HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

Kevin Saunderson Interview

ニューヨークのブルックリンに生まれ、その後デトロイト郊外の街Bellevilleに移り住んだ一人のスポーツ好きの少年は、地元の中学校に通ううち、将来ともに世界の音楽シーンを塗り替えることになる二人の級友と出会うことになる。その少年の名前はKevin Saunderson。そして、その二人の級友こそ Kevinとともにデトロイト・テクノの3大オリジネーターと呼ばれるDerrick MayとJuan Atkins。いわゆるこの「Bellevilleの奇跡」とも言われるこの3人の邂逅が生み出した創造物こそが、後に大きなテクノと呼ばれるうねりとなって世界中を駆け巡ることになるのである。

それから20年近くのときが経ち、デトロイト・テクノの末裔たちが世界各地で様々な遺伝子を進化させている中、Kevin Saundersonは時にはデトロイトの一大フェスティバルMovement Festivalをプロデュースする Derrickをサポートし、時にはビッグ・フェスティバルのステージで数万人のファンを前にプレイするなど、今でも最前線でバリバリの活躍ぶりを見せてくれている。しかも、決して彼のプレイは懐古趣味でもなければ、実績の上にあぐらをかいた王道系でもない。渋谷のレコード屋に出かけ、最新のアナログを買い捲り、テクノのみならずプログレッシブ系のトラックにも手を伸ばす…今でも加速度的に進化を遂げている彼の姿は、9月20日にClub Airで行われた彼のバッキバキの来日公演を目撃した人間であれば、誰しもがそう頷くことだろう。偉大なるオリジネーターKevin Saundersonとのインタビュー。HigherFrequencyにとっても至福のひと時となった。

> Interview : Laura Brown (ArcTokyo) _ Translation : Kei Tajima (HigherFrequency) _ Photo : Mark Oxley (HigherFrequency) _ Introduction : H.Nakamura (HigherFrequency)

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HRFQ : Airでプレイするのは今回で2回目となりますが、Airについてはどう思われますか?

Kevin Saunderson : すばらしいと思うよ。サウンド・システムもいいし、いつも人でいっぱいだし。そんなに大きくないクラブだから、クラウドとコミュニケーションがとりやすいしね。フロアのステージでプレイするのが好きだな。あのサウンド・システムに囲まれてクラウドの近くでDJするのが好きだし、その方がクラウドとのコミュニケーションもうまく行くような気がする。お互いに与え合ってる感じがするんだ。すばらしいクラブだよ。長くDJをしてるとクラウドとのそういうコミュニケーションが大事に思えてくるんだ。

HRFQ : 最近、デトロイトの芸術・文化賞をDerrick May、Juan Atkinsと共に受賞されましたね。そのことについてはどうですか?

Kevin : 他の賞となんら変わりないよ。嬉しいけど、賞をもらえるなんて思いもしなかったし、実際、賞を受け取るまではまったく知らされていなかったんだ。DJをリタイアしたらすごく記念になるものなんだろうね。まだプレイし続けている間は、僕を勇気づけたりインスパイアしてくれると思う。実感としてはそんな感じだけど、人々が僕の業績を高く評価をしてくれたことに関しては嬉しく思ってるよ。

HRFQ : Movement Festivalについてですが、今年からイベントのオフィシャル・プロデューサーになられたそうですね。具体的にはどんなことをなさっているのですか?

Kevin : お金の管理をしてたんだ。支払いをしたり、アーティストにギャラを払ったり、予算を管理したりね。それに、よくカッカする人をなだめ役も。要するに全体のバランスを整えるために加わったのさ。それが今回のイベントにおいての僕の目標だったんだ。イベントまであと3週間というところでプロデュースに参加したから、何か一つのことに集中してそれを達成させたくて。だからすべてが上手く運営されるように物事を調整することに専念したんだ。

HRFQ : Movement Festivalは今回も大成功を治めたと聞きました。今回のイベントの成功についてどう思われますか?また、運営する上で難しかったことはありましたか?

