盟友 Ricardo Villalobos と並び、クリック / ミニマル・ハウス・シーンでその名を馳せているチリ人プロデューサー といえば Luciano である。同じくチリ出身で、若くしてドイツに亡命し、そのままドイツに移住した Ricardo やChristian Vogel とは異なり、スイスに亡命後、再びチリに戻り、'90年代はそこで音楽活動を続けた彼。「インスピレーションに溢れていたが、決して簡単ではなかった」というチリでの音楽活動を通し、'99年にスイスに移住、一層フット・ワークが軽くなってからは、プロデュース・ワークをはじめ、DJとしても世界中で広く活躍、今やシーンを代表する重要人物として認識されるようになったのだ。
そんな彼が、Play House からリリースされた "Famous When Dead 4" のリリースを記念して、レーベル・オーナーの ATA と共に来日。南アメリカのグルーヴと、無機質なエレクトロ・サウンドの融合した素晴らしいセットを披露する直前、HigherFrequency とのインタビューに応えてくれた。
> Interview : Nick Lawrence (HigherFrequency) _ Translation & Introduction : Kei Tajima (HigherFrequency)
HigherFrequency (HRFQ) : 日本は今回が初めてですか?
Luciano : いいや、これで3回目なんだ。うち1回はプライベートで、あとの2回はパフォーマンスだよ。
HRFQ : 日本はどうですか?
Luciano : 難しいね…。旅行も、ツアーもすごく良かったけど、たった2週間ステイしただけでその場所について語るのは難しいよ。前回は1週間ステイして、今回も1週間ステイするから、回を重ねるごとに少しずつ理解していきたいと思っているんだ。もちろん来るたびに圧倒されてはいるけど。何せ文化が全然違う国だからね。
HRFQ : 6月に東京でライブ・セットをプレイされるはずでしたが、キャンセルされてしまいましたね。何があったのですか?
Luciano : 今年の初めから、ツアーのし過ぎで腰を悪くしてしまってね。だからギグをキャンセルしなきゃいけなくなったんだ。
HRFQ : '90年代は、Ricardo Villalobos や Dandy Jack、Senor Coconut といったアーティストとサンティアゴ(チリの首都)で活動なさっていましたが…
Luciano : Ricardo と Martin (Dandy Jack) はチリ人だけど、若い時にドイツに移住して、向こうに住んでる方が長いんだ。だから彼らは夏にヴァケーションしに来るって感じだった。だから僕もサンティアゴでは他のアーティストと活動していたんだ。Dandy Jack の弟の Adrian Schopf とは、よく一緒にパーティーをオーガナイズしていたな。それで Ricardo と Martin が遊びに来れば、一緒にパーティーをやるって感じだった。ある時期、彼らがチリに半年くらいステイしたことがあったんだけど、僕と Ricardo はすごくいい友達になってね。一緒にパーティーをやったり、Sense Club というリズミックなエレクトロニック・ミュージックのプロジェクトを一緒にやったりしたんだ。そうやって'90年から'99年にかけてパーティーをオーガナイズして来て、'99に僕はチリを離れたんだ。僕が離れたからってわけじゃないけど、それからチリのクラブ・シーンは音楽的に変わってしまったのさ。'99年まで、チリは音楽的にすごく面白い場所だった。でもトランスやプログレッシヴ / トライバル・ハウスがアルゼンチンから入ってきて、全てを台無しにしてしまったんだ。
HRFQ : サンティアゴで '90年代に一緒に活動した仲間とはまだ連絡を取り合っているのですか?
Luciano : もちろんさ。一緒にパーティーをオーガナイズしていた親友の Adrian は、僕がチリを去ったときにDJを止めたんだ。当時の仲間も、基本的にみんなバラバラになってしまったね。ただ、夏休みなんかに向こうに帰ってパーティーをやると、昔の友達がみんな集まってすごくいい感じになるんだ。
HRFQ : サンティアゴでシーンを確立していくのは難しかったですか?
