HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

ヒップホップ仕込みのスクラッチを多様した抜群のテクニックと、ディスコ、ミニマル、エレクトロからヒップホップまで、あらゆるジャンルを自由自在にミックスするその独自のプレイスタイルによって、シーンで大きな存在感を保ち続けている実力派・DJ TASAKA。90年代には石野卓球と共に、伝説的パーティー "LOOPA" で独自性あふれる活動を展開、日本のクラブシーンへテクノを根付かせることに大きく貢献した。またソロ活動だけではなく、KAGAMI とのユニット・DISCO TWINS や、アルファとのユニット・アルファ&DJ TASAKA など多くのコラボレーションワークを通して幅広い活躍を続けている。

今回は以前より公私共に交友の深い Frank Muller 主宰のレーベル・MULLER RECORDS から、昨年7月に Ki/oon Records からリリースされた最新アルバム "Soul Clap" のワールドワイド・リリースが決定。こちらに際して、ドイツの老舗ダンスミュージックマガジン・Raveline にて表紙への掲載を含め、1ページ半に渡って行われた独占インタビューを本邦初公開する。なお、テキストは原版のドイツ語を元に翻訳されたもの。

Interview : Raveline
Translation : MULLER RECORDS
Introduction : HigherFrequency


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-- 初めて聞いたテクノのレコードや、テクノのパーティーへ行くようになったきっかけは?

DJ TASAKA : 僕が子供のころ、日本では Yellow Magic Orchestra や KRAFTWERK、他のエレクトロポップバンドも総称して "テクノ" と呼ばれていました。 6歳か7歳のころ、お姉ちゃんが YMO の "Solid State Survivor" をよく家でかけていたり。 このアルバムは日本でとても人気があって、学校の運動会とかでも頻繁にかかっていたほどでした。彼らの手がけたテレビゲームの音も好きでした。 今言われている、ダンスミュージックとしての "テクノ" との出会いは1988年。

14歳の時、Phuture 'we are phuture' Royal house 'can you party' 、そして Rythim is rhythm 'it is what it is' なんかが 当時の東京でアシッドハウス、デトロイトテクノ、ヒップホップ等を聞く事が出来る唯一のラジオ番組でかかって。 テープに録音して、勉強するふりをして何度も何度も聴いていました。
それからすぐにDJのセットを揃えて、この手のレコードを買うようになっていきました。

でも、まだ当時東京にテクノのパーティといえるようなものはなかった。まああったとしても14歳のガキだったからいけなかっただろうけど(笑)。テクノをダンスフロアで体験するのはもっと後のことで、当時、音楽的な興味はスクラッチ等DJスキル的なことを含めて ヒップホップのほうに傾きました。その後、1993年頃の Eye-Q、hearthouse の時期に、イリーガルなパーティーに行くようになって。 ヨーロッパやアメリカからテクノ/ハウスのDJが毎週のように東京にきてプレイするようになった最初の時期。 で、ダンスフロアで "これだ!これが求めていた音楽だ!!" って、自分の中で音楽的な革命があって。それからはテクノのシーンにどっぷり浸かって。 DJとしてかける音も変わっていき、90年代の半ばにはヒップホップのDJスキルでテクノのレコードをかけるようになっていました。

-- 日本の現在のテクノシーンはどんな方向性で発展していっていると思いますか?

DJ TASAKA : 全体のことはわからないし、個人的な視点でしかいえませんが。
去年の秋にツアーしたときに、大型のパーティの動員は少し減りつつあることは否めないけれど、全国にいいテクノパーティは点在してると感じました。 インターネットの普及も手伝って、情報のギャップのようなものは各都市でもほぼないと言っていいと思う。 ただもちろん他の国と同じく、デジタルマーケットが拡大し続けて、いいレコードショップが閉店を迫られる様な状況もあります。
レコードショップが持っていた、レコードを買う目的だけでなくミーテイングポイントのような役割を果たす場所が少なくなっているようにも感じます。 それでもアナログレコードを買い続けている人もまだまだいるし、素晴らしいDJやプロデューサーがたくさんいるし、 若い世代で、キディーなエレクトロやコマーシャルなハウスじゃない、本当の意味でのいいテクノやハウスを作る人達もいるし。

-- 最近のお気に入りのクラブや場所は??

