80年代の後半にイギリスのレア・グルーブ・シーンから飛び出し、高速化するレイブ・シーンを尻目に、オーガニックでファンキーなバンド・サウンドで、アシッド・ジャズ・シーン隆盛の牽引役となったビッグネーム Brand New Heavies。ここ日本でも猫も杓子も踊り狂った永遠のクラブ・アンセム "Never Stop" を始め、"Dream On Dreamer"、"You Are The Universe"、そして"Back To Love"等など…筆者のような中年クラバーにとっては、聴くとついつい当時の破廉恥な思い出が蘇ってきてしまうような名曲を次々と世に送り出したスーパー・グループである。
実質的な活動開始から20年近くが経とうとする今日も、相変らず勢力的に活動を続ける彼らは、つい最近シングル"Surrender"をリリースしたばかり。ボーカリストとして新たに Nicole Levy を迎え、新生 Brand New Heavies として活動を本格化させたところである。そんな彼らに、HigherFrequencyの提携ジャーナリストである Jonty Skrufff がインタビューを実施。メンバー全員に、最近の活動のこと、そして気になる大ブレイク当時の裏話などについて話を聴いた。
> Interview : Jonty Skrufff _ Translation & Introduction : H.Nakamura (HigherFrequency)
Jonty Skrufff (以下Skrufff) : まず Nicole から行きましょうか…。Brand New Heavieis には、今まで Carleen Anderson、N'Dea Davenport といったシンガー達が在籍していたわけなんですが、あなたはどういう経緯で加入することになったんですか?
Nicole Levy : とってもシンプルな話よ。彼らとはマネジメントを通じて知り合ったの。当時、私は Craig David が在籍していたレコード会社と契約していたんだけど、そこで Craig の所属するマネジメントとも契約することになって、さらにそのマネジメントが Brand News Heavies のメンバーに私を紹介してくれたってわけ。最初は、一緒に曲を書くって感じで始まったんだけど、やがて気が付くとアルバムが出来上がってたって感じだったかしら。それが2年前の話よ。
Skrufff : どれくらいの間、新しいシンガーを探していたんですか?
Simon Bartholomew (Guitar : 以下 Simon) : そんなに長い期間じゃなかったよ。実はその頃、いろんなアメリカ人シンガーをフィーチャーしたアルバムを日本でリリースしたばかりで、ちょうどそのライブ・ツアーをやるために、シンガーを必要としていたんだ。その時、誰かが Nicole のことを教えてくれて、実際に彼女の音を聴いたらよかったので、スタジオに来てもらうことになったというわけ。で、いくつかのライブに参加してもらうことになり、そこからコラボレーションが始まっていったんだ。だから、すごく自然な成り行きだったね。
Skrufff : さて、皆さんは80年代の後半から活躍されているわけですが、例えば Simon Cowell みたいな才能が出てきたり、R&Bがアチコチに溢れている感じの最近の音楽シーンについてはどう思いますか?
Simon : 実は Simon Cowellをメンバーにしようとも思ったんだけど、やつはちょっと年寄りだったからやめたんだ。まぁ、冗談だけど…(笑)。
ビジネスの環境はコンスタントに変化しているし、やっぱり自分のやっていることに集中しないといけないんじゃないかな。充分に周りのことを意識するってことと、同時にしっかりと遮断するってことのコンビネーションが大切で、あまりビジネスに翻弄されすぎると、音楽から遠ざかってしまうからね。オレたちは業界の中で働いてるけど、同時にバンドとしてのユニットでもあって、オレたちなりの目標もある。変わらない目標がね。だから、前に進まなきゃいけないし、その意味で何を達成したいのかをキチッと理解することは大切だと思うんだ。
Andrew Levey (Bass : 以下Andrew) : いろんな意味で、オレたちは相変らずファンキーでアシッド・ジャズな感じの世界に生きてるんだと思うよ。このシーンは今でも存在するし、これからもなくならないと思う。例えば、60年代のCM音楽と比べると、60年代の音をつかった今のコマーシャルの方がクールだし、もし今の R&B が、かつて70年代にベイ・シティ・ローラーズのように売れているサウンドなんだったら、J Lo はさしずめ新たなベイ・シティ・ローラーズなはずだからね。しかも、J Loの音はクオリティもいいし…。
Yan Kincaid (Ds : 以下 Yan) : オレは個人的にはベイ・シティ・ローラーズの方が好きさ。"Shang A Lang"は定番だよ。
Andrew : 奴らはほんとビッグだったよね。100万枚売ったわけだし。
Simon : 今の音楽シーンに関して面白いのは、音楽制作が本当に簡単になって、誰でも出来るようになったこと。まぁ、こういった傾向はいいことで、アーテレコード会社のアーティストに対するコントロールが少なくなるというのは、歓迎すべきことだよ。
Skrufff : でも、あなた達は、大きなミキサーの置いてあるすごいスタジオで作業しているんですよね。
Simon : 全然そんなことないよ。窓のない小さなスタジオが専門さ。
Skrufff : ホントですか?Earth, Wind & Fire みたいな感じで、20人くらいのミュージシャンが輪になって…といったスタイルを想像していたのですが?