Luciano : そうだね。初めはまるで悪夢のようだったよ。サンティアゴの有名なクラブ La Batuta っていうロック系のクラブでイベントをはじめたんだけど、お客さんもレザー・ジャケットを着た長髪のロック系の人ばかりで、DJブースに来てはレコードの上でタバコを揉み消してったんだ。でも、そのクラブのオーナーがすごくいい人でね。僕たちを信頼してイベントを続けさせてくれたんだ。そうしたら一年半前は長髪だった奴らも、髪をバッサリ切ってレイヴするようになったってわけさ。
ただ、チリの北部にDJをしに行ったことがあってね。いかにもマフィアっぽい人にピック・アップされて、クラブに連れて行かれたんだけど、DJブースの前に、テーブルが並んでいたんだ。そうしたら彼はどこかに消えてしまって、また戻ってきたと思ったら、チケットと、バカでかいヘッドフォンとマイクを僕に渡しながら「プレイしてる間、お客さんにフリー・ドリンクやプレゼントを渡してくれ」って言うんだ。だから「悪いけどこれは僕がやってることとは違うよ。僕はテクノDJなんだ」って言ったら、クラブから追い出されてしまったんだよ。山と砂丘しかないような場所で、道路の上に座って、携帯電話で奥さんに「お願いだから迎えに来てくれ!」って頼んだのを覚えてるよ。
HRFQ : 現在のチリのシーンではそのような問題も少なくなったと思うのですが、あなたにとってそれはエキサイティングではないということでしょうか?
Luciano : エキサイティングでないかどうかは分からないけど、昨年プレイした Robert Johnson や、ベルリンやロンドンのクラブで経験した素晴らしいパーティーのレベルを考えると、チリに帰るのは難しいよね。以前まではいいパーティーだと思っていたけど、今行ってみると、サウンド・システムやコンディションの悪さに気付かされることがあるんだ。だから僕の意識のレベルは徐々に高くなっているんだと思う。でも出来るだけコントロールして、期待を持ちすぎないようにしてるんだ。
HRFQ : あなたは16歳でDJをスタートして、'97年にプロデュース業を始められましたね。今はDJとプロデューサー業のどちらに重点を置かれて活動しているのですか?
Luciano : 常に自分はDJより、プロデューサーに近い感覚で活動してきたと思うな。音楽に興味を持って、DJを始めたのは、学生時代にパンク・バンドでギターを弾いていたからなんだ。音楽制作には常に興味を持っていてね。急にエレクトロニック・ミュージックをつくり始めた理由は、DJを始めたからだけではなくて、バンドに飽き飽きしてしまったからなんだ。バンドにいた時、どんな音楽をつくるかは、すべてドラマーやベース・プレイヤー、もしくは他のメンバー次第だった。だからもしメンバーがやりたい音楽が分からなければ、僕には何も出来なかったのさ。そんな僕にとって、機械との音作りは完璧な解決方法だったんだ。
当時、フランスに Berurier Noir というパンク・バンドがいてね。彼らはドラム・マシーンを使っていたんだ。ドラム・マシーンを使うようになってからは、馬鹿みたいに音楽をつくっていたよ。そうしたら今までつくっていたハードな音楽も、急にスローな音に変化していったのさ。
HRFQ : ギターはあなたの音楽性に非常に大きな影響を与えたと言えますか?
Luciano : そうだね。今でもプレイしているしね。
HRFQ : バンドでですか?
Luciano : いいや、他に使っている機材と全く同じような感覚で使っているよ。例えばスタジオでは、始めにドラムをやって、ギターかキーボードかベースのリフを弾くって感じにね。常に楽器を使っているんだ。
HRFQ : ギターはあなたのサウンドにとって大きな役割を果たしているようですね。では、チリとスイスという、二つの大きく異なった国があなたに与えた影響はどんなものでしたか?
