだ。すごく嬉しいことだよね。ありがとう、Thomas!だけど、若い世代をインスパイアしたのは “E2-E4” だけじゃないんだ。’70年代にリリースされた‘Deep Distance’ や ‘Ain’t no time for tears’、 ‘Shuttlecock’ なんかも有名で、この3曲は“Joe Clausell meets Manuel Gottsching”っていうアルバムにも入ってるんだけど、結構売れてるんだ!その他にも ‘Sunrain’ や ‘Echo Waves’ といったトラックがあるしね。それに、”Die Mulde” や “Concert For Murnau” といった比較的新しいアルバムも世界中のファンやプロデューサーに広く受け入れられているんだ。
End of the interview
関連記事
イベント情報 : Metamorphose 06 (2006/08/26-27)
関連リンク