スタイル : ディスコ・パンク
出身地 : アメリカ
関連プロジェクト : LCD Soundsystem
関連レーベル : DFA
オフィシャル・サイト : http://www.lcdsoundsystem.com
‘00年代初頭よりクラブ・シーンとロック・シーンの両方を騒がせているディスコ・パンク・ブームの火付け役的な NY のレーベル DFA のオーナーであり、生バンド形式でのソロ・プロジェクト LCD Soundsystem としての活動でも知られる奇才 James Murphy。彼が DFA のパートナーである元 Mo’wax の Tim Goldsworthy と出会ったのは、David Holmes のサード・アルバム “Bow Down To The Exit Sign” に、Tim がプログラマー、そして James がエンジニアとして参加したときのことであった。
そのときの出会いから徐々に親交を深めていった二人は、’01年に起きたアメリカ同時多発テロで WTC が崩れ落ちる様子を表現したとされる Death From Above という言葉の頭文字を取ったレーベル DFA をスタートさせる。’02年には、当時流行していた Mr. Oizo “Flat Beat” と並べてかけてもらえるようなトラックを創ろうと、元々はパンク・バンドとして活動していた The Rapture と手を組み、”House Of Jealous Lovers” を制作。躍動感溢れるディスコ・ビートとパンキッシュにシャウトする金切り声が融合して爆発的なカタルシスを生み出すこの曲は、クラブ・シーンに再びロックの魅力を思い出させ、エレクトロクラッシュのブームと共鳴するように世界中のクラブで大ヒットを記録していった。同作のヒットで、一躍時の人となった James は、同年のうちに LCD Soundsystem としてのファースト・シングル “Losing My Edge” をリリースする。The Rapture よりも更にクラブ色を強めたディスコ・パンク・サウンドや独白的な歌詞の内容が各方面で大きな話題となり、同曲のリリースと同時に James はミュージシャンとしても一気に熱い注目を集めることとなるのであった。その後も ”Yeah”、”Movement” などといったシングルが次々とヒットを記録していく中、 ‘03年には日本を代表する大型クラブ系フェスティバルのひとつ Electraglide にて初来日を果たす。また ‘05年には、LCD Soundsystem としてのファースト・アルバム “LCD Soundsystem” をリリース。ハードコア・パンク、ディスコ、ファンク、’80年代ニューウェイヴ、そしてビートルズなどのロック・クラシックスからの影響も垣間見れる幅広いサウンドを展開した同作は、ディスコ・パンク・ブームの真打ちとして各方面から非常に高い評価を獲得することに成功した。
その後、資金繰りの面で問題があるとして、DFA はメジャーの EMI と提携することを発表。しかし、提携の交渉に一年以上の時間を費やしている間に、レーベルの看板アーティストである The Rapture がレコード会社からの安定したバックアップを求めて他のメジャー・レーベルに移籍するなど、何かとファンを心配させるようなニュースも多く届いていた。しかし、’07年初頭には LCD Soundsystem が待望のセカンド・アルバムをリリースする予定となっており、再び以前のような勢いを取り戻すことがファンの間では期待されている。
DJ 歴は ‘06年現在で5年足らずと決して長い方ではない James だが、最新のエレクトロ・チューンとそのルーツとなるようなファンク・クラシックスをミックスする独特のスタイルが幅広い層から評価を得ており、ここ日本でも高い人気を誇っている。そんな彼の DJ としての来日公演が、’06年12月に Womb と Space Lab Yellow で行われることが決定。同年2月の来日では、会場となった La Fabrique の外に100メートル以上の長蛇の列をつくるという伝説を生み出しているだけに、どちらの公演もフロアが並々ならぬ熱気で包まれることは間違い無さそうだ。 (Yoshiharu Kobayashi)
JAMES MURPHY : リリース情報
The DFA / The DFA Remixes: Chapter 2 (2006/10/03)
JAMES MURPHY : 来日イベント情報
The Yes feat. James Murphy (2006/12/23)
DFA DJ's Tour in Japan (2006/12/26)