Luciano : スイスではあまり音楽的な影響は受けなかったな。大きな影響といえば、両親ぐらいだったよ。まだ彼らが一緒に生活している時、父親がジュークボックスを持っていて、彼はすごくたくさんのレコードを持っていたから、家の中は常に音楽で溢れていたんだ。チリの方が音楽的に大きなインスピレーションを与えてくれたな。チリの音楽全てが大きな影響だったよ。南アメリカ特有のリズムにメロディー、グルーヴにはすごく感化されて、そこからエレクトロニック・ミュージックを生み出すことが出来たんだ。
HRFQ : そういった影響はあなたのアルバム "Blind Behaviour" からも感じ取れますね。
Luciano : その通りだよ。"Blind Behaviour" では実験的なことをしてみたかったんだ。ダンス・ミュージックのみにフォーカスしたものではなくて、その他の要素も含まれている作品を作りたかった。現状あるような音楽をつくるのではなく、南アメリカの持つグルーヴを持った音楽。そんなアルバムをつくってみたかったのさ。
HRFQ : '00年に再びスイスに拠点を移されましたが、それは音楽が理由だったのでしょうか?
Luciano : いいや、他の理由からだよ。音楽的な理由も少しはあったけどね。当時、奥さんが妊娠していて、それに加えて、僕自身も南アメリカで音楽活動を続けることに限界を感じていたんだ。すごく複雑だし、やっぱり他の国のアーティストやクラブ、レーベルと関係を保つのが難しくてね。だからヨーロッパに移住することに決めたんだ。それに、サウンド・エンジニアの勉強もしたくてね。チリでは学校を卒業しなかったから、何も出来なかったんだ。チリでは、学校を卒業しないと職に就けないからね。スイスの私立学校に行く機会があったから、それでスイスに帰ることにしたんだ。そういった理由と、赤ちゃんのことが加わって、移住を決めたというわけさ。
HRFQ : "Blind Behaviour" は、Lucien-n-Luciano 名義でリリースされていますが、これはサウンドがダウン・ビート系だからですか?
Luciano : ただ音楽を分けたかったからさ。Peacefrog Records はもう少し Luciano っぽいダンス・ミュージックをリリースしたがっていたけど、Luciano 名義ではアルバムをつくったことはないんだ。今までは何も考えずにただ音楽をつくっていたからね。この3年間、ただ音楽をつくりたい一心でやってきたんだ。そうしたら、いつの間にか似たようなカラーのトラックが集まっていて、サウンドも似通っていた。だからレーベルを探し始めたんだ。Peacefrog もリリースしたがって、彼らはダンスよりの音を入れたがったけど、それはしたくなかったから、Lucien-n-Luciano 名義ではダウン・テンポなホーム・リスニング系、Luciano 名義では少しダンス寄りの作品をリリースすることにしたんだ。今ちょうどセカンド・アルバムをつくっていてね。ただ、今回は以前とは少し違ったやり方で、アルバムのためにトラックをつくっているんだ。トラックをつくって、それをコンパイルしてアルバムをつくるという感じにね。
HRFQ : 今回と前回のどちらのつくり方が難しいと思われますか?
Luciano : 今回の方が難しいね。というのも、今はダンス・ミュージックをたくさんつくっていて、結構楽しんでるから、ダウン・テンポ系の音に戻るのが難しいんだ。でも、セカンド・アルバムも落ち着いた感じになることは間違いないよ。
HRFQ : ヴォーカル・トラックも多く入る予定ですか?
Luciano : そうだね。ファースト・アルバムの続きのような感じにしたいんだ。
HRFQ : "Blind Behaviour" でも一曲ヴォーカルを担当している Cassie Britton というヴォーカリストですが、あなたがリリースした他の作品でも彼女の名前を何度か見たことがあります。どういったアーティストなんですか?