Kevin : オーガナイズに参加しようとした時が一番難しかったな。他のスタッフとのコミュニケーションが上手く行かなくて、イベントもこのままでは成功しないと思ったんだ。ある意味、そういう危機感を感じたから参加したんだけどね。今回オーガナイズに参加する前から、僕がこのMovement Festivalに関わっていると考えていた人は結構いたと思うんだけど、実際そうではなかったんだ。もちろん仲間を励まして応援してはいたけど、オーガナイズに関わったことはなかったんだ。追い込みの時期に参加したのは結構大変だったけどね。

でも結局参加することになって、その結果イベントも成功した。イベントが成功したってことがすごく重要なんだ。世界中の人々や、もちろん地元の人々からも注目を集めて、デトロイト市に大きな利益をもたらしたわけだからね。だからこのイベントは僕たちの地元の地域社会において重要な役割を果たしていると思うんだ。普段は会うことや、交流することのない人々が世界中から集まるからね。しかも集まる人の平均年齢は24歳で、子供ばかりという訳ではない。ママやパパの年代や、おじいちゃんおばあちゃんの年代だってイベントに参加するんだ。年齢も人種も全く関係なく、人を集めてしまうのは音楽のなせる技だよね。だからこそこのイベントは上手く行ってるんだと思うよ。人々が一つになって、盛り上がれる音楽がこのイベントにはあるからね。

Kevin Saunderson Interview

HRFQ : それでは来年もオーガナイズに参加なさる予定ですか?

Kevin : そのつもりでいるよ。来年はプロデューサーとディレクターを努めるんだ。詳しい詳細は今後出てくる予定だから、注意してみておいてほしい。

HRFQ : 比較的若い読者でもデトロイトの音楽について詳しく知っている人は多いのですが、シーンがどうやってスタートしたのかを知る読者は少ないと思います。どうやってDerrickやJuanと出会ったのか教えていただけますでしょうか?

Kevin : DerrickとJuanには、僕がまだ13歳くらいの時Bellevilleというデトロイトの郊外の町で会ったんだ。僕たちはみんなそこの中学校に通ってた。その時はそんなに仲良くもなかったんだけどね。僕はカレッジに入るまで音楽制作もDJもやってなくて、3人の中ではJuanがたぶん一番早かったんじゃないかと思う。彼はちょっと変わっていて、いつも誰もついていけないような妙な音楽や楽器の話をしてるような奴だったんだ。でもDerrickは彼と仲が良くて、僕はDerrickとスポーツ仲間だったから、自然とJuanともつきあい始めるようになったってわけ。でも、3人一緒の高校を出たあとカレッジに進むころには、僕たちはバラバラになってしまってね。Derrickはシカゴに行ったし、僕はデトロイトに残ってそれから東ミシガンの僕の中学校の近くの大学に行った。Juanはいつも孤立していて、常に自分の道を突き進んで、誰にも自分の考えを話そうとはしなかった。だから僕たちの知らない間にJuanはCybertronという名前でレコードをリリースしていて、それがラジオで流れるようになったんだ。すばらしい音だったよ。そしてJuanはその音楽を"テクノ"と名付けたんだ。しばらくするとJuanはだんだん有名になって、彼の音楽はデトロイト中で流されることになっていった。そういうことが立て続けに起こってる頃、今度はシカゴにいたDerrickが電話してきて、シカゴでDJをすることになったと教えてくれたんだ。それからもDerrickとはずっと連絡を取り合うようになって、彼がデトロイトに戻ってきたのを機会にJuanともまた連絡を取り合うようにもなり、その再会がきっかけとなって、僕たち3人のクリエイター精神にも火がついたんだ。

