HigherFrequency クラブイベント情報

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JOHNNY FIASCO & JAMES CURD

REAL GROOVES feat. JOHNNY FIASCO & JAMES CURD

9月23日(金) @ Space Lab Yellow, Tokyo _ 22:00 〜

Door : Y3,500 _ w/flyer : Y3,000
DJ : Johnny Fiasco (Om Records, Viva Recordings/Chicago), James Curd - Greenskeepers (Classic Recordings, Igloo, Om Records/Chicago), Kai
Music : House


▼ 4月の Vol.4 では Kevin Yost、6月の Vol.5 では Steve Bug、そして8月に予定されている Vol.6 では Akufen と、ジャンルを超えた刺激的なエレクトロニック・ミュージックを発信してきた Yellow の人気パーティー Real Grooves。ジャンルでカテゴライズすると一見ランダムにアーティストをピックアップしているかにも思えるが、フロアの中に響くサウンドには確実に一貫したテーマとクールネスが横たわっているクオリティ・イベントである。

そんな彼らが9月のラインアップとして白羽の矢を立てたのは、OM Records や Cajual といった名門ハウス・レーベルから作品をリリースし、Justin Timberlake や Gloria Estefan、KD Lang といったアーティストのリミックスを手がけてきたシカゴ・ハウスの大ベテラン Johnny Fiasco と、Derrick Carter と Luke Solomon 率いる Classic などからハウスの枠にとらわれないユニークな作品をリリースして来たバンド型ユニット Greenskeepeers の James Curd。タイトでグルービー、そしてシンプルなビートが徐々にクラウドをヒート・アップさせていく…そんなワンランク上のフロア体験を我々に提供してくれる一夜になりそうだ。(HigherFrequency)


James Curd バイオグラフィー

Greens Keepersのメンバーとして知られるJames Wilson Curd。ハウスの街、シカゴにてDerrick CarterやDizなどの偉大な諸先輩の身近で育った彼はまさしくシカゴハウスの新世代であり、次なるステップへと導くシカゴシーンの申し子と言える。
若干15歳、偽造IDを使用しながらChicagoにてDJ活動を開始したJames。20歳になる頃には地元の主要クラブでDerrick CarterやDiz、Gene Farris、などと並んでレジデントとしてプレイ し、その評判は近隣の都市にまで及ぶようになる。DJと同様トラック製作も早くから開始したJamesは20歳の時、フランスのレーベル、BNOよりプロデューサーとしてのデビューを果たす。
1998年には、かねてからのスケートボード仲間であったNick Maurerがドイツから帰国する。元々、ギタリスト、ピアニスト、そしてドラマーとしての才能を持ち合わせていたNick。更に、そこに、ヨーロッパでのテクノ体験を通してエレクトロニックテイストが加わることで、Jamesにとっては最適なプロダクションパートナーとなる。JamesのプログラミングスキルとNickの演奏テクニックを合わせることで斬新なサウンドを展開すべく結成されたユニットは当時の仕事(バイト?)にちなんで、”Greens Keepers”(ゴルフ場の管理人)と名付けらる。シカ ゴハウスの持つ、ファンキーで骨太なグルーヴを保ちながらも、従来のハウスミュージックの4つ打ちの枠にとどまることなく、幅広く展開されるサウンドは新世代シカゴと呼ぶにふさわしい。また、Jamesはプロデューサー、DJ、だけでなく、Greens Keepers、Igloo、G-Swingの3つのレーベルの運営にも携わっていてその活動は多忙を極めている。
今年一月、AGEHAにて行われた"Hump"にDerrik CarterやMark Farina等と共に出演した際には強烈なシカゴグルーヴで満員の観客を圧倒。今回の来日、イエローでのプレイでは、更に厚く、深く、そして密度の濃いシカゴハウスを体感できるセットとなるであろう。

Johnny Fiasco バイオグラフィー

シカゴのハウスシーンの初期から活動を続けてきたJohnny Fiasco。煙草とカプチーノ、そして家族をこよなく愛するオヤジパワー全開な彼は、クラブ以外のところで会うと、その外見はとても世界各地を飛び回る売れっ子DJとは思えない。しかし、シカゴという街で育ったJohnnyの人生は、まさしく「ハウスミュージックと共に歩んできた」と言えよう。
85年、当時高校生だったJohnny Fiascoにとってハウスミュージックに触れることで次第に人生が変わっていくことになる。ロックバンドでギタリストとして音楽活動をしていたJohnnyではあったが、当時シカゴで確実に広がり始めていたハウスミュージックブームに自然と巻き込まれていく。「DJを始めた最初の6ヶ月間は本当にひどいプレイをしていた」と自らも語るように、未成熟なシーンの成長と合わせるようにしてDJとしてのスキルを高めて行くことになる。また、当初から機材を購入し、トラック製作を開始する。それまでに経験してきたバンド活動とは違い、自身の気持ちの赴くままにプロダクションが行えるというハウスミュージックのスタイルに次第に没頭していくこととなる。
87年には、現在シカゴの老舗クラブとして知られるSmart Barのレジデントとして、Mark Farinaらと共に定期的にプレイするようになる。やがて、90年にオープンした巨大クラブ、Shelterのレジデントとしてシカゴのハウスブームの一つ目の大きな山を経験することとなる。毎週木曜日、平日であるにもかかわらず1500人から2000人もの人々が集まり、踊り狂っていた当時のシーンにおいてDJとしてのキャリアを固めていったJohnnyは、91年に最初の作品、"Zig Zag"をリリースすることでプロデューサーとしてもデビューを果たし、ミュージシャンとしての人生が決定付けられていく。
95年、Cajual Recordsと契約し、作品を発表。Cajmereの作品のヒットにより、レーベルが国際的に知られるようになることで、Johnnyの名も国際的なものとなる。そして、97年まで、Spencer KinceyやDizと共に7年間、Red Dogでのレジデントを務めた後は、Fuse(ベルギー)、The End(イギリス)など、世界各国の有名クラブでプレイするようになり、今日に至る。
02年に初来日を果たして以降、回を重ねる度に着実に日本での知名度も高めてきたJohnny Fiasco。4度目となる今回も、シカゴハウスの歴史を知る男のプレイは他のDJとは一味も二味も違うグルーブを体験させてくれるに違いない。



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