Simon : 確かに何回かそういったスタイルもやったことがあるよ。オレたちは良い結果を得るためには何だってやってきたし、実際に、君が言ったようなスタイルで金をかけてアルバムを作ったこともある。でも、本当はそんなことをする必要はなかったのかもね。もっと安く自分のやりたいことも出来るし、スタジオに入る前にコンピューターで事前にいろいろと作業をしておくことだって出来たわけだから。
Skrufff : 10年以上続いているグループって余りいないのですが、作曲のやり方みたいなもので、何か決まったやり方とかあるのですか?
Yan : 一緒に集まって、ジャム・セッションをする…それがオレたちの音楽制作の基本的なやり方さ。まぁ、これってどちらかと言うと、作曲というよりはグルーブをつくる作業って感じだけど、オレたちはいつもこうやって制作をスタートさせてきたんだ。自分たちが将来ライブをやるなんて想像だにしなかった頃からずっとね。これがBrand New Heaviesにとって一番重要なプロセスで、作曲という作業はその後に来るって感じかな。
Skrufff : ジャム・セッションをレコーディングしておいて、いいパートだけピックアップしていくというやり方ですか?
Andrew : その通り。新曲の"Surrender"もそうやって始めたんだ。まずは、ベースラインからスタートして、Nicole がループに合わせて歌い、その後でみんなでスタジオの中でジャム・セッションをやり、そこからレコーディングをスタートしたのさ。
Skrufff : 昔なにかの本で読んだのですが、大ブレークする前に Acid Jazz レーベルとの契約が失敗して苦労したそうですが…。何でも彼らはあなた達をレア・グルーブ系のバンドとして売り出そうとしたとか…。
Yan : あぁ、それは Acid Jazz じゃなくて、Chrysalis Recordsとの契約のことだよ。実は80年代の後半に、わずかの間だけ彼らとシングル1枚の契約を結んでいたことがあるんだけど、その契約のタイミングがちょっと遅きに失したという感じでね。The Pasadenas (UK初のブラコン・グループとして大ブレークしたバンド)がナンバーワンになった直後に Chrysalis と契約したんだけど、その時には、既にセカンド・サマー・オブ・ラブの波がすぐそこまで来てるって感じだったんだ。だから、僕らが契約した1ヵ月後には、みんな BPM 140の音楽、すなわち「アシッド・ハウス」に夢中になってしまって…。それで、オレたちは Chrysalis から契約を切られることになって、それから Acid Jazz レーベルに行ったというわけさ。
Simon : 当時の Acid Jazz もまたダンス系のレーベルとして活動していたんだけど、幸運なことに、アシッド・ハウスとは好対照のシーンが盛り上がっていて、そこからアシッド・ジャズというシーンが発展していくことになったんだ。で、オレたちもその流れにのって何とか生き残ることが出来たって感じかな。ただ、皮肉だったのは、オレたちが元々出てきたレア・グルーブのシーンっていうのが、後の大きなレイブ・シーンのテンプレートになったってこと。オレたちも昔はよく倉庫を借りてレア・グルーブ系のパーティーをやってたんだけど、レイブのコンセプトってそんな感じだったからね。
Skrufff : レイブ・シーンに飛び込みたいと思ったことはありますか?