DJ TASAKA : 東京だと UNIT、SALOON、ageHa、LIQUIDROOM、AIR、 大阪の Clapper と神戸の Troop cafe。 いいサウンドシステムと雰囲気を兼ね備えたクラブです。

-- ヨーロッパと日本のクラバーの相違点って何だと思いますか??

DJ TASAKA : ヨーロッパのほうが指笛の上手い人が多い!(笑) とか。
日本では、パーティーを夜始めて次の日の昼過ぎまで、というのはなかなか出来ない状況があります。 大抵朝の6時か7時には終わらなくてはならない。だから日本ではパーティーに人が入り始める時間も早め。 僕は、例えばベルリンのように次の日の午後まで長くやっているようなパーティーも好きだし、もっと長くできればいいのにと思っている人は日本にも多いと思う。 社会的にも、法的にも、経済的にもなかなか難しいところで、そこは大きな違いだと思います。
あと、よくヨーロッパから来たアーティストが "日本のオーディエンスは音楽をよく知っている。" と言ってるのを聞くと妙な気持ちになったりもします。 なんというか、まあ当然それはいいことだけれも、音楽への知識と、パーティへの情熱というか意欲はまた違うものだとも思うので。

-- 日本のテクノシーンやクラブに求めているものはありますか??

DJ TASAKA : ヨーロッパに行くと、30歳どころか40歳をこえたであろう人たちがクラブに遊びにきてるのを目にします。 日本だとDJブースにいる人達だけが40歳を超えてたり…。
僕はいま35歳で、すでにこの業界ではいい年齢にさしかかっている方なわけで。 テクノで踊るってことは若いジェネレーションだけのもの、とは思わないので、もっと多くの人にかつてのようにパーティーに来続けてほしいし、 たとえ結婚して子供が生まれたりしても、パーティで楽しむことを維持できるような状況が作れればいいなとは思います。 もう少しエントランスの料金を下げるとか、工夫を凝らした策が必要かとも。そこを考えると、夜中の公共交通の改善とか法的なことなど街全体の大きな話になってしまいますが。
僕がずっと住んでる東京に限って言えば、クラブを悪の温床と見なした上でコントロールをしようとしている都知事にはがっかりさせられます。 あとは、来日する外国人アーティストで毎週飽和状態な感もあるので、変に閉じた意味ではなく、日本人アーティストが拠点として活躍できるパーティ の必要性も感じています。

-- アルバムについて教えてください。どんなことを考えて作ったのでしょうか?

DJ TASAKA : まず最初に、自分や友達が長い間楽しめるものにしようと思って作り始めました。 共同で作るプロデューサーやゲストのアーティストもいない一人での作業だったので個人的になりすぎないように、よく自分のデモをフロアで試してみて、その反応をみて修正していったりしました。
このアルバムはまとめあげるまでに一年くらいかかったので、長く作業を続けるなかで、小さい頃から今まで自分が受けた音楽的な影響も自然に出てきたと思います。

-- どういった影響をうけましたか?

DJ TASAKA : エレクトロニックなものだけでなく、特に80年代後半から90年代前半の、主にニューヨーク発のヒップホップにすごく自分が影響を受けてきたということをこのアルバムを作っていく過程で再認識しました。
ということはすなわち、70年代のファンクやソウルにも多大な影響を受けているということです。 いくつかのトラックでは、そういった古いサンプルを細かく切り貼りしエフェクトをかけて、シンセや楽器を載せた後で元のサンプルをどける、といった行程で作りました。 音楽的なこと以外でも、東京での日常生活で感じたこと、良かったパーティや、良くなかったと感じたものからさえもすごく影響をうけていると思います。

-- 制作期間中、なにか特別な瞬間はありましたか?

