スタイル : プログレッシブ・ハウス
出身地 : アメリカ
関連プロジェクト : Eros Euphony, Freelance Icebreakers
関連レーベル : Bedrock Records, Stress Records
2005年 DJ Magazine Chart : -
2004年 DJ Magazine Chart : -
オフィシャル・サイト : www.jimmyvanm.com
'90年代において、世界のクラブ・シーンの中心と言えば紛れもなくニューヨークであり、クラブ・サウンドのトレンドは常にそこから発信されるものであった。しかし、やがてその勢力図は Sasha & John Digweed という二人の才能によって大きく塗り替えられ、徐々にヨーロッパへと重心が移っていくことになるのだが、その地殻変動を起こした最大の立役者こそが、この Jimmy Van M という稀代のプロモーター兼アーティストである。
フロリダ出身の Jimmy Van M は、'90年代初期からDJ活動をスタート。数年後には東海岸一帯で名の知れたDJにまで成長するのだが、元来ビジネスのセンスに長じていた Jimmy は、Eros Euphony という会社を設立、自身のスタジオ・ワークに加えて、DJやアーティストのプロモーションを手がけるようになる。一方、この Eros Euphony という名前は、Sean Cusick と共に結成したユニット名としても使われ、Jimmy はこの名義で Dave Seaman が運営していたレーベル Stress Records との契約を締結。彼らとの交流を通じて、当時イギリスで大きな潮流になりつつあったプログレッシブ・トランスという新しいサウンドに触れていくことになる。
やがて、このサウンドの持つポテンシャルに大きな可能性を感じた Jimmy は、まだアメリカでは殆どその存在を知られていなかった Sasha、John Digweed をアメリカに招聘することを決意。これこそが、後に伝説として語り継がれることになる"Northern Exposure ツアー"、すなわち Sasha & John Digweed の北米ツアーの始まりであった。そして、このツアーが全米各地において次々と大きな成功を収めたことで波に乗った Jimmy、John、Sasha の3人は、遂に帝王 Junior Vasquez が君臨していたニューヨークのクラブ Twilo にてレジデント・パーティーをスタート。このイベントが空前のブームを巻き起こしたことが一つのきっかけとなって、世紀末のクラブ・シーンは大きな地殻変動を起こしていくことになるのである。
その後も、Chris Fortier と共にインポート盤のプロモート会社を設立したり(後の Balance Promote Group)、"Cream"の北米ツアーを手がけたりと、主にビジネスのフィールドにおいて大きな成功を収めていく Jimmy であるが、プロデューサーとしても、盟友 John が設立した Bedrock Records から "Sanctuary" などの名曲をリリースするなど、その才能を遺憾なく発揮。現在に至るまで、ビジネス/クリエイティブの両面において、精力的な活動を継続している。
(H.Nakamura : HigherFrequency)
JIMMY VAN M : パーティーレポート
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