Yan : いや、それはなかったね。オレたちはミュージシャンで、しかもバンドでしょ。だから、KLFみたいなことをやる必要は全くなかったんだ。仮にオレたちがそういったサウンドをやっていたとしたら、完璧な嘘っぱちになってしまっただろうし、みんなもレコードを買ってくれなかっただろうね。
Simon : しかも、当時はオレたちも自分たちのいるシーンに全てを捧げていたからね。やっぱ10代の後半に自分たちが関わっていくものを選んだら、しばらくそれにこだわって、自分の夢を追いかけていくものでしょ。だから、ジャズやファンク、R&B、ソウルといったサウンドから、レイブ・ミュージックにスイッチするのは、余りに飛躍し過ぎた考え方だったと思うよ。
Yan : あと、オレたちが関わっていたシーンって、例えば音楽と一緒にファッションもクリエイトしていた Saint George の Duffer みたいな連中もいたし、レイブのシーンなんかより、もっと洗練されていた感じだったんだ。それに、当時はみんなバンドと言えばロックが主流で、オレたちみたいにライブでファンキーな音楽をやる連中はそんなにいなかったからね。
Skrufff : 一番最初に「大成功したな」と思ったのはいつですか?
Yan : 元々いたシーンでは、ずっと有名で、正直言ってかなりヤバイ存在だったんだぜ(笑)。オレたちのデビュー・アルバムはイギリスの Acid Jazz というマイナー・レーベルからのリリースだったんだけど、その後、それがアメリカに輸出されて話題になり、アメリカのレーベルとも契約をすることになったんだ。で、それをきっかけに雑誌から良い評価をもらうようになって、ニューヨークでライブもやったら、それがまた評価されて…。で、その話がイギリスに逆輸入されるかたちで伝わり、「あいつらアメリカでヤバイらしいぜ」みたいな感じで急に広がっていったんだ。そこからかな、オレたち一般的に認知されたっていうのは。
Skrufff : 最近のアメリカは、マーケットとしてどんな存在ですか?
Yan : アメリカはいつも重要なマーケットだけど、その意味ではどこでも重要さ。そこでオレたちのレコードが売られていて、オレたちのファンがいる限りはね。
Skrufff : ほとんどのグループは10年も持たずに解散してしまうものなんだけど、お互い敵同士になって、解散しそうになった危機ってありましたか?
Andrew : かなりヤバかったことがあるよ!
Yan : オレたちが敵同士なるってことは、これからもあり得ないと思うよ。勿論、家族みたいにいつも口論することはあるけど、それってあたり前のことだからね。それに、オレたちがみんな音楽が好きだし、自分たちのやっていることも気に入っている。だから、これを続けている限りはうまく行くはずさ。
Skrufff : 20年に渡って成功を維持するってことは、それを達成するよりも難しかったですか?
Yan : 当時と違って、今オレたちには経験という武器があるし、そのおかげでいろんなカラクリも分かるようになった。でも、何かを始めたときっていうのは、神経質でありながらも希望に満ち溢れ、ものごとに対してスゴク熱心に取り組むものだと思うんだ。その意味で、オレたちは相変らずポジティブではあるんだけど、ビジネスがどんなものかっていうことに気付いたという部分はあると思うんだ。ビジネスって本当にバカらしいものだし、正直あまり楽しい経験とはいえないけどね。それに、音楽とは全く関係のないところで話が進んだりするから、ミュージシャンであるとかなり辛い時もあったりするし。
Skrufff : 何年にも渡って、世界的なヒットを何枚もリリースしてきましたよね。最近はデカいマンションに住んでいるんですか?
Yan : いくつも持ってるよ(笑)
Skrufff : 車は何に乗ってるんですか?
Yan : お〜、それは微妙な質問だな。
Simon : みんなで流行りの車をシェアしてるよ。
End of the interview
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