DJ TASAKA : デモが出来上がって、DJセットの中で試したときに、誰の曲なのか知らないでフロアにいる人のダイレクトな反応を見るのは嬉しいです。あとはとても個人的な事ですが、3歳になる息子が一日中、出来たばかりのお気に入りの曲をノンストップでかけて踊っていたのも。

-- どのようにして MULLER RECORDS にコンタクトをとったのですか??

DJ TASAKA : Frank Muller にはじめて会ったのは1997年、石野卓球さんと僕がやっていたパーティに彼がゲストで来た時。 すぐに友達になって、その後よく一緒に日本やドイツをツアーして回りました。一度彼のレーベルの Mix CD "more muller more" を担当したこともあります。 本物のテクノクラシックと呼びうるカタログを持ったレーベルだと思います。 今後さらにテクノを活気づける展開をすると聞いていて、楽しみです。

-- ご自身のサウンドを言葉で定義するとしたら?

DJ TASAKA : 自分の音楽を定義するのはあまり好きではないけど…しなくちゃいけないなら…
モンゴロイド・テック・ファンク!

-- スタジオでお気に入りのマシンやソフトウェアはありますか?また理由があったら教えてください。

DJ TASAKA : Elektron Machinedrum と Monomachine。音とインターフェースの点で。 あとは Cubase、使い慣れているから。

-- あなたは以前電気グルーヴのライブショーの一員でしたよね。 今後もこのプロジェクトはありますか??

DJ TASAKA : わかりませんが、また機会があれば。
卓球さんは10年くらい前、僕が自分でも曲を作りたいと思い始めたころ、どうやってスタジオで音楽を作るかを見せてくれた人。 今もすごくインスパイアされる存在です。

-- DJとしてお答えください。最近のベストギグとその訳は?

DJ TASAKA : 東京の SALOON であった平日のスペシャルパーティがすごく良かった。本当にいい VIBE とパワーにあふれてた感じで。 訳は、何でだろう…フリーエントランスだったからというのもあるだろうけど…? いい瞬間はいつも突然きて予測がつかないところもパーティの面白さだと思います。 新年の LIQUID LOFT もよかった。僕は他のクラブで2つプレイした後、午後からDJして。 日本で午後まで長時間パーティーができるというのは特別なことで、そこにいた人たちはそれはMADだった!

-- DJとしてどのようなスタイルでプレイしていますか?

DJ TASAKA : テクノとハウス、ミニマルにファンキーなフレーバーが入っているもの。

-- アルバムの曲をライヴでプレイする予定もありますか?

DJ TASAKA : はい。すでに去年の夏の SUMMER SONIC フェスティバルでプレイしました。東京でもライヴをしています。DJとは違う、ソロでやるライブの面白さにようやく気付いたこともあって、今後はライヴも増やせたらと思っています。

-- 今後の予定は?どういったことを期待していいですか?

DJ TASAKA : 東京のいいDJ達と新しいパーティを計画してます。あとは制作とリミックスと。 海外でのプレイも楽しみにしています。

-- DJチャートをお願いします。

SANTOS / BURNER KING (NOIR)
MARC ROMBOY / Talking All That Jazz (SYSTEMATIC)
NICONE/TAZAKA / OMIKOSHI (KICKBOXER)
CHRISTIAN SMITH& RESET ROBO / Air Miles (2000 and one &DJMadskills remix) (100%Pure)
BUTCH / DISCO SHHH (bang!bang!)
A.Mochi / THROUGH THE NEVER (Figure)
V.A. / EARLY HOUSE #3 (EARLY HOUSE)
Florian Meindl / Leaving Home (Flash)
THE HOLY COW / Manuel De La Mare (303 LOVERS)
PLANETARY ASSAULT SYSTEM / BOOSTER (PEACE FROG)
* artist/tittle (label)

End of the interview






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