当時僕はDJをすることにも興味があったし、NY出身ということもあってもともと音楽にはすごく興味があったんだ。夏の間にNYに帰ってParadise Garageに行くこともあったしね。あのクラブのうるさいほどのサウンド・システムと、DJのミックスには相当影響されたものだよ。スキルのあるDJと設備に囲まれて過ごした経験は、僕の将来を自然と決めてしまったんだ。そうやって1984年に音楽活動をスタートして、初めてのレコードをリリースしたのが1985年。それからJuanとDerrick、僕も次々とレコードをリリースするようになって、デトロイトのEddy Foksもレコードをリリースするようになっていったんだ。シーン全体を盛り上げるために僕たちもいろいろサポートしたよ。Derrickが何かを革新して、僕がそれを盛り上げていく役って感じでね。それから、僕たちはそれぞれ自分自身のレーベルからもレコードをリリースするようになって、僕もKMSっていうレーベルを持って、そこから作品をリリースするようになっていったんだ。自分でコントロールすることができるように。でも、当時は自分の音楽に何かが足りないような気がしてならなかったことを覚えているよ。その時はエレクトロ、ヨーロッパの音楽、ディスコとかクリエイティウ゛だと思えるものなら何でもかけていたんだけど、問題はみんな同じような音楽をかけていたってことだったんだよね。

まぁ、そんな感じでスタートしたんだけど、状況は毎年だんだん良くなっていって、その後 "Good Life"とかで商業的に成功を収めることになるInner Cityというグループを始めて、それからたくさんのレコードを制作するようになっていった。今までに沢山のヒットを生んできたよ。しかもアンダー・グラウンドでね。現在のデトロイト・サウンドのほとんどは、僕をはじめとする、昔からいるデトロイトのアーティストに影響されたものなんじゃないかな。

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HRFQ : 当時は、とてもベーシックなマシーンで音楽をつくられていたかと思いますが、具体的にどんな機械を使っていたのですか?

Kevin : 僕はドラム・マシーンから使い始めたよ。それが僕の音楽をネクスト・レベルに持っていくきっかけになったんだ。Rolandの909 とか 808とかのコンピューターベースのリズムマシーンを使ってつくり始めて、それからだんだん機械に慣れて、テクノロジーを理解するようになって、いろいろなビートをプログラミングするようになったんだ。こうして出来た様々なビートを音と合体させたら、すごくユニークな音になったよ。すごくエキサイティングなビートとグルーヴが生まれたんだ。 ミュージシャンとして教育を受けなかった僕にとって、次のステップはまずキーボードをゲットして、このビートに絡ませることの出来る楽器をさらに手に入れることだった。それでシーケンサーを買い、キーボードを二台(DX100とCZ1000)手に入れて、シーケンサーとmidiなどの新しいテクノロジーについて勉強し始めたんだ。新しいテクノロジーについては、まだ確立しきっていない部分もあったから、僕が過ごしてきた時期というのはとてもユニークだったと思うよ。テクノロジーが出てきたばかりの世代だからね。自分なりに練習したり、本を読んで勉強したり、ミスを重ねながら音楽をつくっているうちにシンセサイザーのテクニックを得て、エンベロープやフィルターなんかを変化させることで生まれる全く新しいサウンドを作り出すことに成功したってわけさ。結構キャッチーでメロディックな要素と、僕が過去に影響を受けてきたディスコ音楽もスタイルに反映されているかな。僕はこうやって音楽づくりをしてきたんだ。常に向上しようとしてきたよ。

HRFQ : アートは常に周囲の環境や状況と連動して、そのかたちを発展させてきました。政治的不安や不平等な状態という"困難な状況"もテクノ・サウンドを発展させる大きな要因となったのではないでしょうか。あなたはこの"困難な状況"が力強く、影響力のあるアートをクリエイトするという意見に同意しますか?