Luciano : Cassie はベニス出身のアーティストで、Electric Indigo と一緒に仕事をしたりしていたんだ。確かそれには Miss Kittin も参加していたんじゃないかな。その後彼女はベニスからジュネーブに拠点を移して、Felix da Housecat のアルバムをプロデュースした Dave the Hustler と一緒にアルバムをつくろうとしたんだ。ただ、どうやら彼らの相性はあまり良くなかったみたいで、僕のスタジオは彼のスタジオのすぐ近くだったから、ある日 Cassie が僕のスタジオに遊びに来たんだ。それで少しトライしてみたら彼女の方も相当気に入ってくれてね。たくさんアイデアを出してきて、歌詞なんかも書いてきたんだ。どういうわけか、彼女は僕の音にぴったりフィットしてしまったというわけさ。僕が Mathew Jonson とつくった "Alpine Rocket" というトラックでも歌ってもらってるんだ。最近 Cassie はベルリンに移住して、そこで Ricardo (Villalobos) と会って、コラボレーションしたみたいだし、Perlon から彼女自身のリリースも予定されているんだよ。
HRFQ : ご自分で歌われたりはしないんですか?
Luciano : トライはするんだけど…自分の声を聞くのが嫌なんだよね。自分の声って自分では聞こえないでしょ。 だから自分の声を自分で判断するのが難しいんだ。だから自分のヴォーカルを入れてトラックをつくる時はあまり満足がいかなくて、結局たくさんエフェクトをかけてしまうから、アレンジし過ぎてしまうんだ。ただ、自分の声は好きだから、歌声よりも、話してる声とかを少し使ったりはするよ。
実は最近、ドイツ語で歌ったんだ。Mental Groove からリリースされたブートレグなんだけど、Grauzone っていう'80年代のドイツのバンドのリミックスをやったんだ。ベースを取り除いてキーボードを入れるっていうシンプルなリミックスだったんだけど、オリジナルに近付けるために、ドイツ語で歌ったんだ。
HRFQ : あなたのスタジオ・セット・アップを教えてください。ラップ・トップは使われるのですか?
Luciano : ライブ・セットではラップトップを使っていたけど、ラップトップで音楽はつくらないよ。以前まではハードウェアを使ってパフォーマンスしていたけど、いろんな所にたくさんの機械を持って運ぶのが大変でね。Ableton Live がリリースされるちょうど前にプロモ・コピーをもらったんだけど、すっかりハマってしまってね。それから2〜3年くらいは、ライブでプレイするときは必ず Ableton Live を使ってたよ。でも、ほとんど毎週ライブ・セットをやっていたから、ソフトウェアに飽きてしまったんだよね。結局、楽器を手で触るのが好きなんだ。ソフトウェアを使えば、事前に全てプラン出来てしまうし、その結果も分かってしまうでしょ。だから機械ベースに戻りたくてね。コンピューターがシャット・ダウンしてしまう可能性もあるし、だからソフトウェアを使うのを止めて、ライブ・セットもしばらくの間お休みにしたんだ。
HRFQ : DJセットではいかがですか?どんな機材を使っていらっしゃるんですか?
Luciano : CDと、あと新しいサウンドをクリエイトするためのループ・マシーンを使っているんだ。そうすればリアル・タイムでトラックをリミックスできて、ヴォーカルを乗っけたり出来るからね。トラックをアレンジしてプレイするようにしてるんだ。
HRFQ : 同時に作業するのは難しくないですか?
Luciano : もちろんさ。でもそれがライブの醍醐味でもあると思うんだ。難しい方がやる気になるよね。
HRFQ : そろそろセットの準備をしたほうが良さそうですね。最後に、日本のファンにメッセージをいただけますか?
Luciano : 僕からのメッセージは、僕はここに来るたびに、常に自分のベストを尽くしてプレイしているということ。人々にあまり大きすぎる期待は持って欲しくないんだ。僕にとって大事なのは、人々が音楽を聴きに来てくれること。ただ自分たちの知っている音楽を聴くためにクラブに来て欲しくはないんだ。クラブに出かけて、ラジオで聴いたものを聴きたがる人ってたくさんいると思うけど、一番大事なのは、初めから先入観を持たずに、新しいサウンドを発見をするためにクラブに遊びに行くことなのさ。
End of the interview
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