Kevin : それも一理あると思うよ。僕たちがこのシーンをつくろうとした時、周りには誰も手を差し伸べてくれる人がいなかったんだ。だからすごく難しかったよ。誰かにお金を投資してもらえなければ、レコードをリリースすることは出来ななかったんだ。だからいろいろな人と話さなくちゃいけなかった。いい人もいたし、悪い人もいた。いろんなことを学んだよ。だからはじめの頃は苦労した。それに、音楽を聴きたがらない人、サポートしたがらないレコード・ショップやディストリビューターをもたくさんいたんだ。だから僕たちは自分たちの音楽を人に聴いてもらえて、有名にするための方法を見つけなくちゃいけなかった。海賊ラジオ局はユニークで普通の音楽とはちょっと違った音楽を流しているところだったんだけど、そこで僕たちの音楽を流してもらったんだ。しかも、ラッキーなことにロンドンのメディアも僕たちの音楽を広める手助けをしてくれた。当時のロンドンのメディアもこういうエレクトニック・ミュージックを広めることに力を入れていたんだ。 そうやってウイルスのように国中に広まっていったんだ。そしてもちろん海外の人々をも影響するようになった。でもそうなる前には大変な苦労があったよ。 むかし機材を全部盗まれたことがあったんだけど、なんとか二つの機材を集めて楽曲をリリースしたらその楽曲が大ヒットした!みたいなこともあったね。

HRFQ : 現在のアンダーグラウンド・シーンについてどう思われますか?最近はどんな音楽を聴いているんですか?

Kevin : すごくいいなと思う曲はたくさんあるんだけど、具体的なアーティストはこれといっていないな。もともと名前とかアーティスト自体にはあまり注目しないんだ。ただレコード・ショップに行ってレコードを買って、それを一通り聴いてみてクラブでプレイする。そうやってクラウドの反応を見るのが好きなんだ。僕はもう15年もそういうやり方で音楽活動をしてきたからね。でもシーンを全体的にみると、世界中にはまだ訪れるべき場所がたくさんあるような気がするよ。まだ音楽的に開拓されていない場所がね。先日ドバイでDJをしたんだけど、すごくおもしろかったな。あそこでDJすることになるなんて夢にも思わなかったしね。アジアでは上海なんかもまだ未開拓なんじゃないかな。

HRFQ : 最近進められている新しいプロジェクトについて教えてください。

Kevin : そんなにないけど、Inner Cityから"Say Something"という12インチをリリースする予定だよ。クラブでかけるのにぴったりの曲なんだ。あと、オランダでCarl Coxとバック・トゥー・バックをやったときのDVDもリリースされるんだ。ロッテルダムで1万2千人もの人を前にプレイしたんだよ。

Kevin Saunderson Interview

HRFQ : あなたのレーベル KMSでは、現在どんな動きがあるのですか?

Kevin : 専ら過去のリリース作品とか、僕自身の過去の作品を出してるよ。

HRFQ : DJセットでは普段からFinal Scratchを使ってらっしゃいますね。何か他に新しいテクノロジーは使っていらっしゃるのですか?

Kevin : 時々ね。Final Scratchはバック・アップとして使ってるんだ。だからメインのマシーンとしては使っていないよ。その日どんな気分か、どんな音楽をプレイしたいかにもよるけど、もしオールド・スクール・セットをしたい時は、Final Scratchを使うことが多いんだ。昔の音源のほとんどはそこに入ってるからね。

HRFQ : 今後ダンス・ミュージックはどのように発展していくと思われますか?

Kevin : シーンは常に回っているものだと思うよ。あるシーンは残ると思うけど、消えていくシーンもあるだろうし、人気のでるシーンもあると思う。僕の目標は、Movement Festivalをアメリカ全土に広めること。まずは中西部から地域ごとにフェスティヴァルをやっていって、全地域に広めていく。それからはどこか他の国でイベントをすることも考えられるね。

HRFQ : 最後の質問です。あなたにとっての"Love"と"Hate"を教えてください。

Kevin : 僕の子供と家族を愛してるよ。それは絶対。世界中を旅するのも好きだし、訪れた場所で新しい文化に触れて、新しいことを経験するのが好きだね。それに映画も好き。嫌いなものはレバー。でも、あまり嫌いなものはないんだ。

HRFQ : 日本のファンにメッセージをお願いします。

Kevin : Movement Festivalに参加しに、是非デトロイトに来て!地球の反対側に何かいい経験をしに来てよ。それと、いつもサポートしてくれてありがとう。

End of the interview

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